第4章:眠れる森の美女

「玄関には、やっぱり鍵らしきものは落ちてないよな」

 玄関前にて、ニュイは地べたを這っていた。

 ソファーの下、受話器の置かれた猫脚台の下、壁の隙間――鍵の落ちていると思しき場所を隈なく探したつもりであったが、一向に鍵は見つけられなかった。

「黄薔薇さん、ここで本を読んでいるって聞いたのにな。ここに無ければ、東館の礼拝堂にも行ってみようか」

 そう思い立ち、玄関を後にしようとした。

 だが、ニュイは突如ピタリと立ち止まり、自身を襲う異変に気づく。

 頭が、締め付けられるように痛い?そう思った瞬間、痛みは激しさを増して、襲いかかってくる。

 ニュイは、その痛みに耐え切れず、両手で頭を抑え始めた。

「……!?何だ、急に頭が痛くなって」。

 それは、頭蓋骨を内側から無理やり拡げられるような痛みであった。

 何かの病かと疑うも思い当たる節がなく、ただ症状が治るのを祈る他なかった。

 

 ――そうして徐々に痛みが引いていったのは数分後のことだった。


「……何だったんだ、これ?」

 息を切れ切れに、自身を襲った謎の病をニュイは反芻する。熱があるような辛さはなかった。どちらかというと、頭に異物が入っていたかのような感覚を思い出し、ニュイはゾッとする。

 頭痛――そのキーワードが脳裏に過ぎった際、ニュイは今朝の母の姿を思い出した。

「そういえば、母さんも、村の人も最近、頭が痛いって」

 もしかして、何か関係があるのだろうか、とニュイは立ち止まって考える。もしも、今の頭痛の症状が母さんも含めた村の人たちと同じならばと、不安を掻き立てられる。

だか、ニュイはそこまで考えて頭を振った。季節の変わり目による体調不良か、風邪の類だとみんなそう言っていたではないか、と自分にそう言い聞かせた。

「それよりも、早くフルールを助けないと」

 そして、未だ足を踏み入れたことのない、東館へとニュイは歩みを進めていく。

 東館には大きな扉があるだけで、他には変わったことは無いようであった。その扉をゆっくりと押し広げる。

「……ここが、礼拝堂?」

 礼拝堂の中を一歩踏みしめるごとにその雰囲気に圧倒されそうになる。

 荘厳なる空間。

 時の流れが止まったかのように辺りは静謐に満ちている。

 ステンドグラスに反射する柔らかな光が堂内をより神秘的に映し出していた。身廊を中心にシンメトリー状に続く長椅子の奥に教壇が見える。

 その壇上付近で、青いマントを羽織った男の人が背を向けて佇んでいる。そして、その男の足元には、棺のような物が置かれていた。

 ニュイの気配に気づいたのか、その男はこちらを振り向いた。

「君は、誰だい?」

 その青年は、騎士のような格好をしていた。凛々しい顔立ちに、腰に剣を携えている。手首にはガントレットを身につけているが、それ以外の体の部位には甲冑を身に纏っていない。

 そして何より特徴的だったのが、青紫色の花をまるで兜のようにして被っていることだった。ニュイはその花に見覚えがあった――トリカブトの花だと、この人が黄薔薇姫から慕われている人なのだと、そう理解した。

「あ、すみません。俺はのこぎり草さんの知り合いでして」

「ああ。彼から聞いているよ。大切な客人だってね。私はトリカブトという者だ。よろしく」

「はい。よろしくお願いします。そして、この方は?」

 日の光を忘れたかのような白い肌に、純白のドレスを着たまま棺の中で眠りについている姫君がそこにはいた。その彼女の頭には白色の薔薇が飾ってあった。

「私のフィアンセの白薔薇姫だよ。この棺の中で永遠の眠りへ就いてしまう呪いをかけられてしまったのだけれどね。館の皆からは『茨姫』なんて呼ばれているんだ」

「どうして、こんなことに?」

 トリカブトは、昔を思い出すかのように遠い目をして語り始める。

「白薔薇姫は、薔薇三姉妹の三女でね。私との正式な結婚が決まった時に、長女の紫薔薇姫の手によって呪いをかけられてしまったのだよ。個人的な恨みがあったのか。彼女の私情は今となってはもう分からないが、もう何年もの間、白薔薇姫はここで眠っている」

「その、紫のお姉さんは今?」

「白薔薇姫に呪いをかけた罪で処刑にされたよ。今はもう次女の黄薔薇姫の2人しか薔薇姉妹はいないんだ」

 トリカブトは、棺に眠る白薔薇姫へ優しい眼差しを向けた。

「私はただ、こうして毎日礼拝堂に来ては、白薔薇姫の呪いが解けるように、祈りを捧げるしかなくてね。騎士として、あまりに無力なのだが、私にはこうする他ないのだよ」

「……どうすれば、呪いが解けるのでしょうか?」

 心配するニュイを見て、トリカブトは少し嬉しそうに微笑んでくれた。

「この棺さえ開ければ手の施しようがあるかもしれないのだが、この棺自体が強力な魔術によって閉じられていてね。私ではどうすることもできないのだよ。棺の鍵もどこにあるのか、分からないしね」

「……そうなのですか」

「黄薔薇姫が言うには、姉の紫薔薇姫は棺の鍵を妖精に隠させたらしい。妖精たちにどこへ隠したのかを問いただそうとするのだけれど、いつも間違った場所を探させられてね。その様子が可笑しいのか、いつもバカにするように笑われるのさ」

「じゃあ、妖精たちは本当の鍵の場所を知ってはいるのですね?」

「どうだろう。僕の予想だけれど、彼らはもう隠した場所を忘れてしまっていると思うよ。それに、館の中に隠したとは限らないし、探すのは非常に難しいだろう」

 トリカブトの話を聞きながら、ニュイは白薔薇姫を見る。


 ――死んだように眠る白薔薇姫。

 その真っ白なドレスの上に、胸元のペンダントだけが違う色を放っていた。

ニュイは、彼女の胸元のペンダントに収まっている〝花びら〟を偶然にも見つけてしまった。

 その薄青色の花弁は、さながら少女の涙を象っているかのようにも見える。

 だが、それは宝石の類ではなく、間違いなくフルールの記憶の花びらであった。

「あ、あれは……もしかして、フルールの!?」

 なぜ、白薔薇姫がフルールの記憶の花びらの一部をペンダントとして持っているのか、ニュイには分からなかった。

そして、どうやってこの棺を開ければいいのか、と思いニュイは立ち尽くす。

 

 ――その折、どこからともなくピアノの音が館内に優しく響き渡った。


「このピアノ曲は!?」

「ああ、月見草がピアノを弾いているのだろう。でも珍しいな。こんな時間からピアノを弾くことなんて滅多にないのだが」

 トリカブトはそう言うと、ニュイの方を数秒見つめてから納得したかのような表情を見せる。

「もしかしたら、彼女なりの君へのメッセージなのかもね。彼女に会いに行ってみるといい。それに間近で聞けば、もっと耳が幸せになれるよ」

 トリカブトはそう言い残して、礼拝堂から立ち去っていった。

 ニュイは、この曲に聞き覚えがあった。幼い頃、まだこの村に引っ越してくる前に母とよくピアノで弾いた曲。

「この曲、『マ・メール・ロワ』か?」

 ――『マ・メール・ロワ』は、モーリス・ラヴェルが『マザー・グース』を題材にして作曲したピアノ四手連弾の組曲である。

 そして今、館内に流れているかのピアノ曲はその第1曲である『眠れる森の美女のバヴァーヌ』であった。

「眠れる森の、美女?」

 ――紡ぎ車の錘が指に刺さって死ぬという呪いを、魔女にかけられた王女の童話。

 王女は15歳になった時、呪いの通りに紡ぎ車の錘が指に刺さり、深い眠りに落ちてしまう。

 王女の眠る城の周りの茨は急速に繁茂し、そして誰も入れなくなった。

 長い年月が過ぎ、古城で眠る姫君の噂を聞きつけ、王子が城を訪れる。そして、城の中で眠る姫君を見つけた王子がキスをして、王女が目覚める話である。


 童話の話を思い返した折、ニュイはハッとして気づいた。

「もしや、白薔薇さんのことを曲で暗示しているのか?」

 月見草に試されているのかもしれない、とニュイはそう思った。

 その時、ニュイは足元にて小さな鍵を見つけた。

「……この鍵?」

 ニュイは鍵を拾い、それを頭上に掲げる。だが、白薔薇姫が眠る棺の鍵穴には明らかに合わないことから、違う鍵だとすぐに理解した。

「もしかして、これが黄薔薇さんが落とした宝箱の鍵じゃ?」

 ニュイは礼拝堂を後にして、宝箱に閉じ込められた妖精を助けに向かおうとする。

扉に手をかけた時、タイミングを見計らったかのように、第1曲が終わりを告げる。

「確か、次の第2曲は」

 ニュイが言い終える前に、第2曲である『親指小僧』が流れ始めていた。

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