第4話―サザナミへの反逆者―

 私はまず、今回の事件に類似した出来事が過去にもあったのかを調べる事にした。サザナミの施行以降、殺人に関するあらゆる資料――裁判記録・事件のまとめ・戦争や軍事データ・さらには殺人事件を題材にした書籍などは一つのデーターバンクに集められ厳重な閲覧規制がかけられている。私ですら閲覧する事は出来ないが、世界は広く様々な人間が存在しているもので規制前からそういった類の話題に特化したマニアや規制をかいくぐる術を持つ者も少なくない。私はそういった人達が集まるチャットグループに入り話を何か知っていないか訊ねてみた。



【兎の足が入室しました】

兎の足 : お久しぶりです。

兎の足 : 訊きたい事があります。

猫の目 : 珍しい。お久しぶりです。

猿の手 : お久しぶりです。何か調べているのですか?

兎の足 : 自分がやった事を覚えていないと供述している事例って何か知っていますか?

猿の手 : 記憶喪失ですか?

兎の足 : 今回は記憶喪失ではなく認識をしていない場合です。

兎の足 : 自己意識と犯罪がテーマの論文を書きます。

猿の手 : また論文ですか。

猫の目 : 夢遊病で殺人を犯したと自主してきた男の調書なら見た事あります。記憶にないけれど寝ている間に体が勝手に殺したらしいです。

猿の手 : 自己意識といえば、英国のスパイが記憶を移植し続けて自己意識がなくなったという噂も聞いた事ありますよ。

猫の目 : 英国怖。

猫の目 : 自己意識が無くなったら覚えているいないの問題ではなくなりますね……。

兎の足 : 無意識下で体が行った行動の責任は意識にあると思いますか?

猿の手 : 殺人事件でも心神喪失で無罪判決が出た事もあるので難しいところです。

兎の足 : なるほど。参考になりました。ありがとうございました。

猫の目 : また来てください。

猿の手 : 論文頑張ってください。

【兎の足が退出しました】

【猿の手が退出しました】

【鷹の爪が入室しました】



 なるほど、と私は誰も居ない部屋で呟いた。一応は無意識下での殺人という事例は存在した事から、今の殺意が存在しない世界での殺人も不可能ではないだろう。ということは、次に調べるのはサザナミの不具合である。こればかりはもう桐恵にあとで土下座でも何でもするという覚悟を決め、私は禁忌である他人のパソコンを無断で拝借するという強硬手段に出た。桐恵のパソコンから局のデータ管理ベースに入りサザナミに送られている私の脳波データと、それを基に作られている殺意相殺の脳波データの引き抜きを行い異常がないかを見てみる。しかしどの数値も正常値で操作されているという印象は見受けられなかった。だとするとサザナミ自体には問題がないと判断できる。となると、それを受信した側つまりは東方某氏の方の脳波測定値を見てみる必要があるが、事件関係のデータともなるとセキュリティが高くなるのは当たり前のこと。さすがに局長権限を持つパソコンでも外側から閲覧するには限界があった。

 大きく伸びをして寝不足で痛くなった目頭を押さえる。空はもう明るくなりかけていたが、寝る前に桐恵が帰って来た時用にと簡単におにぎりを握っておいてあげた。そして目覚めた時には帰っているといいなと思いながら布団に潜り込む。


 次に目が覚めたとき、私達の日常は大きく変化していた。


* * *


 射撃班の銃撃に合わせ身を敵陣に晒し素早く周囲の状況を感知する。ばら撒かれた接続器の間を縫うように敵地を駆け、向かってくる敵兵を一人目、二人目……と斬り伏せた。銃弾が飛んで来る方向、敵兵の位置や人数も今の私には関係ない。脳に送信される五感にさえ集中していれば肉体は反射的に銃弾を避けては敵を討ち続ける。意気揚々としながら目的地である試合場制御室の扉を開けると、そこには最早見慣れてしまった表情を浮かべて座り込む敵将の姿があった。その口が動き〈佐々木未紗バケモノ〉と私を呼ぶ。

 口元がゆっくり弧を描き〈バケモノ〉は、何も言わず刀を振り下ろした――。


* * *


 不意に目が覚めたのは昔の夢を見たからだろうか。連打で鳴らされるインターフォンが頭に響く。どちらかというとこの音に叩き起こされたのかもしれない。時計を見ると午後の二時を回りかけていた。随分と長く寝てしまったみたいだ。

「おはよう……」

 あくびを噛み殺し、私は玄関を開けた。視界に紺色が広がる。フロア一帯を警察が埋め尽くしていた。

「おぉ」

 突然の事態に驚きを隠せず、思わず間抜けな声が出てしまう。

「佐々木未紗さんですね。家宅捜索の令状が出ていますので、上がらせていただきます。それから少し事情をお伺いしたいのでお話もよろしいですかな」

 目の前にいた強面の刑事が令状を掲げて言う。

「家宅、捜索ですか……何故です……」

 どうにも動きが悪い頭を回転させ、必死に現状を理解する。一体何が起こったというのか。事情を聞きたいのはこちらの方である。

「あの、すみません。通してください……」

 後ろの方から人を掻き分けて典礼が姿を現した。私を見ると何故か安心したような顔をする。

「良かった。佐々木、さん」

「……典礼。これは一体どういうことだ」

 典礼は正しく呼んだのに、ついあだ名で呼びそうになって慌てて名前で呼ぶ。同僚の前では可哀想だろう。

「ニュースを見てないのですか。もしかして、また寝ていたとか」

「悪かったな。明け方まで少し調べものをしていたんだよ」

 驚く典礼を軽くあしらうと、続きは中で、と言われとりあえず警官達を招き入れた。部屋で着替えた後、言われた通りにテレビを点ける。そこには桐恵の顔が大きく映し出されており次の場面では、建物から黒い煙が上がる映像が流れた。

「なんだこれは。どうして桐恵が……。それにこの建物って確か……まさか、桐恵がこの中に」

「落ち着いてください。先輩。波川先生なら無事ですよ」

 慌て始めた私を典礼が宥めた。それを見ながら、傍にいたオールバックの髪を後ろで縛っている侍のような風貌の刑事――どうやら典礼の上司らしい、が続ける。

「この建物、生命維持監察研究所の爆破を指示したとされているのが波川桐恵ですから」

「なんだって。そんなはずは」

 即座に否定する私に典礼の上司、香取史人警部は鋭い視線を向けた。

「佐々木さん、貴方はこの施設で何の研究をしていたのか、ご存知ですか。普段ならこんな大ごとにはしませんが、今回は少し事情が違う。……ここで研究されていた試薬品は世界でも大変貴重な物になっているそうですが」

「いいえ、知りません。昔ならまだしも、今は監視者と囚人の様なものですから仕事内容に関して私は一切知りません。ただ、桐恵の新しい職場がここだとは聞いていたので」

「……そうですか」

 疑いの色を変えずに香取警部は視線を逸らし、家宅捜索の指揮に戻った。典礼が去り際にそっと私に耳打ちをする。

「すみません先輩。香取警部はその、サザナミの事をあまり良くは思っていないみたいでして。今は眉間に皺を寄せて強面に見えますが普段は僕に格闘術を教えてくれる良い上司なのです。それに武道にも長けているので先輩のご実家の事も知っているかと思います。警部は波川先生が今回反サザナミ派の団体を使って研究所を爆破、とある試薬品を奪い政府に対してこれを返してほしければサザナミの停止をするように要求していて、当の本人は行方をくらましている……という事にちょっと憤りを感じているだけです」

「ちょっとどころではない内容だろ……! サザナミの停止って。まさかそんな」

「お、大声を出さないでください」

 驚いて声をあげる私を、典礼が慌てて止める。

「またあとで話しますので。俺は捜索をさせてもらいます」

 そう言って典礼は捜索任務に行ってしまった。私は桐恵が、この世界を造った彼女が、サザナミの停止を要求していると聞いてショックを隠し切れなかった。

『戦わなくていい、未紗がこれ以上傷付かなくてもいい世界で一緒に暮らしましょう』

 そうして桐恵はサザナミの研究を始め、それを実現してみせた。言うなればこの世界は私達の夢なのだ。だからこそ私は桐恵がその世界を止めると、壊すと言っていることを信じることが出来なかった。本当に桐恵は世界を――私を、裏切ったのだろうか。

 しばらくして、何も見つからなかったと部下から報告を受けた香取警部が苛立ち気にこちらに戻って来た。一体何を探しているのだろう。後ろを歩いている典礼が小柄なせいで体格の良い香取警部との差が目立つ。まるでと秋田犬と柴犬を見ているようだ。香取警部が私の隣に立ち視線を前に向けたまま徐に話し始めた。さり気なく私の左側に立っている事からも彼が配慮の出来る人間である事を示している。あながち典礼が言う事も間違っていないのかもしれない。

「佐々木さん、貴方、今日の明け方……五時頃ですが波川桐恵と話をしたりはしていませんか」

「話も何も桐恵は帰って来ていないですよ。その時間なら私、寝ていましたし」

「おかしいですね。この家の入室記録を見ると、一度その時間に帰って来ているのですよ。それに、貴方が寝ていたという証拠は提示できないでしょう」

 証拠を見せろと暗に迫る警部に内心溜め息をつくと、私は首を示して言った。

「それならこの〈安全装置首輪〉の記録を見てください。寝ているなら寝ている脳波が検出されますから」

「……よろしいのですね。一応、閲覧には許可が必要なもので」

 散々物騒な首輪をつけておいて、こういった個人情報じみたものに関してはいちいち細かい。容疑が晴れるなら、と私は承諾し管理局へデータを警部に送るように要請した。

「ところで、桐恵が一度戻っているというのは本当なのですか」

 私は信じられないといった風に香取警部に訊ねる。机の上に置いてあったおにぎりもそのままのようだし、桐恵の部屋の中までは把握していないがとりあえず家の中のものがなくなっているということもない。

「扉の施錠記録ではそうなっていますね。五時頃に入って十五分程で出て行っています。物音等、気がついたりはしなかったので」

「起きていたのが四時過ぎだったものですから。熟睡していた頃でしょう」

 余程疑いたいらしいが、気がつかなかったものは仕方がない。自分でも大抵は起きるはずだと思ってはいたのだが、疲れが出たのだろう。程なくして、香取警部のところにデータが届いた。手持ちの端末で解析結果を確認すると、少し驚いた顔をする。

「佐々木さん、申し訳ありませんでした。確かに確認は取れましたが、その、別の結果も出てきていまして」

 そう言いながら端末を私に見せてくれる。睡眠時の脳波を記録した所謂、睡眠曲線が映し出されていたが、よく見るとノンレム睡眠帯からレム睡眠帯に差し掛かっていた線が該当時間の部分だけ一気にノンレム睡眠帯まで落ちている。つまりこれは意図的に――。

「鎮静剤が打たれた……」

「……そういうことになります」

 長い間寝ていたことも、起きたときに頭がぼんやりしていたこともこれで説明がつく。

「本来なら任意同行もしてもらうところでしたが……」

 どこか同情的な香取警部の視線を私は敢えて気がつかない振りをした。やけに人数が多かったのはそういう理由だったのか。法的効力ならば外出許可なしでも部屋から出ることは可能だ。

 一通りの作業が終わり、協力ありがとうございましたと典礼も香取警部一行と共に帰っていった。部屋に静寂が戻る。机に置かれたおにぎりが三個から二個に減っていた事に気がついたのはそれからまたしばらく経った頃だった。静かに息を吐くと、私はソファにもたれる様に腰を下ろして目を瞑った。桐恵が私に対して首輪を発動させたという事。これを明らかな敵対行動として認識する事しか、今の私には出来なかった。何故、桐恵はこの世界を壊そうとするのか。再び殺意が溢れる世界に戻りたいとでもいうのだろうか。

 私の役目はこの世界を守る事である。その世界を壊そうとするならば、たとえその相手が桐恵本人だとしても私にとっては敵である。サザナミを止めるなんて事は絶対にさせてはいけない。対峙する覚悟を決め、私はゆっくりと目を開けた。

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