Ⅳ
「――フルール、待ってくれ!話を聞いてくれッ!?」
ニュイは、フルールの誤解を解こうと追いかける。あの礼拝堂の惨状を一目見れば、誰だってニュイが殺人鬼だと疑うのも無理はなかった。
東館の廊下を抜けて、玄関に差し掛かった時、フルールの姿が見えた。
フルールは足が縺れて、転んでその場で動けずにいた。追いかけてくるニュイの姿を見ると、恐怖心から体が震え、完全に怯え切っていた。
彼女に拒絶されることが許せなかったのか、ニュイは無意識に声を荒げてしまう。
「フルール、待ってくれ!違うんだ、俺の話を聞いてくれ!」
「――こっちに来ないで!?」
喉が掠れるほどの、悲鳴に近い叫びだった。
その直後、館内は時計の針が止まったかのような静寂に襲われる。
彼女の明確な拒絶の言葉を聞いて、ニュイはショックのあまりその場を動けずにいた。まるで冷たい手で心臓を掴まれたかのように、呼吸は浅く、言葉を紡ごうにも声にならない声が漏れるだけであった。
フルールはニュイを睨み据えて、ありったけの怒りを込めてこう告げた。
「……あなたが殺したんでしょう?ニュイ。黄薔薇も、白薔薇も、そしてトリカブトも。あんな酷い場所で、堂々としていた上に、トリカブトの血まで採取していたのですもの。あなた以外に、誰が犯人だっていうの!?」
「ち、違うんだ!俺が殺したんじゃないんだ!全ては、お前を助けるために仕方なく――」
「私を助けるために、どうしてあの3人が死ななきゃいけないのよ!?そんなのおかしいじゃない‼」
そう叫び終えた後、フルールは徐々に涙目になって泣き始めた。
目の前のニュイに対する恋心と、恐怖心が鬩ぎ合って、自分でもどうすればいいのか、分からなくなってしまっていた。
「ニュイのこと、信じていたのに。大好きだったのに……こんなことって、ないよ」
嗚咽を漏らし、泣きじゃくるフルールを前にして、ニュイも頭に上った血がだんだん下がり始めた。
このままじゃ感情のぶつかり合いが続くだけだと、ニュイはこの事態を収束する方法を冷静になって考えるも、うまく頭の整理がつかずにいた。
すると、フルールは涙で腫れ上がった目元を手で擦りながら、誰に聞かせるわけでもなく、こう呟いた。
「これも、悪い夢なんだわ。さっきから変な夢ばっかり見るし、そうよ。こんなの現実なんかじゃない」
「変な、夢…だって…?」
心配そうに声をかけるニュイを一瞥すると、すぐに俯いてフルールは語り始める。
「…ええ、さっきから変な夢ばっかり見るの。広いベッドで寝ていた私は、突然、お母さんの悲鳴が聞こえて目が覚めたの。怖いけど、お母さんが心配だったから様子を見に行ったの。そうしたら、お母さんは診療台の上で血まみれになってて、腕とか足とかお腹とかをお父さんに切られて、何かの花を植えつけられている姿が――」
フルールは悪夢を反芻して気持ち悪くなったのか、そこまで言いかけて口元を手で抑えた。
ニュイは、彼女の悪夢の正体を察知した。
全ては、睡蓮が言っていた通りだった。彼女の記憶の花びらを、元に戻してしまったせいで、フルールは自身の心的外傷(トラウマ)に苛まれていた。
「――俺の、せいだ」
ニュイは、彼女の心をここまで苦しめてしまったことを悔いるしかなかった。このままじゃ、彼女は本当に数々の自身の心的外傷(トラウマ)に押し潰されてしまうかもしれない。そんな、取り返しのつかないことをしてしまったのだと再認識する。
「……で、でも俺は、フルールに…俺と過ごした記憶を、覚えていて欲しかっただけなのに」
蘇る自身の忌々しい記憶に頭を抱え、呻き蹲るフルール。
ニュイは自責の思いが強すぎて、混乱のあまり狂ったように声を荒げて叫んだ。
「――あ、ああ、ああああああぁぁぁぁああああ!?」
夜の館内に響き渡る少年の咆哮。
目元から涙が溢れるのも構わず、ニュイは喉が掠れるまで声をあげた。
そして、フルールの前で両手両足を床に着き、嗚咽を漏らし続ける。
「許してくれ、フルール。俺は、俺は……何てことを」
「ニュ、ニュイ?落ち着いて。一体、どうしたの?」
悔いるようにして許しを乞うニュイのことが心配になり、フルールは声をかける。
ニュイは、嗚咽を抑えながら、フルールに真実を告げた。
「……フルール、その悪夢は、お前の昔の記憶なんだ」
「な、何を言っているの、ニュイ?」
「睡蓮さんから、聞いたんだ。お前も、お前のお母さんも植物と人間の融合体(キメラ)を創り出すための実験体となったことを。だからその記憶はフルールが子供の頃に実際に見た光景なんだッ!」
「う、嘘よ!だって、夢の中でお母さんに酷いことをしていたのは、お父さんだったのよ!?」
「お前の父親は、魔術師らしい。植物と人間の融合体(キメラ)を創り出すことを研究してきた異端者だと聞いた。俺も、睡蓮さんから聞いた時は耳を疑ったよ。実の家族に対して、ここまで酷いことができる人間がいるなんて。俺も、信じたくなかった」
フルールはその話に戸惑いながらも、話を続ける。
「じゃ、じゃあ、知らない村の人たちがマンドラゴラへと姿を変えて、互いに襲い、捕食しあっているあの地獄のような光景も、私の過去の記憶なの…?」
「お前の父親は、マンドラゴラ以外の植物人間を創り出すために、多くの村の人たちを犠牲にしてきたんだ。おそらくその光景は一部に過ぎないと思う」
「嘘よ、そんなの…嘘よ」
フルールは半ば信じきれない顔をしたまま、その場でへたり込んでしまった。
ニュイは、それでも信じてほしい気持ちが先行して、つい声を荒げてしまう。
「嘘じゃないんだ、フルール。お願いだから、俺を信じてくれ!」
「……出て行って」
俯く彼女の頬に一筋の涙が伝った。
「もう、何を信じればいいか分からないよ…。こんな怖い夢が私の過去だなんて、言わないでよ…だから、一人にさせてよ」
ニュイは目の前で泣きじゃくる少女を前にして、動けずにいた。
どうして、こんなに近くにいるのに伸ばした手が届かないのか。
どうして、彼女はその手を取ってくれないのか。
自分の命に代えてでも守ると決めた少女が――幸せにすると決めた少女が、自分の目の前で泣いている以上、結果は明白だった。
フルールへの説得は失敗に終わったのだ。
彼女の傍に居続けられるなら、例え殺人鬼として周りから恐れられようとも、守り続ける思いだけは本物なのに。
一瞬、力づくでも彼女を自分の物にしようという衝動が彼の心の奥底からこみ上げてくる。
だが、無力に泣きじゃくるフルールを前にして、そんなことはできなかった。
「……わかった。俺は、もう出て行くよ。ごめん、迷惑かけて」
心が壊れそうになるのを堪えながら、ニュイは館から出ていくために立ち上がる。
これで二度と、フルールに会えなくなると思うと、足が動かなかった。
あまりにも、悲しい結末にこの場を離れることを体中が拒んだ。
――だから、最後に、どうしても彼女に伝えたいことがあった。
「信じてくれないかもしれないけれど、俺はフルールのために、頑張ってきたということだけは本当だから。その証を、最後に受け取ってほしい」
ニュイはブレザーの右ポケットからワスレナグサの髪飾りを取り出す。
薄青色の5つの花弁を咲かせた髪飾りは、宝石のように輝いていた。
フルールはニュイの手にある髪飾りを見て驚きの表情を見せる。
「それ、私の髪飾り……?」
「お前の記憶の欠落は、このワスレナグサの花の呪いに依るものだった。この髪飾りの花びらが欠けていたせいで、お前はずっと記憶の病に悩まされ続けていたんだ」
一歩、また一歩とニュイはフルールへと近づいていく。
「それを知って、俺は残りの花びらを、集めたんだ。けれど、そのためには館にいる人たちの願いや欲望を叶える必要があった。それが、ここまでの殺人劇に発展して、取り返しのつかないことになったこともわかっている。償えない罪ならば、俺の命を捧げる覚悟はできているよ」
嘘偽りのない気持ちで、ニュイは本心を告げる。
そしてフルールの前までくると歩みを止め、そのまま膝を突いた。フルールは先ほどまでニュイに感じていた恐怖心が和らいだのか、怯えることなく彼が傍にくることを許していた。
2人は時を忘れてお互いを見つめ合う。仄かに鼓動の打つ音が互いの恋心を昂らせていった。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたままフルールはニュイに問いかけた。
「どうして、そんなにボロボロになってまで、私の記憶を戻したの…?」
「お前のことが好きだから」
一瞬だけ、時が止まった気がした。
間髪入れずに、ニュイは愛の言葉を告げる。
「――もう、フルールに俺のことを忘れて欲しくなかったから」
再び、ニュイの頬に一筋の涙が伝った。フルールをまっすぐに見つめて、心の奥底に秘めた思いを優しく語り始める。
「初めて会った時に一目惚れして、それからはお前の気を引くために色んな話をして、お前があの森から薬を売りに村にやってくる日を楽しみにして待っていたんだ。
けれどお前は、記憶の病に犯されていたから、俺と過ごした記憶も、そして名前すら覚えてくれなくて。それが、本当に辛くて、悲しくて、――だから、俺はお前の記憶の花びらを集めたんだ。……でもそれと同時に、その俺の身勝手な思いで、辛い目に遭わせてしまった」
ニュイは、フルールの両手を掴み、祈りのように語りかける。
「どうか責任を取らせてくれ。辛い過去も、思い出したくない記憶も、全て忘れてしまうぐらいに、俺がお前のことを幸せにするから。だから、これからもずっと、一緒にいてほしいんだ」
髪飾りをそっと優しく、フルールの頭へ付ける。
フルールに髪飾りを渡すことのできた安堵感が勝ってしまったのか、ニュイの中で張り詰めていた緊張の糸がそのまま切れてしまった。
「お前に、渡すことができて、本当に…良かった…」
ニュイはそこまで言いかけて、フルールの目の前で倒れこんでしまった。
「……ニュイ?どうしたの?ねぇ、ニュイってば!?」
目の前で倒れてしまったニュイの肩を揺すって、起こそうとするフルール。
すると、そんな彼らの様子を見ていた男が声をかけてきた。
「――お嬢。ニュイの旦那は疲れて眠ってしまっただけですよ。せっかく旦那のために飯も用意したんですがね。先に眠られてしまったら、どうしようもないな、こりゃ」
空笑いするのこぎり草に対して、フルールは真面目な表情で問いかけた。
「のこぎり草。あなたは、全て知っているのよね?この館で行われている非道な実験のことも、そして私の過去のことも――」
「……もう色々と思い出されたみたいですね」
のこぎり草はフルールの真剣な眼差しに対し、真摯に受け止める。
「お話ししましょうか。お嬢の過去、俺たち植物人間のこと――そして何より、お嬢の父親のことも、ね」
***
「まさか、本当に、そんな……」
ニュイをのこぎり草の部屋まで運び、ベッドで寝かせた後、フルールとのこぎり草は廊下にて話をしていた。
「じゃあ、ニュイが言っていたことは全て本当だったの?」
「ええ。旦那が命を掛けて、お嬢の髪飾りの欠けた花びらを集めたのは事実ですぜ。まぁ、館内の色々な人間の思惑が入り乱れて、殺し合いに発展したのも事実なのですが」
のこぎり草は腕を組み、壁に背を預けたままフルールに問いかける。
「お嬢。主人は、この惨状を目の当たりにして、ニュイの旦那を許すわけがありません。死ぬよりも辛い目に遭わせるでしょうな」
「……」
「お嬢はそれでも、ニュイの旦那と一緒に行くのですかい?」
その問いに、フルールは自分の気持ちに正直にこう答えた。
「ニュイは……私の側にずっといたいと、言ってくれた。その気持ちだけは嘘じゃないと、正直に伝わったから。私は、その気持ちに応えてあげたいの」
「そうですか。なら、この館を出てお逃げになった方がいいかと。主人が戻ってくるのは、早くて明日の10時ぐらいでしょうし。早朝には、この館を出なさいな。道中、お金が足りなくなることがないように、これを持って行きなさい」
のこぎり草はそう言って、懐から取り出した路銭を渡す。それと同時に、カプセル状の錠剤をフルールに渡した。
「それと、ニュイの旦那が起きたら、この薬を飲ませてやってください」
「これは?」
「マンドラゴラへと変貌するのを長時間抑える薬です。睡蓮の姉御の研究成果の一つです」
「じゃ、じゃあ!これを飲めば、ニュイはマンドラゴラにならずに済むのね!?」
「ですが、太陽の光に当たると、薬の効果も期待できません。なので、できるだけ室内にいるか、外に出る時は帽子を被った方がいいですぜ」
「わかったわ、ニュイに伝えておくわ」
「それと役に立つかは分かりませんが、ニュイの旦那にこれも渡してください」
のこぎり草は、背中に背負っていた刃物のノコギリを下ろして、そのまま壁に立てかける。
「守ると決めたヒトがいるなら、この剣で守ってみせよ――と、俺からの伝言があったと、伝えてくださいな」
そう言い残して、のこぎり草は階下へと降りていこうとする。
フルールは、去り際の彼の背中に問いかける。
「のこぎり草、あなたはこれからどうするの?」
「俺も、今後の身の振り方については絶賛悩んでいるところでしてね」
顔だけ振り返って、彼は神妙な面持ちでこう答える。
「ただ、今のままじゃ、多くの人たちが不幸になるだけだよな、と。それだけは、何とかして止めたいと、そう思っていますよ」
そう言い残して、のこぎり草は階下へと降りて行く。
彼の足音が完全に聞こえなくなった後で、フルールはニュイの眠る部屋へと戻った。
ニュイは静かに寝息を立てている。
フルールは、彼の所々、土色と化した腕の皮膚を見て、無意識にそっと撫でていた。そして彼の手を握り、頭だけベッドに凭れかかった。
朝日が昇るまでの少しの間、2人は夜の安らぎに身を休めるのであった。
***
睡蓮の部屋で、のこぎり草はパラパラと研究ノート捲っていた。
ついさっきまで、夜の噴水にて黙祷を捧げていたのだ。
睡蓮が花宝石の呪いにより、血塗れとなって噴水で浮かんでいたのを、目の当たりにし、言いようのない悲しみがのこぎり草を蝕んでいた。
そして、気がつけば睡蓮の部屋にまで足を運んでおり、机の上に散らばった研究ノートの1冊を手に取っていたのである。
そこには、マンドラゴラと化した人間を元に戻すための研究内容が難しい医学用語や、数式、魔術の知識を駆使して書かれていた。
のこぎり草はぼんやりとそれを眺めながら、独り言を漏らす。
「睡蓮の姉御も死んでしまった今、植物人間を元の人間へと戻すための秘薬の完成は夢物語となってしまった。俺じゃあ、頭がバカすぎて、こんな難しい研究は引き継げそうにない」
乾いた笑いを漏らし、のこぎり草は本を閉じて、机の上に戻す。
「俺は運よくマンドラゴラにならずに済んだけど、家族も、友達も、みんな俺の目の前でバケモノになってしまった。もう誰にも、こんな悲しい思いはして欲しくない」
空っぽとなった心のまま、数分の間、呆として立ち尽くしていた。
そして、虚ろな目をしたまま睡蓮の部屋を出ようとする。
その彼の手には――
調理場から持ってきた、小型の調理ナイフがあった。
「もうこれ以上、俺たちみたいな悲しい生き物を作り出さないためには」
のこぎり草は静かな殺意を滾らせて、こう呟いた。
「――主人を、殺すしかないよな」
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