館内に鳴り響く行進曲風の軽快な曲。


 高音域の音がまるで童話の中の人形の奏でているような楽しさに満ちていた。

 だが、その軽快さとは裏腹にニュイはこの曲の暗示するものの正体を必死に考えていた。

「次は、どこに行けばいいんだ?」

 第3曲の『パゴダの女王レドロネット』の曲名の由来については、ニュイも朧げにしか覚えていなかった。確か人形の女王レドロネットの入浴中に他の人形たちが小さな楽器を奏でて女王を慰めるという話だったと思い出す。

 パゴダとは中国製の首振り陶器人形のことだが、この館にそれらしきものがあったかどうか、とニュイは考え込んでいた。

 その折、妖精がニュイのポケットからひょっこり顔を出した。

「お兄ちゃん、どうしたの?ずっと何かに悩んでいる顔をして」

「ん。まぁ、な。この館にさ、変わった人形とかなかったか、と気になってさ」

「変わった人形?うーん」

 打つ手がなかったとはいえ、妖精に相談してしまうとはとニュイは我ながら呆れてしまった。だが、その予想に反して妖精は何かを思い出したかのように、目を爛々と輝かせる。

「あ!人形ならあるよ!西館の物置のところに!」

「西館の、物置だって?」

 先ほど、得体の知れない魔物と出くわしたあの物置兼本棚のような場所である。

 ニュイの脳裏には、あの魔物の姿がチラついたが、極力思い出さないように努めようとする。

 ――そして、早歩きで西館の方へと急いだ。

「……ここだな」

 再び、西館奥の物置部屋の前まできたニュイは、音を立てぬようにゆっくりと扉を開けた。

 天井を見上げるも、先ほどの魔物が張り付いているような様子はないが、ニュイは用心して部屋へと入っていく。

 そして、机の横の棚に置かれた東洋式の捻子巻き式人形を発見した。

「この人形、ネジ巻き式か」

「ずっとここに置いてあるんだ。なんでだろうね?」

 ニュイは人形の背中にある捻子を回そうと力を込めるも、捻子は回らなかった。

「でも、これネジが錆びていて回せないみたいだ」

「そう?僕がちょっと中に入るよ」

 妖精は、背後の首筋に空いた穴から人形の中に入ると、噛み合わない歯車の位置調整をしてくれた。

 そうして、数分も経たない内に、人形の首筋からひょっこり顔を出す。

「中の歯車を弄ってみたよ。回してみて」

「ああ、ありがとう。じゃあ、そこから抜け出してくれないか」

「うん。ちょっと待ってね……あれ?」

 顔だけ出した妖精は、踏ん張って人形から抜け出そうとするも、中々上手くいかない様子であった。

 ニュイは心配になって、声をかける。

「どうした?もしかして出られないのか?」

「うん。困った、出れない」

 妖精も踏ん張ったせいで力尽きたのか、人形から出れずに困っているようであった。

 ニュイもどうすれば良いかと悩んでいた。今も、館内には第3曲の『パゴダの女王レドロネット』が鳴り響いている。


 ――曲名の由来は、人形の女王レドロネットの入浴中に他の人形たちが小さな楽器を奏でて女王を慰めるという話だった。


 ニュイはもう既に、月見草のメッセージを理解していた。月見草と会うためには、この人形の捻子を回して、音楽を奏でさせることなのだと。

「…やっと、手掛かりを見つけることができたのに」

 明日の朝には、もう館を探索することもできず、そのまま村へと帰らなければならないだろう。そうなれば、月見草と会う機会はもう無くなってしまう。

「何より、フルールを、助けることができなくなってしまうじゃないか」

 そういった不安や焦燥が徐々に、悪魔となってニュイの耳元で囁いた。


 ――ナラ、コノママ回シテシマエバイイ


「……っツ!?」

 先ほどのズキリ、という鈍い痛みが頭にまた蘇る。

 それを機に、思考は徐々に正常を保てずに狂いそうになる。

 心臓が鼓動を打つ度に、頭蓋骨が軋みを上げるほどの痛みに襲われる。

 黒々とした負の感情が濁流の如く、押し寄せてくるようであった。

 ニュイは耐え切れずに、両手で頭を抑える他なかった。

 ――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、イタイ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、痛イ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ


「ど、どうしたの?」

「………」

「ねぇ、はやく助け」

 妖精の助けを無視して、ニュイはそのまま力一杯捻子を回した。

 妖精は人形の中の歯車に引っかかったせいで、再び人形の中へと引き摺り込まれてしまう。

 捻子を回すごとに、ぐちゃり、ぐちゃりと妖精の体を引き裂く感触をニュイは味わっていた。

 人形の中で、妖精が爆ぜ、血まみれとなったせいか。人形の背中に赤い血が滲んできていた。

 最後まで捻子を回し終えると、その手を離す。すると、人形は首をカクカクさせながら不気味に笑った。


 ――優しい、オルゴールの音が流れる。


 そしてニュイは、正気に戻った。

「あ、あれ、俺は、一体何をして――」

 人形の背が、妖精の血で染まっているのを見て、ニュイは全てを思い出す。

 捻子を回して、妖精の体を、引き裂いた感覚――

「ち、ちが……俺はこんなこと望んで」

 だが、懸命に否定しようとする言葉とは裏腹に、ニュイは確かに感じていた。 

 突然の頭痛に襲われた最中、心の中で渦巻いていた確かな感情。吐き気を催すほどの、どす黒い衝動。

 ――それは、殺意。

 ニュイは、殺意を持って捻子を回したのだ。

 その感覚は、泥のようにこべりついてニュイから離れてはくれなかった。

 ふらつく体を支えられずに、ニュイは机に凭れ掛かって呼吸を整えようとする。

 

 どのくらいの時間が経ったのだろう。

 館内を流れるピアノの音はまだ続いている。

 ニュイは、虚ろな瞳で辺りを見渡し始める。

 すると、部屋の奥の隅、先ほどまで壁であった場所から何故か、階段が見える。

「さっきまで、こんな階段なかったのに」

 ニュイには分かっていた。この階段は月見草の部屋へと続く階段なのだと。

 月見草が呼んでいる――彼女が自分を呼ぶ理由は分からないが、少なくとも今の自分にはどうしても月見草に会わなければならない理由がある。

「花宝石を、分けてもらわないと」

 全ては、フルールを助けるため。ニュイは、その思いだけは決して揺らぐことがなかった。そのまま階段を踏みしめて上って行った。

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