第8話―国防白書―
それからしばらくもしないうちに、典礼が走って戻って来る。本当に全力疾走をしてきたらしく着いた時には息を切らして言葉も出ない。差し出されたスペアキーにちょっぴり涙が出る。
「……先輩、どうしてそんな……憐れむような目をしているのですか……」
「……そんな事はないよ。お疲れさま。ありがとう」
息を整えている典礼からそっと視線を外して晴夏を見ると、彼は何事もなかったかのようにスペアキーで扉を開けていた。先程晴夏が言っていた典礼を信用していないというは、どういう意味なのだろうか。背後の典礼を少し気にしつつ中に入ると、既に晴夏が慣れた手つきで目的のファイルを開いていた。
「何かの提出資料みたいだね」
そう言うと晴夏は、正面の巨大スクリーンモニターを指差す。そこに映し出されていたのは、参考データ(一)・参考データ(二)・国防白書(仮称)と書かれた三つのアイコンだった。
「これ、本当に見ていいのか……。白書って事は完全に国が関わって――」
「あのね、未紗。踊る馬鹿と見る馬鹿がいて、両方とも同じ馬鹿なら踊った方が楽しいでしょ。見ても見なくてもここまで来たら一緒だって」
「そ、そうか……」
わかったような、わからないような非常に微妙なたとえに頭を悩ませていると、晴夏はその隙に参考データ(一)を開いた。
「これって」
典礼が驚きの声をあげる。中にあったのは心拍数や心電図、呼吸速度、体表温度といった数字から始まり、肉体構造、脳の活動領域、思考速度や伝達速度、遺伝子配列などありとあらゆる人間の、佐々木未紗の、私の、生体データだった。そのうちの幾つかの数値は今でも変動していることから、これが首輪から得られている私の個人情報という事がわかる。サザナミを介してデータを送っているのは知っていたけれど、ここまでいろいろな数値を採られているとは思わなかったので私は少々面食らっていた。
「これが先輩の生体データですか……」
興味深い様子で典礼が画面を見る。ただの数字やグラフとはいえ、そう身を乗り出して読まれるのはさすがに少し恥ずかしい。
「あまり見るなよ……」
私は典礼を諭す。
「となると、こっちのデータも大方の予想はつくね」
晴夏が手際よくもう一つの参考データ(二)を開く。モニターには、今となっては懐かしさすら覚えてしまう大戦時代の試合戦績データが画面に広がった。
「選手全員分の戦績が入っている……こんなに大勢いたんだな」
名前と所属、試合参加数、それにおける討伐人数や貢献率、試合制御室の制圧率などがランキング形式で綺麗に並んでいた。記憶しているよりも多い人数に、少しだけ思いを馳せる。そんな感傷も束の間、典礼の呟きで現実に戻された。
「改めて数字で見ると、やはり先輩ってバケモノですね……」
「それは褒めているのか貶しているのかどっちだ、てんちゃん」
しかし典礼がそう言うのも無理はない。選手の戦績一覧で見ると討伐人数は私が飛び抜けて多い。桐恵もサポーターとしての戦績だけでも勝利貢献率上位に入っていた。トップではないのは、本来ならサポーターは複数の選手を受け持つのに対して桐恵は、私のサポーター以外はしないと駄々をこねたからなのだが、それが許されたのも単に私との相性が良く私の性能を最大限に発揮させることが出来たからである。要は実力主義の世界だったのだ。
「でも先輩、全部の試合に出ていたわけではないのですね。討伐人数からして全部参加しているのかと思っていました。制圧率……敵将との戦闘もそこまで多くないですし。あれ……制圧率百%の人ってこれ、な――」
「何を言っているんだ、てんちゃん。全部の試合に出られるわけがないだろう。途中で怪我して離脱したりもしたし、相手チームとの相性もあるんだ。試合勝ち星っていうのは、要は最多対人討伐数だな。これは試合に参加した回数じゃなくて倒した人数で決まる。長物はあまり室内戦には向かないって理由から外で露払いをしていたおかげで殆ど勝ち星を貰っていたし、選手内最多数になるのはそう時間はかからなかったよ。それに確かに私はリーダーだったけれど、リーダーが制圧しなければいけないなんて決まりはない。無傷で試合が出来たのなんて最初の頃……桐恵とコンビを組む辺りまでかな。まだ向こうも試合の体制が整っていなかったから、結構やりやすかったんだけれど」
「そうだったのですか……。では俺が知っている、全試合に貢献し全勝、かつては一人で相手チームを全滅させた事もあり、あらゆる攻撃を避けては先回りをする事から〈千里眼〉と恐れられ、参加すると名前を出しただけで相手のチームメンバーが辞退し減るために大陸からは休暇を取るようにと旅行券をプレゼントされたという先輩についてのあの伝説は一体」
「ごめん、早くて所々聞き取れなかったのだけれど……戦績データをよく見て。全試合参加全勝ってどこの
日本治安維持中立協会内で私は一体どんな印象を持たれていたのだろう。先程食堂にいた人達もこの手の話を信じるやつがいたのだろうか。その伝説とやらの中で正解なのは旅行券と、一人で敵チームと対戦した事だけれどあの試合は本当に私の運が良かっただけだ。一歩間違えば間違いなく死んでいた。
「旅行は確か北アメリカ大陸からでメキシコの古代都市テオティワカンへのツアーだっけ。その都市って遥か昔に繁栄を極めていたけれど急に文明が滅んで人々が消えたって言われているから、今思えばものすごく皮肉だよね。僕は行かなかったけれど」
「……佐々木未紗も普通の人間だったって事ですね」
「さっきからどうした、てんちゃん。私は剣舞が得意なただの一般人だよ」
「……最多対人討伐数を叩き出している人をただの一般人とは言わない」
典礼が何故か落ち込んでおり、晴夏は小声で何か言っていたけれどそんな事、今はどうでもいい。
「それにしてもだな。どうしてこんなものが鍵付きのシークレットファイルになんて入っているんだ……というか色々情報集めすぎだろう」
生体記録なら毎日取られているし戦績だって、わざわざ隔離する意図がわからない。素直に口にすると、晴夏が困ったように眉を下げて笑った。
「……未紗の個人データを保管しているだけだったら良かったのだけれどね……それだけではないと思うんだ」
「それはどういうことですか」
「ここに国防白書ってファイルがあるだろう……これはあくまでも仮説、だけれど殺意保持者である未紗のデータを、つまりは未紗の殺意を軍事利用する計画を立てていたとしたら……どうする」
典礼の言葉に晴夏は意味あり気な口調で答えた。しかし典礼は表情を変えずに冷ややかに言い返す。
「いくら晴夏さんとはいえ、笑えない冗談ですね。そんなものが議会に通るわけがない」
「……でも、桐恵ちゃんはそうは思わなかったわけだ」
桐恵の名前を出すと典礼は一瞬だけ眉をひそめた。しかしそんな典礼の態度を気にも留めず、晴夏は最後のファイル、国防白書(仮称)を開く。ところが――。
【エラー:権限がありません】
【エラー:管理者に確認してください】
響き渡るエラー音と共に表示された赤い文字。それを見た晴夏は驚いて目を見張った。
「どうして。前回は開けたのに。権限がないも何もプログラムの管理者は僕だ」
そう言って慌ててキーボードを打ち始めた。管理者コードでも入力したのだろうか、程なくしてエラーが止んだ。
「どこか少し調子が悪かったんだろう。さて、気を取り直して」
晴夏がもう一度、ファイルを開いた。
【エラー:権限がありません】
空しく響き渡るエラー音に晴夏が崩れ落ちる。すると、先程とは違う警告音が新たに発せられた。モニターを見ると、無数の警告マークで埋め尽くした画面が広がっていた。
【エラー:ファイルの閲覧拒否数が一定数を超えました】
【警告:不正なアクセスが確認されました】
【警告:機密保持の規約により該当データの削除プログラムを起動します】
「自動削除システムか!」
やられた、と晴夏が両手で顔を覆って項垂れる。そんな晴夏を叩き起こすと私は勢いよく詰め寄った。
「いいから早くこれをなんとかしろ! このままだと消える」
「わかっている!」
晴夏はプログラムの停止を試みたが、どのコマンドも受け付けられずにどんどん削除プログラムのインストールが進んでいく。
「メインコンピューターに直接入力をしても駄目ですか」
「駄目だった。そもそも停止コード自体を受け付ける気配がない」
苛立ち始める晴夏を見て、典礼は少し考えた後にこう進言した。
「では、もう再起動しかありませんね。プログラムを強制終了させましょう」
「典礼、お前何言って……」
「わかってます」
いつものあだ名ではなく名前を呼んでしまうぐらいに驚いた晴夏の言葉を遮り、典礼は真っ直ぐに晴夏の目を見た。
「このプログラム管理室で再起動をするという事は、全てのプログラムすなわちサザナミの再起動を意味します。接続が切れる一瞬だけではありますが、サザナミが止まるという事です。一瞬とはいえ奇しくも波川先生の望む通りになるわけですが、仕方ないですよね。停止とはいえ僅かですし人々への影響はほぼないでしょう」
「でも、いくら桐恵ちゃんへの手掛かりとはいえ……たかがファイル一つ失うだけのために再起動までは、その……」
晴夏が言い淀む。再起動は日本だけの問題ではない。日本のサザナミは全大陸のサザナミシステムと繋がっているのだ。システム管理者として早々に決められるものではない。
「……
「……わかった。言う通りにしよう。でもその前に放送で局員に勧告を」
「そんな時間ありません」
はっきりと言い放つと典礼は、代わってくださいと晴夏に言ってメインキーボードの前に座った。
「待ってくれ。
勢いに負けて思わず席を譲った晴夏が責任者として我に返る。
「今の晴夏さんの乱れた精神状態では、残された時間で正確にコマンドを入力できるとは思えません。俺に任せてください」
そう言って典礼は腕をまくり上まで留めてあったシャツのボタンを一つだけ外した。そして見たことのない早さで次々と入力を開始した。まさか晴夏よりも速いタイピングをするとは。晴夏を見ると、同じように驚いた顔で次々に打たれていくコマンドの波を見ていた。
「よし。これで、終わり……だっ」
リズム良く鳴らされていたキーボードを叩く音も消え、晴夏は最後に勢いよくエンターキーを押した。残り僅かだったインストールが止まり、画面が暗くなる。起動には膨大な量の電気が必要となる為、必然的に局全ての電気が落ち、辺りは暗闇に包まれた。
――そして、世界に一瞬だけ、殺意が戻った。
その瞬間、私は反射的に後ろへ跳んでいた。右手で首を押さえ、腰へ――小桜丸がいた場所へと左手を伸ばしていた事に気がついた時には電気も復旧しており、晴夏と典礼が何事かというようにこちらを見ていた。
「そんなところで何やっているんだ、未紗。お腹でも痛いのか」
晴夏が声をかけてくる。膝をついて腰を押さえている体勢は傍からだとそう見えるようだ。
「あぁ……大丈夫。少し緊張しただけだよ」
まさか戦闘態勢でした、なんて言えない。そっと首輪を確認するが問題はないようだった。
「再起動も無事に済んだようで良かった」
典礼を見ると一気に疲れたのか机に伸びている。
「被害報告は、今のところないみたいで良かったな」
「いや、恐らく全員……それどころではないんだと思う……」
私は電気が落ちた瞬間に聞こえてきた各部屋からの悲鳴を思い出す。乾いた笑いを返す晴夏の目は笑っておらず、どこか遠くを見ていた。
「……被害は最小限に済んだはずです。むしろ無いに等しいかと」
のそり、と典礼が起き上がって大きく伸びをする。
「全てのプログラムに対して強制保存のコマンドを入力しておきました。電源が落ちる前の環境のままで作業は続けられているはずです」
「ほ、本当か!」
「それはすごいな」
晴夏が動揺のあまり典礼の肩を掴んで揺さぶる。私も思わず感嘆の声が出た。尊敬と感謝の眼差しを一心に受けながら、典礼は呆気に取られている晴夏から照れたように顔を背けた。
「……何かあった時の為に、強制終了と強制保存のコマンドぐらいは覚えとけって無理やり教えたのは晴夏さんですよ」
「でもあの量をよく覚えて……」
「覚えますよね。普通」
晴夏の表情が固まる。私は典礼の完全記憶能力の話を思い出した。どうやら本人に自覚はないらしい。
「……ところで、これどうするんだ」
これ、と私はモニターに映し出されている国防白書のアイコンを指差した。
「開かないとなると、どうしようもないね……」
とは言うものの、実際晴夏は中身を知っているのだ。ここで話さないという事は、やはり典礼の警戒は解いていないのか。再起動の件は晴夏にとっても不測の事態であったみたいだけれど、対処に感謝こそすれそれはまた別件なのかもしれない。
「……では、先程晴夏さんが言っていた軍事利用の仮説を正しいとして行動するのが一番早いのではないでしょうか」
典礼が椅子にもたれながら提案する。
「波川先生がそれを見て行動に移ったのなら、それなりの内容だったのでしょう。だとするとその仮説は、先生が行動するのに十分な理由であると俺は思います」
「本当にそれでいいの。全然違うかもしれないけれど」
晴夏が何かを探るような目で典礼に確認する。
「俺の仕事は波川先生を見つける事です。もうここに用がない以上は次に行くべきでしょう。とりあえず外に出て、展示棟へ顔を出しに行かないと。その後またどうするか考えましょう」
そう言うと典礼は勢いよく立ち上がって扉の外へ向かった。
「二人とも。早く行きますよ」
「今行く」
振り返って言う典礼を私は急いで追いかける。晴夏はと見ると、彼は何やら難しい顔をしてモニターの画像を見ていた。しかしそれも少しの間で、やがて小さくため息をつくと眼鏡を押し上げ部屋の外へ歩いてきた。
私とすれ違った一瞬。その晴夏の顔を、私は終ぞ知ることはない。
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