第7話―晴夏の秘密―
窓のないエレベーターに乗り、ようやく三人になったと私は安堵の溜め息をついた。プログラム管理室は六階で私が泊まる部屋は寮最上階の十階だそうだ。晴夏の部屋も同じ十階だそうだが、外が見えないのでエレベーターで上がる分には気にならないらしい。
「どうなることかと思った。二人ともありがとう」
「先輩が小桜丸の事を言い出した時には驚きましたよ」
典礼が困ったように笑い、さすがの晴夏も苦笑いといった様子でこちらを見る。
「ごめん。自分でも何で小桜丸の事を言い出したのかわからなくて」
「何にせよ言ったからには、展示棟にも顔を出さないといけないよね。時間の事もあるし、さっさとデータを見てそっちに行こう」
晴夏がそういうと同時にエレベーターは十階に到着した。フロアから向かって右が寮、左が管理棟に別れるらしい。典礼をフロアに残し私達は部屋に荷物を置きに行った。晴夏は、どうせ局にいるならと自分の白衣に着替えたようだ。そして再び下行きのエレベーターに乗ると私達は何食わぬ顔をして六階で降りる。
左に進んで入った情報管理棟は事務棟や食堂とは打って変わりとても静かだった。迷路のような構造になっているのはやはり防犯対策なのだろうか。シンプルに見えて意外と曲がり角が多い。天井も壁も真っ白なので、照明だけで昼間のような明るさを保っている。まるで病院を歩いているようだった。ここにいると、昼も夜もわからなくなりそうだなと思いながら例に漏れず窓のない廊下を進む。所々に時計が設置されているのもそういう理由だろう。思い返せば局員は皆、支給品なのか同じ腕時計をつけていた。これもまた典礼推薦の品である不慣れな八センチヒールのパンプスから、高い靴音がコツコツと響く。一番奥だよ、と晴夏に連れられプログラム管理室に向かってはいるが迷路のような廊下をぐるぐると歩いているので私は途中から道を覚えるのを諦めた。
少し歩いてたどり着いた扉の前に立つと、晴夏は自分の局員証を挿す。しかしエラーが表示されてしまい扉は開くことはなかった。おかしいな、と晴夏は局員証を挿し直したがそれでも結果は同じであった。セキュリティ対策からこの棟の重要なシステムがある部屋は登録されている局員証以外では開かない仕組みになっているそうだが、どうして晴夏の局員証で開かないのだろう。
「そうかわかった。僕が今日、非番だからだ。勤務表もコンピューターで管理しているから、勤務時間外の人のカードだと扉は開かないんだ」
忘れていたよ、と笑って誤魔化そうとする晴夏に私は呆れ顔を向ける。
「誰だよ、そんな面倒くさいシステムを作ったの」
「僕」
「おい」
どうやら晴夏は、サザナミシステムだけでなくこの管理局全体のセキュリティプログラムを構成し管轄しているようだった。そんな重要人物が私と一緒にいて問題はないのだろうか。むしろそちらの管理を徹底した方がいいのでは、などと余計な心配をしてしまう。
どうしますか、と典礼が訊ねると晴夏は少し考えた後、言い難そうに口を開いた。
「実は……事務管理棟の一階スペアキーが置いてありまして」
「はい」
「うん」
「それで、あの。……取りに行かないといけない状況なのではと思います」
「そうか……」
暫しの沈黙が続いた。仕方がないので私が一番聞きたくない質問をすることになった。
「……誰が鍵を取りに行く」
「三人一緒はどうでしょうか」
「……」
「……」
またこの距離を往復しなければいけないなんて、なんだかもう既に疲れた気分になっている。しかしこうなってしまったからには戻るしかないだろう。
「と、言いたいところだけれど」
返す言葉もなくげんなりとしていた私達に向かって、晴夏が言葉を続ける。
「一人で行った方が断然早いだろうから、……てん、ちょっと鍵を取って来てくれ」
「何で俺なんですか。しかもなんか、ちょっとコンビニでパンを買って来いみたいな感じで言っていますけれど結構遠いですよね、事務管理棟。こういう場合はこの場で一番上の責任者である晴夏さんが行くべきだと思うのですが」
晴夏に対し珍しく典礼が反発し、一気に捲し立てた。その行きたくない気持ち、よくわかる。しかし典礼は確か……。
「僕が取りに行っても構わないけれどさ、てんは未紗と二人でも大丈夫なのかい。見たところスイッチは持っていないようだけれど」
僕は持っているけれどね、とさも当たり前のように言ってのけた晴夏に典礼は言葉を詰まらせた。
「……それ、貸してください」
「嫌だね」
「おい、お前達……本人が目の前にいるのにその物騒な会話をやめろ」
呆れ気味に声をかけ、私は典礼に向かって真剣な眼差しを向ける。
「この中で一番機動性が高いのは元選手であり現役警察である、てんちゃんだけだ。ここは一つ、国民を守る警察官として頼みたい」
「真面目な顔で何かと思えば。ここで職務を持ち出すのは反則ですよ先輩。そう言われたら行かざるを得ないでしょう」
わざとらしく物々しい口調の私を軽く流して典礼は渋々といったように承諾した。そして、走るからにはと軽く準備運動をして靴紐を締め直す。こういう真面目で律儀なところは桐恵に少し似ている。
「晴夏さん、この借りは高くつきますよ。覚えておいてください」
晴夏を指差し、典礼は息を短く吸い込むと一気に走り出した。典礼の姿がみるみるうちに小さくなりやがて見えなくなる。
「即行忘れよう。でも捨て台詞を吐きながら結局は鍵を取りに行ってくれる。僕、てんのああいうところは嫌いじゃないよ」
「私もだ。なんだかんだ面倒見がいいよな。正義感が強いというか少し真面目すぎるとこもあるから、つい揶揄って遊びたくなるけれど」
典礼の姿を見送りしみじみとして言う晴夏に私が同意すると、二人で顔を見合わせクスクスと笑った。
「でもここまでの道はわかるのかな。この棟の廊下って入り組んでいるし、迷子になっていたりしたら……」
「それなら問題ないよ」
てんはね、と晴夏が嬉しそうに話す。
「てんは一度見たものは、ほぼ間違いなく記憶しているんだ。本人は言わないけれど、たぶん完全記憶能力を持っていると思う。……だから早く僕の部署に欲しいんだよね。打倒国家権力」
息巻く晴夏を横目に、私は大人しく典礼の帰りを待とうと壁に寄りかかる。しかし晴夏は廊下の先をじっと見ていたかと思いきや、急に慌ただしい様子で私の腕を引いた。
「よし、てんはもう下に着いた頃かな。中に入ろう」
「どういうことだ。晴夏のカードキーは使えないはず……」
「この
いいから急いで、と晴夏は状況を上手く把握できていない私の背中を押して扉の向こうへと入った。
プログラム管理室というのは当然初めて入るわけだが、想像していた雰囲気とは全く異なっていた。薄暗くて大きいパソコンがたくさんあって常に人が働いている……というわけではなく、巨大なスクリーンモニターが壁一枚を覆いデスクトップ型のモニターとキーボードが数台、傍の机の上にあるのみ。教室のようなものではなく個人の部屋、と言った方がわかりやすいだろうか。中に誰もいないのにも驚いたが、定期的なメンテナンスこそ必要とはいえ、自動制御で日夜フル稼働しているので基本的に人は要らないのだそうだ。部屋の中を興味深く見ていると、晴夏が内側から鍵をかけて振り返る。そして神妙な面持ちで私に告げた。
「あのね、未紗。実は桐恵ちゃんから預かっているものがあるんだ」
「桐恵から、だって……」
「厳密には預かったというか桐恵ちゃんが勝手に送り付けてきた物、なんだけれど」
そういうと晴夏は白衣のポケットから一冊の本を取り出した。
「昨日届いた。未紗に届けて欲しいってメモが挟んであったよ。差出人が未紗になっていたけれど業者の印鑑がないから、これを届けた人もたぶん桐恵ちゃんの仲間だと思う。とにかく見てみてよ」
手渡された本を受け取ると、それは桐恵が愛用している日記帳だった。パラパラと捲り私は少し緊張しながら最後のページに書かれている桐恵の字を追った。
※ ※ ※
六月二日
ようやくマルスアーゼが完成しました。不老になる薬だけれど、いつ飲むか迷う。未紗とまた話そう。この薬があれば、私達は名実ともに永遠の二十代ね。明日でサザナミが施行されて四年になります。未紗はきっと忘れているだろうから、さり気なく何か未紗の好きな食べ物でもリクエストしようかな。久しぶりの休日楽しみ。
六月四日
未紗へ。未紗は今とても怒っているでしょうね。私が今から未紗にする事を思えば容易に想像がつくわ。赦してはもらえないだろうけれど、本当にごめんなさい。でも必ず戻って説明するから、それまで待っていて。
※ ※ ※
読んでいるうちに私は日記を放り投げたい衝動と戦っていた。筆跡からするにこの日記は桐恵本人の物で間違いない。桐恵が生命維持監察研究所から持ち去ったという試薬というのも恐らくこのマルスアーゼとやらだと思われる。そこまではいい。しかし不老になる薬というのは何だ。そんな怪しいものを作って桐恵は一体何をしようとしている。あの休みの日に話すつもりだったらしいが、あまりのタイミングの悪さに頭が痛くなる。さらにこの最後に書いてある文章がもっと私の頭を痛くさせていた。怒ってはいないと言ったら嘘になるが正直、謝られても困る。それにこういう類のものというのは、行動の理由とかを書いておくものではないのか。何故桐恵がこんな事をしたのかわからなければ赦すも何もない。
「最後のメッセージは読んだかい。そういうことだそうだ」
日記を凝視している私に晴夏が声をかける。
「晴夏」
私はゆっくりと顔を上げて晴夏を見上げた。
「お前は一体何者だ……どこまで知っている」
「……僕は何も」
晴夏は目を細めて私を見下ろす。
「ただの協力者だよ。僕が本当に桐恵ちゃんに頼まれたのはここまで」
「どうせ件のデータも見ただろう……何があった」
「見ればわかるよ。でもとりあえず外に出て、てんを待とう。そろそろ戻る頃だと思う」
「その前にこの日記帳、私が持っていたいところだけれど、カバンもポケットもないから晴夏が預かっていて」
「そういえばそうだね。わかった、しばらく僕が預かるよ。落ち着いたら返すから」
そう言って部屋の扉を開ける晴夏の姿に、ふと疑問が湧いた。
「どうしてわざわざ、てんちゃんを遠ざけたんだ」
それはね、と晴夏は振り返って笑顔で答えた。
「未紗に渡して、と言われたから。てんがいたら渡せないでしょ。証拠品だっていって押収されても困るし」
「……」
融通が利かない石頭人間め。私はそっと典礼に同情する。それに、と晴夏は声を落として続けた。
「今回の件に関して、僕は典礼を信用していないから」
「待て、それはどういう……」
驚いた私の問いかけを無視して晴夏はさっさと外に出る。私も慌てて後に続いた。扉の鍵を閉めた晴夏は、肩の荷が下りたかのように大きく伸びをする。
「緊張した……てんが戻ってくる前に渡せて良かった……」
晴れやかな顔で喜ぶ晴夏の姿に、先程の不穏な言葉はまるで嘘のように思えた。言葉の先が気になったがあとで機をみて話を聞くとしよう。とはいえ
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