第5話―三岡晴夏―
次の日、私は桐恵に関する情報を集める前に反サザナミ派団体の情報を片っ端から集めた。一応は、「特定非営利活動促進法」によって国に認証を受けた所謂、特定非営利活動法人であるから、表立った活動に関しては集めることは容易い。意識を意図的に消滅させる事は自由意思を否定する人間的尊厳の剥奪である、というのが彼らの主張だけれど、私からみれば彼らは何も分かっていないただの偽善者にしか思えない。人を殺したことがないからそんな綺麗事が言えるのだ。この中で、肉を斬る感触や血の匂い、死に逝く前の表情や断末魔を知っているのは一体何人いるだろう。次々と運ばれていく仲間の姿。あんな光景を二度と見ないためにはもう、人々から殺意を奪うぐらいしか方法はないというのに。
昔の事を思い出し少しだけ寂しい気持ちになっていた時、またインターフォンが来客を告げる。また典礼が来たのかと私は玄関へと向かった。
「はい、今日は何の用……」
「久しぶり。元気だったか未紗。これお土産。美味しいよ」
いきなりのハイテンションに思わずドアを閉めて鍵をかけた。誰かが訪ねてきたというのは気のせいだろう。そうに違いない。アイツがこんな所にまで来るわけがない。
「何で閉めるんだよ。おい、開けろ。君の友人の三岡だ。三岡晴夏だ」
目の前のドアが叩かれて振動しドアノブも音を立てて引っ張られている。これはホラー映画か何かか。怖すぎる。しかし放っておけばドアが壊れるまで続けるだろう。三岡晴夏とはそういう男なのだ。私は諦めてドアを開けた。
「新聞なら間に合っています」
「違う」
間髪入れずに否定する晴夏。そんな昔と変わらない彼とのやり取りになんだか少しだけ安心した。
「久しぶり晴夏。どうかしたのか。今日、仕事は」
「今日は非番だよ。用がなければこんな所になんて来ないさ」
「確かに」
笑って納得し、私はお土産を受け取ると晴夏を促してリビングへと通した。好きに座ってと言うと、晴夏は外が見えるソファではなく奥にあるキッチンの食卓へと向かい淡い青色のシンプルなロングコートを椅子の背に掛ける。
「……そういえば晴夏、ここが何階か知っているか」
「おい、ふざけるなよ未紗。それ以上言ったら迷うことなく僕はスイッチを押す」
何気ないふりを装って訊いてみれば、晴夏は堂々と首輪のスイッチをズボンのポケットから取り出し掲げながら宣言した。眼鏡を光で反射させながら言う姿はさながら追い詰められた犯人役といったところか。ところどころ毛先がハネている所謂くせっ毛といわれる黒髪が余計雰囲気を醸し出している。一人暮らしだと聞いているが、きっちりと着込んでいる青白いワイシャツは皺一つなく、紺色のスーツズボンにも折り目が綺麗についており私が一人暮らしだったならここまで出来る気がしない。彼の几帳面な性格が見て取れた。
「高所恐怖症なのも変わっていないみたいだな」
「ヒトは大地の上で生活する生物だよ。こんな所に住んでいるお前の気が知れないね」
「はいはい、悪かったよ。もう言わないからスイッチを下ろして」
宥めるように言うと晴夏は鼻息荒くスイッチを仕舞った。厳密には私の住居は管理局が用意したもので私には何の決定権もないのだが、それは言わないでおいた。晴夏も元は日本治安維持中立協会に所属し第四世代機動班のサポーターとして配属されたが、高所恐怖症のため視覚を共有する事に耐え切れず、しばらくして試合のオペレーターに異動になった。試合出場歴最長の私にとっても戦友と呼べるような存在である。
「それで、地上の民が天空の牢に何の用だ。言っておくけれど、桐恵の事件についてなら私は知らないからな。どこにいるのかもわからない。どういうことなのか、むしろ私が教えて欲しいぐらいだよ」
話をしながら私は晴夏が持ってきてくれたお土産を開ける。中身は最近オープンしたばかりとの噂のケーキ屋に売っている苺タルトだった。大粒の苺が色鮮やかにキラキラと光っている。ホームページの写真で見る限り、かなり内装が可愛らしく女性層が多そうな印象のお店だったけれど、わざわざ買いに行ってくれたようだ。女性陣の中ではあの長身はさぞ目立っただろうな、とつい笑みが零れた。
「その事なのだけれど――何で笑って……あのね未紗。そのケーキ、買って来るの随分大変だったんだぞ。男一人って僕だけだったしみんな横目で見てくるし。そんなにケーキを買う男が珍しいのか。甘いもの好きな男なんて世の中には大勢いるだろう。――あぁ、それは僕が食べる抹茶のミルフィーユ」
箱を仕舞ってあとで食べようと思っていたところを晴夏が止める。お前も食べるのか。しかもこれ結構デザインが可愛いやつ。
「わかったよ。紅茶を用意するから少し待っていて」
そうして紅茶を淹れるまでの時間、晴夏の近状を聞く。サザナミ開発では主に脳波の解析を担当しその後のプログラミングも行っていたが、今ではサザナミシステムのセキュリティ部門を一任されているそうだ。襟を見れば雪の結晶を模した局員の金色のバッジの先端が部門長の証である青色になっている。ちなみにこの局員専用居住区域内では、有事の際に指揮系統が明確になるという利点から外出時は必ず所属バッジをつけるという決まりがある。局長である桐恵は先端が白く、典礼や香取警部が所属している特務警察の一定階級以上のバッジの先端は緑色だ。青色、つまり《色付き》という事はあの人質事件の真相を知っている事になるが焦ったりした素振りはまるでない。
「出世したな」
「……お陰様で」
バッジを見て思わず感心して言うと、晴夏は何とも言えない表情で眼鏡を押し上げ、視線を逸らした。外に出られない友人に対して何か思うところがあるのだろうか。私は出来上がった紅茶を用意すると机に運んだ。気を取り直してケーキをいただく。
「話の続きだ、未紗」
「なんだっけ」
美味しいなこれ、と黙々と口を動かしていた私を嗜め、晴夏が話を進める。
「桐恵ちゃんの事なのだけれど、その……本人から何か聞いていないかい」
「いや特に何も。気がついたら指名手配になっていたけれど」
知らないと言うと、晴夏は一瞬驚いた表情をした。
「じゃあこれ言うの止めた方が良いのかな……」
どうしよう、と妙に焦りだす晴夏。まさかこのまま何も言わずに帰る気かこの男。しかしこの三岡晴夏という男は物事の切り替えが非常に早かった。晴夏は手を一つ叩いて早々に切り替えると話を始めた。
「……よし、この際仕方がない。実は僕、桐恵ちゃんに会ったんだ。あの事件の前に」
「ちょっと待て。いきなりどういうことだそれ」
突然の話題に頭がついていかない。桐恵が晴夏と会っていた。何故、何のために。
「確か休暇を取っていた日だったかな。せっかくの休みなのに勿体無いって思ったから。なんでも、サザナミの中に不審なプログラムファイルを見つけたけれど開けないからって、僕のとこにね。おかしいだろう、サザナミ内にあるデータを桐恵ちゃんが開けないなんて」
「確かに、それは変だな」
桐恵は局長としてサザナミの運営に関しての責任を全て負う立場にあり、虹彩・指紋・静脈の複合型認証システムによりサザナミの全アクセス権を有する。つまり、閲覧が出来ない別の権限によってロックされたデータなど、本来なら存在してはならないのである。
「でも解除することは出来ただろう」
「もちろん。サザナミ内にあってウイルス認定されないって事は僅かにでも共通コードが存在するって事だからね。それの解析に少しだけ時間がかかったけれど、それさえわかればあとはそこから入るだけさ」
簡単に言うけれどそれは晴夏がサザナミのプログラミングに関わっていたから出来た芸当であって、他の人間にはほぼ不可能に近い。
「でも、桐恵でも開けないってことはその上のどこかが作ったって事だよな。そんなデータ開いて大丈夫なのか」
サザナミの管理を請け負う国際特別安全管理局は国立の機関なので、その代表である桐恵よりも上の人間となると国家レベルになりはしまいか。仮に元協会の指令が異動した国防省辺りが極秘に動かしているプログラムだとしたら……。しかし桐恵に黙ってサザナミに入れるというのはどういう理由があるのだろう。
「結論から言うと、大丈夫じゃなかったみたいだね。この状況を見る限り」
困ったように笑って晴夏が紅茶を啜った。蒸気で眼鏡が曇っている。
「中には何があった」
「知らない」
「なんだと」
さも当たり前のように答えられて、私は一瞬言葉に詰まる。
「だってこれ、明らかに危なそうなやつでしょ。ロック解除用のパッチファイルを作ってあげて、桐恵ちゃんに渡すまでが僕の仕事」
「お前な……」
「それを見た桐恵ちゃんがあんな行動を起こすって事は、サザナミを止めようと判断するぐらいの代物だったって事だろう。そうなるとやはり……少し、気になってね。てっきり僕は、未紗にも見せたと思っていたから」
「それでわざわざここまで来たというわけ」
意図的にではないにしろ、この事件の片棒を担いでしまった事へ多少なりとも罪の意識を感じているのかもしれない。
「一度開けたデータなのだから、自分で見られるだろう。見れば良かったのに」
「一人で見るのは嫌」
「子供か」
私は呆れたように溜め息をついた。
「もちろん、気になるよね。未紗」
目の前にある晴夏の瞳が悪戯っ子のように輝いている。
「……仮に見るにしてもどうやって見る。データは持ち出し不可だろう」
「そのことなんだけれど」
晴夏が何か提案しようとしたその時、何度目かのインターフォンが鳴らされた。出てくると言ってドアを開けると玄関先に現れたのは典礼だった。
「連日すみません……」
典礼が申し訳なさそうに言う。連日会ってみてわかった事だが、典礼は毎回スーツのコーディネートが個性的だ。桐恵を呼びに来た時はあまり覚えていないけれど、最初に話を聞きに来た時はネイビーのスーツに同色のネクタイだが揃いのネクタイピンとカフスリンクが映えて綺麗だった。昨日はグレーのスーツと薄い水色のワイシャツにタータンチェック柄のネクタイ。今日は茶色のストライプの入ったスーツに白いワイシャツ、そして臙脂色のネクタイの柄は桐恵お気に入りの漫画のキャラクターのモチーフデザインがあしらわれている。その柄が入ったマグカップは桐恵が使っている。桐恵だけが盛り上がっているのだと思っていたけれど、思いの外、人気があるようだ。
「あの、今ここに三岡晴夏さんがいらっしゃると思うのですが」
中を覗きながら典礼が訊ねた。
「晴夏なら来ているぞ。そうか、ついにアイツも捕まる日が来たのだな。いいぞ、連れていけ」
迎えが来たみたいだぞ、と私は典礼を連れてキッチンへと戻る。晴夏は典礼を見ると嬉しそうな顔をして出迎えた。
「誰が来たのかと思えば、てんじゃないか」
「どうも、こんにちは。晴夏さん」
礼儀正しく典礼は頭を下げた。晴夏に用事があるそうだと言うと、晴夏はニコニコと笑って何でも聞いてやろう、と居住まいを正す。
「システム課への転属ならいつでも歓迎する。いつがいいんだ」
「勝手に話を進めないでください。違います」
「晴夏を逮捕しに来たのだろう」
「勝手に話を変えないでください。違います」
話を聞いてください、と典礼は指でこめかみを押さえる。頭でも痛いのだろうか。
「晴夏さん。貴方が先日波川先生、いえ波川桐恵氏と会っていたと証言があったのですが、本当ですか」
「ちぇっ。なんだ取り調べか。確かに僕は桐恵ちゃんと会って話をしたけれど、それだけだよ」
典礼が仕事をしに来ただけだと判ると、もう興味ないといった風に晴夏が気だるげに答えた。
「本当にそれだけですか」
「……何が言いたい」
「サザナミのプログラム管理室に入ってしばらく二人きりだったと、情報が入っています。つまり貴方は重要参考人なわけです」
重ねて聞く典礼の質問に、一応周りは確認したのだけれど、とぼやいた晴夏の目が少しだけ鋭くなった。
「重要参考人ね……いいだろう。何せほら、桐恵ちゃんとゆっくりと話すのは久しぶりからね。そこから先は大人の時間ってことで。それ以上は聞いてくれるな少年」
「最低ですね」
「逮捕しろ、てんちゃん」
典礼の容赦のない言葉と冷めた視線。これには私も同意する。さすがの晴夏もこの反応には慌てたようだ。
「悪かった。冗談だ、てん。未紗、お前も便乗するのはやめろ」
「偽証罪で逮捕しますよ」
謝る晴夏に対しても、典礼はあくまで冷たい。きちんと説明するから、と晴夏は先程の話を手短に伝えた。不審なプログラムを発見した事、それを開けるパッチを渡した事、そしてその中を見ようと思っているという事。これらを聞いてようやく典礼は、なるほどと理解を示した。
「先生の言っていた用事というのはサザナミのプログラムを見る事だったのですね……」
「そういえば、どうして桐恵ちゃんが休日なのにわざわざプログラムを見に来たのか二人は知っているのかい」
晴夏が食べ終わったケーキのフォークをくわえながら訊ねた。やる気はなさそうなのに変なところで勘が鋭い。青バッジの晴夏には事件についての情報が開示されていたはずなので伝えても問題ないだろう。典礼に目配せすると彼はいいですよ、と頷いた。
「桐恵はあの事件の事情聴取の立ち合いに呼ばれたんだよ。てんちゃんが呼びに来たんだ。その時に何か気になる事があって局に行ったのだろう」
「なるほど。聴取の結果、何かサザナミと関係があるかもしれないと思ったわけだね。これはますます気になって来たな」
「でも、そのプログラムを見るにしてもどうやって見るつもりなのですか。外部メモリへのコピーは出来ませんし」
「そう、ちょうどその事を話そうとした時に、てんが来たんだよ」
まさに天の助けだと笑う晴夏を無視して私は、どうするつもりなのかと先を促した。
「僕が向こうから一時的にセキリュティを解くから、その間に未紗がプログラムをとればいい。複製禁止のプログラムも解除しておこう」
「晴夏さん、つまりそれは……」
「……クラッキングを提案するスーパーエンジニア様なんて初めて見たわ。良いけれど」
「良くないです。警察である俺が許すわけがないでしょう。現行犯で連れて行きますよ」
「てんはいつになったら警察を辞めるの」
「辞めません」
二人のやりとりを聞いて、私は先程から気になっていた事を思い出した。
「そういえば、晴夏が自分の部署に誰かを勧誘するなんて珍しいな。そんなに優秀なのか」
「非常に優秀だよ。僕が教えていた中でも、てんのプログラミング技術能力は警察にしておくのは勿体無いレベル」
「それはサイバー犯罪があった時に対策としてアクセス制御技術について教わっただけで、そんなつもりは……」
そして再び晴夏と典礼の辞めろ辞めないの応酬が始まった。どこまで本気かわからないけれど、少なくともデータを持ち出すのは止めた方がいい。となると、残るはもうこれしかないだろう、と私はゆっくりと口を開いた。
「そこまでだ二人とも。外出申請を出すから同意書にサインをして欲しい」
外出したいという幽閉されている身である私の言葉に、典礼も晴夏も驚いて顔を見合わせた。局員の外出同意書さえもらえれば私だって一応外に出ることは出来るのである。ただ、かなりの行動制限があり非常に面倒くさいので今まで申請を出そうとは考えなかった。外出自体は首輪をつけることは勿論最低条件として、二人以上局員に同行してもらえばいい。とはいえ、局員は何かあった場合の責任を負わないといけないから、この状況下で許可が下りるかは少し難しいかもしれない。晴夏は目を細め、値踏みをするかのように私を見た。
「外出か。一応僕達も未紗の立場は理解しているつもりだけれどさ、僕達のリスクが大きすぎるんだよね。未紗はそれに見合うだけの対価を支払う事ができるのかい」
「桐恵を探す手掛かりが掴めるかもしれない」
「あのね、未紗が桐恵ちゃんの捜索に加わったところで何か状況が変わるとでも思っているの。それに指名手配されているのは未紗の大事な相棒さんなわけ。正直、証拠隠滅とかされたら困るのだけれど」
「私は、桐恵を止めたいんだ」
私は決意を込めて言う。それでも晴夏は渋い顔を崩さず眼鏡を押し上げたが、ふと力が抜けたように、にっこりと笑った。
「……というのが管理局としての建前。実は副局長から、どうにかして未紗を連れ出して来いって言われていたんだよね。サザナミ管理が主な仕事とはいえ、管理局本来の目的は未紗の安全を最優先に確保する事。今の状況は反サザナミ派に狙われる可能性もあるからね」
良かった、と晴夏は重荷を下ろしたかのような清々しい口調で言う。
「未紗から言ってくれて助かったよ。重要参考人である未紗を一方的に管理局で保護すると、どうしても周りの機関と軋轢が生じてしまう。でも、未紗からの外出要請なら断る理由はないし、出向いた先で多少長居をしたとしても咎められない。管理局に保護の意志がある事を先に伝えるようにと、最初は局の誰かが来る予定だったのだけれど、桐恵ちゃんの話もあったから僕が言いに来たってわけ。未紗の同意を得られたら明日もう一人連れて管理局に行く手筈だったけれど、素晴らしいタイミングでてんが来てくれた。てんは警察の人間だし、プログラムを見るだけだったっていう管理局側の言い分や、未紗が桐恵を庇う意思はないという一応の証人になるしね。確か規則には……居住区には行けないけれど管理局や研究施設など局員の監視が利く場所なら二人以上の局員のサインと同行があれば問題なかったはずだ。では、今この場に奇跡的に同席している典礼君にもサインしてもらうとして、これで条件はクリア。僕は何の不正もなく役目を全うできるわけ」
「……私に自発的に申請書を出させるように誘導したな、晴夏」
呆れたように言う私に晴夏はわざとらしく首をかしげる。昔からこういった話術で晴夏に敵った試しがない。知らない内に晴夏の望んだ方向へ話が進むのだ。プログラマーより詐欺師に向いている。敵には回したくないタイプだ。
「とはいえ先輩……くれぐれも問題行動を起こさないでくださいね。このご時世、局からの解雇は御免ですので」
典礼がしっかりと私に釘を刺す。私だって猛獣ではないのだし外では大人しくするに決まっている。わかっていますよ巡査部長殿、と敬礼付きで返すと典礼は茶化さないでくださいとむくれた。
「でも未紗、僕の話抜きにしても、どうして自分から外に出ようなんて思ったんだい。思っている程、外の世界が甘くないのはよく知っているはずだけれど」
そう言う晴夏の言葉に私は、香取警部の態度を思い出した。サザナミ執行当時も批判はあり、今でこそ受け入れてくれてはいるけれど、ただ唯一の殺意保持者に対する評価は決して優しいものではない。晴夏の質問に、私は答えるべきかどうか少しだけ迷う。
――貴方がこの世界を守るのよ。
いつか桐恵が私に言った言葉が重く心にのしかかる。
「……そういう約束なんだ」
ごめんね。と言うと、晴夏と典礼は諦めたように笑って顔を見合わせた。
「わかりました。では先輩、行き先とタイムスケジュールを書いて俺に渡してください。すぐに許可証の発行をしてもらいますので。晴夏さんは管理局に一報を入れておいてください」
そうと決まれば、と典礼がテキパキと指示を出す。私は自分の端末に行き先を入力し典礼に送信した。タイムスケジュールは適当に入れておく。どうせ時間通りにいかない事は目に見えている。
認証待ちの間にと数日分の着替えやパソコンなど簡単に荷物をまとめていると、三人の端末に政府からの外出許可証と管理局の受け入れ許可証、それと局員へ同意書が転送された。これで私は数年ぶりに外の世界へ出られるというわけだ。しかしそこで思い当たった。外に出る、ということは……。
「どうしよう。何を着ていけばいい。着替えも持ったけれどあれで平気かな……晴夏、今の流行は何だ」
「知らないよ。服なんかなんでもいいだろう」
「重大な問題なんだけれど」
「そんなに見た目が気になるのだったら、もう着ぐるみでも着ていけよ」
「なんだと」
「くだらない喧嘩をしないでください。時間が惜しいです。先輩の服装は今のままで十分です」
「おい、てんちゃん。くだらないとは何だ」
「はい。すみません。もういいですから二人で着ぐるみを着てさっさと行きましょう」
そう言うと典礼は私が止めるのも聞かずあっという間に私の端末で二着の着ぐるみを発注してしまった。
「いや待ってくれ。どうして僕まで着ぐるみを。しかもウサギ」
「俺と晴夏さんが二人でウサギの着ぐるみを連れていたら不自然に目立つでしょう。俺一人がウサギの着ぐるみを連れている分には交通安全や犯罪取り締まりの広報とでも言えばいいですから」
「……それもなんか一理ある気がしてきた。でもそれを言うならウサギよりも犬の方が警察らしいのでは」
「犬だと本物っぽいのでウサギで少し緩和してみました」
「……なるほど」
言いくるめられているなと私はそんな二人のやり取りを聞き流す。そうこうしている内にアラームが鳴り荷物が運ばれて来た。荷受けは業者との対面式ではなく、一階から荷物用のエレベーターを使って家の中の専用受取口まで昇って来た物に受領印をするシステムなので時間の削減にもなっているのだが……私が専用回線の配達スピードを呪ったのはこれが初めてだ。箱を開けて中を覗くと二種類のウサギの着ぐるみと三つのイヤホンマイクが綺麗に収まっていた。
「うわぁ……」
どちらともなく声が出てしまう。
「形状からして、これが私か」
「こっちが僕の」
お互い無言のまま立ちつくしたが、こうなっては嫌がっている時間はない。それぞれを手に取り着ぐるみを装着する。
「これ、僕にはサイズが小さいと思うけれど」
「それは所謂ヒーロースーツタイプの着ぐるみです。伸縮性に優れていますので大丈夫です。どんな人にもぴったりと着る事が出来ますよ。通気性もバッチリです」
「何その無駄な高性能」
「ちなみに、生地に形状記憶繊維を使っていますので、一度着ただけで世界に一つだけの晴夏さん専用ウサギの出来上がりです。良かったですね」
「あ、ありがとう……」
あの晴夏が典礼の勢いに押されている。着ぐるみについて喜々として語る典礼の姿は今まで見てきた中で一番輝いていたかもしれない。私の方は空気で膨らむバルーン着ぐるみというタイプなのだそうだ。送風機が付いて快適だという。典礼の手伝いもあってなんとか準備を整えることが出来た。
「これでよし。では二人とも……宜しくお願いします」
管理局の意向だとしても、彼らの負担になっているのは確かだろう。私はイヤホンマイクを確認して晴夏と典礼に頭を下げる。ふと典礼の首にぶら下げられた許可証を見ると、帰宅期限のカウントが既に始まっていることに気がついた。延長申請は出来るけれど、やはりこういうカウントは気になってしまう。私は二人を急き立てると、最初の目的地である国際特別安全管理局日本支部へと向かった。
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