Ⅲ
玄関前のソファーで待ちくたびれていたのか、黄薔薇姫は、ニュイの姿を見るや否や、挑発的に微笑んだ。
「遅かったじゃない。尻尾を巻いて、逃げ出したのかと思ったわ」
「……白薔薇さんを殺すための手段を、睡蓮さんから教わりました」
ニュイは懐から、白百合の入った小瓶を取り出した。黄薔薇姫は目を丸くした。
「何それ、白百合の入った瓶?」
「その瓶に向かって、白薔薇さんを殺したい気持ちを伝えてください」
ニュイが何を言っているのか理解できずに、黄薔薇姫は唖然とする。ニュイはそんな黄薔薇姫の反応を余所に、話を続ける。
「そうすれば、水は黒く濁り、中に入った白百合も黒く染まります。そうして出来た黒百合を使えば、白薔薇さんを呪い殺す事ができるそうです」
「睡蓮の魔術か。あのオカルト女、腕だけは確からしいから、信じてやるしかないか」
「俺では、完全に黒百合を作ることができませんでした。白薔薇さんへの憎しみや殺意を伝えるならば、あなたの方が適任かと思います」
「わかったわ。貸して」
半ば強引に、ニュイから瓶を奪い取ると、黄薔薇姫は大きく息を吸って、意識を集中させた。
そして、黄薔薇姫は、途切れることなく呪いの言葉を吐き続けた。
「絶対に許さない――
トリカブト様はいつもアイツを見ていた。焦がれるような目で、あの人の瞳には白薔薇しか写していなかった。私にはそこに入る余地も、心の隙間さえも空けてくれなかった。ただそれが悔しくて羨ましくて妬ましくて、私はどうしたらいいか分からなくて、ただ泣くしかなかった。私だって、こんなにトリカブト様を愛しているのに、アイツがいたせいで、いたせいで、いたせいで、いたせいでッッッ‼なんで、私が、こんなに、苦しまきゃいけないのか、ぜんぜん分からないカラ、許セナイ、許サナイ、絶対ニ許サナイカラ――ワタシカラ、トリカブトサマを奪ウナッ、邪魔ヲスルナッッ‼」
小瓶に入った水は段違いのスピードで黒く染まっていく。夜の闇よりも濃い、嫉妬の炎に染まった黒色は、見ているだけで狂いそうになるほどであった。
黄薔薇姫は息を切れ切れに、最後にこう告げた。
「…殺ス、殺シタイ、殺シテヤル。オマエの存在モ、トリカブトサマの心に残っているオマエの姿も、思い出も、何モカモを、消シテヤル。ゼッタイに――‼」
そして、黄薔薇姫は、怒りに任せて、小瓶を思い切り壁に投げつけた。
ガシャーン、とガラスが割れる音が館内に鋭く鳴り響き、ガラス片が散らばっていった。
ニュイは靴底でガラス片を踏む感触も厭わず、床に横たわった黒百合をそっと手にする。
「この黒百合を、白薔薇さんに向けて息を吹きかけてください。そうすれば、白薔薇さんを呪い殺せるはずです」
「…………」
息を荒げた黄薔薇姫は乱暴に黒百合を受け取ると、そのまま何も言わずに、礼拝堂へと向かっていく。ニュイは黙って彼女の後ろを付いていった。
――時刻は0:00を迎えようとしていた。
礼拝堂の扉からそっと中の様子を伺うと、トリカブトと白薔薇姫が未だに楽しそうに談笑している姿が目に入った。2人は寝ることも忘れて、このまま夜を過ごす勢いである。
黄薔薇姫はそんな2人の光景が許せないのか、苛立ちを隠せずにいた。
「……夢をみる時間は、もう終わりよ」
黄薔薇姫は、妬みと憎しみの色を瞳に宿し、白薔薇姫の姿をその目で捕らえた。黒百合を眼前に掲げ、口元に三日月を忍ばせた。
そして0:00を告げる鐘の音が、静かに館内に鳴り響く。
まるで魔法の溶けた少女が王子の傍から離れなければならないように。
黄薔薇姫は、2人の間を永遠に別つ呪いを、そっと告げた。
「――バイバイ、白薔薇。夢の続きはあの世でみてな」
黒百合に息を吹きかけると、黒い靄のようなものが流れるように、白薔薇姫の方へと向かっていく。
その黒い靄が、白薔薇姫に吸収されていくのに数秒と掛からなかった。
途端、白薔薇姫が苦しげに喉元を手で抑え始める。トリカブトは、急に容態が悪化した白薔薇姫へ心配そうに声をかけようとするも、何もかもが遅かった。
「あ、……あが…ああああ、ああぁぁぁあああ!?」
白薔薇姫は、呻き、奇声を発しながら、血反吐を吐き続ける。
全身の穴という穴から血を吹き出し、彼女の纏う純白のドレスは血で真っ赤に染まった。
そして、一際大きな声で断末魔を発した白薔薇姫は、そのまま倒れて動かなくなった。
――夜の礼拝堂にて、赤い薔薇が咲いたのだった。
「しろ、ばら……ひめ……?」
何が起こったのか、全く分からずにトリカブトは呆然とする。
先ほどまで握っていた彼女の手は、握り返してくれるわけもなく、血の生温かい感触だけが彼の手のひらに広がっていた。
ついさっきまで、優しく微笑み笑いかけてくれた白薔薇姫は、もういない。
自分は今、悪夢を見ているに違いない、と彼の頭は現実として受け入れることを拒んだ。
その時、背後からトリカブトを呼ぶ声が礼拝堂に響き渡った。
「トリカブト様〜‼」
黄薔薇姫の登場に、トリカブトは藁をも縋る思いで、助けを求める。
「き、黄薔薇姫……い、一体、何がどうなっているのか」
「ええ、トリカブト様を誑かしていた私の妹はもうこの世にいませんわ」
黄薔薇姫は足元で横たわる妹の白薔薇姫の死体に、蔑みの眼差しを向けていた。
「全く、我が不肖の妹がとんだご迷惑をおかけしましたわ。あのまま眠っていれば良かったものの、今更になって目を覚まして、トリカブト様の傍にいようとするなんて、図々しいったらありゃしない。私の方が、ずっとずーっと、お側にいた時間が長いのにねぇ」
唖然としていたトリカブトはようやく理解した。白薔薇姫は目の前の女に――殺意を持って殺されたのだと理解した。
最愛の人を奪われたその悲しみから、彼の瞳は復讐心に満ちた昏い色をしていた。
そして、彼は腰に携えた剣の柄に手を掛けた。だが、黄薔薇姫はそれに気づかないくらいに夢中で永遠の愛を彼へと告げた。
「でも、これで邪魔をする者はいませんわ。さぁ、トリカブト様。今後も、私とどうか華やかしい未来を一緒に歩みましょう――」
「――オマエが、白薔薇姫を殺したのか」
その一言の直後、鞘から抜かれた剣の一閃が黄薔薇姫の身体を貫く。息を吐く間もなく、貫かれた彼女の心臓。黄薔薇姫は、そのまま口の中まで逆流した血を吐く他なかった。
「…と、りカブト、さ…ま……どう、して」
何が起こったのか分からないと言う表情で、黄薔薇姫は大量の出血に耐えられずに、そのまま自身の血溜まりの中で息絶えた。
刺突した剣を引き抜き、そのまま剣の柄から手を離したトリカブトは、天井を仰ぎ見た途端、大声で叫び始めた。
「ああ、あああ、あああぁぁぁぁああああ!?」
最愛の人を失った悲しみは計り知れず、彼の慟哭は夜の礼拝堂に響き渡る。
「神よ、どうして、どうしてッ!?2度も私から白薔薇姫を奪ったのです!?彼女と過ごすことのできなかった時間を――この7年間を、私は、必死に神(アナタ)に祈り捧げてきたではありませんかッ!?その敬虔な祈りさえも神(アナタ)は踏み躙り、嘲笑うというのですか!?一体、私が何をしたっていうんだッ‼どれほどの罪を重ねても、これほどの罰を超えるものなど存在するわけがないッ‼」
膝から崩れ落ち、咽び泣きながら彼は蹲ってしまった。
「……絶望した。私は、もう何も信じない。白薔薇姫のいないこの世界に興味なんてない。色鮮やかだった私の未来は一瞬で、寂しい灰色にしか見えなくなってしまった。こんなところに居るくらいなら、死んだほうがマシだ。――嗚呼、そうだとも、死んだほうがマシだッ!?」
彼は現実を受け容れることができずに、この不条理な運命をただ呪う他なかった。
そして、床に横たわる剣を手にし、その切っ先を自身の心臓へと当てがった。
カタカタと、剣を握る彼の手は震える。自分で自分の命を絶つことへの恐怖心よりも、この非情な運命に対する復讐心がついに勝ってしまう。
「…私は地獄の底からいくらでも叫ぼう。神(アナタ)の悪徳を、その穢れた存在を。燃え盛る復讐の業火に焼かれながら、怨嗟を謳い続けてやる‼この魂が、焼き切れるまでなッ‼」
その直後、彼は自ら命を断った。噴出する尋常ではない血の量に対して、脳が痛みを理解する前に、彼は息絶えた。
――夜の館にて、いくつもの花たちが死を粛々と咲かせることとなった。
礼拝堂の入り口、その扉の影で一部始終を見ていたニュイは、ゆっくりとトリカブトたちの死体現場まで歩みを進める。
「……ここまでのことをして、許されるわけがない」
一夜にして、今日初めて出会った多くの植物人間たちが死を迎えたこととなる。各々の願いや欲望がぶつかり合って始まった、この狂った殺人劇は最悪の結果を以って幕を閉じる。
「全部、俺のせいだ」
偶然とはいえ、自分がこの館に来たことが全ての元凶だったと、ニュイは自覚していた。各人の欲望や、願いを焚き付けて殺人や自殺に至らせる橋渡しをしてしまったのは紛れもなく自分であった、と。
だが、全てはフルールの記憶の花びらを集めるため――
どれだけの犠牲を払おうとも、殺人鬼として恐れられ、罵られようとも、生き残ってフルールの側に居続けたい――その思いだけが今のニュイにとっての生き方そのものだった。
「そうやって罪を重ねても、手を血で濡らすことを繰り返したとしても、俺はフルールの傍にいたいから」
何が何でも生き残ってみせる、とニュイは一呼吸おいた後、黄薔薇姫の死体から、ペンダントを奪う。そこに嵌められたフルールの記憶の花びらを取り出し、髪飾りに嵌めた。
――これでようやく、フルールの記憶の花びらは全て集まったこととなる。
「……あぁ、良かった。本当に良かった」
ニュイはフルールの髪飾りを優しく両手で握りしめる。
すると、無意識のうちに溢れた涙が、彼の頬を濡らしていた。
心の奥底で堰き止められていた思いの数々が、ニュイの中で溢れ返っていた。
今までずっと、フルールには名前すら覚えてもらえずに傷ついていた恋心。これからはもう、その心配はなくなり、安堵感に満たされている。
だが、そのために犠牲となり、死を迎えてしまった花たちの悲しい結末を嘆き、ニュイは泣きながら、膝から崩れ落ちた。
――そしてニュイは涙を拭いて、顔を上げた。
いつまでも泣いてはいられなかった。フルールの元へと急ぎ、彼女に髪飾りを渡さなければならない。
そして、今までのことを正直に話して、一緒に逃げるように彼女を説得する必要があった。話したところで、彼女が受け入れてくれるかは分からない。だが、フルールの父親が危険な魔術実験を行い、村を壊滅させている事実は揺るがない以上、彼女を連れてこの館から逃げなければならないのは明白だった。逃げて、然るべき人に対処してもらう以外に方法はなかった。
これ以上、別の村に実験の魔の手が及ばないためにも早急に行動に移す必要があった。
「……時間がない、急いでフルールを説得しないと」
睡蓮の話が本当ならば、医者のユヌは明日の午前中に帰ってくるらしい。夜は森に潜むマンドラゴラが活発に活動しているため、遅くとも明日早朝には館を出なければならない。
フルールの部屋へ向かうため、礼拝堂を後にしようとする。
ニュイは辺りを見渡した時、トリカブトの死体の周りだけ、紫色の血溜まりができていることに気づいた。
赤色ではなく、紫色に染まった血溜まりにニュイは違和感を覚える。
「……確か、トリカブトは強い毒性のある花だったような」
昔、母親から教わった言葉を思い出す。トリカブトの花が強い毒性を有しているならば、この紫色の血は致死性の高い毒を有しているかもしれない。そう思いニュイは睡蓮から貰った香水の入った小瓶を取り出し、トリカブトの血を汲み始める。
「フルールを守るための武器なら、何だって必要だ」
この毒を、枝葉の先に塗って相手に刺すだけでも、武器になる可能性がある。場合によっては食事にこの毒を盛って相手を毒殺できる可能性だってあった。
――その時、礼拝堂の入り口で扉がギギっと音を立てた。
ニュイは、人のいる気配に思わず振り向く。
そして、そこに立っていた人の姿を見て、驚きのあまり声を失った。
「……変な音がするから来てみたけど、ニュイ。これはどういうことなの?」
その扉の前に立っていたのはフルールだった。ニュイは今の状況を客観的に見たらどうなるか、すぐに考えに及んだ。
「フルール、違うんだ。これは、俺がやったんじゃな――」
だが、この状況下で疑いを晴らすことは不可能に近かった。
「いや、いや……いやぁぁぁぁぁ!?」
怯えきった眼差しを向けて、フルールはそのまま走り去った。ニュイは、反射的に体を起こし、必死に彼女を追いかけるのだった。
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