Ⅲ
夜の西館は静謐に満たされていた。
そして、赤い絨毯が敷き詰められた廊下をニュイは歩く。
窓から差し込む月明かりだけが、一寸先をぼうっと明るく照らしている。手持ちにランプでもあれば細かなところにまで気付けたかもしれないが、この薄暗さなら肉眼でも問題ないとニュイはそう判断する。
「……迂闊にランプなんて使ったらヤバいよな、きっと」
ニュイは、大きな音を立てないように気をつけるのはもちろんの事、光もできるだけ使わないように決めていた。自ら居場所を知らせるような真似をすれば、自分の命に関わるかもしれないからだ。
睡蓮の言っていた〝館に潜む番犬〟の正体が、もしもウツボカヅラのような食人花の類であれば、尚更だった。
西館は、居住用の寝室がずうっと奥まで並んでいた。
各部屋の表札には花の名前が記されていたので、西館は住人たちの部屋が割り当てられていることがわかる。
手前から順に――睡蓮、ウツボカヅラ、トリカブト、薔薇姉妹――と表札には書かれていた。
「本当に月見草さんの部屋はないんだな」
睡蓮の言っていた通り、月見草はどこか違う場所に幽閉されているらしい。
ニュイはとりあえず妖精が閉じ込められてしまった宝箱の鍵を貰いに、黄薔薇姫の部屋を訪ねる。軽く深呼吸をした後に、部屋の扉をノックした。
すると、来客に気づいた黄薔薇姫が勢いよく扉を開けた。
「――トリカブト様っ!?」
王子を待つ姫のように、期待で目を輝かせる黄薔薇姫であったが、来客の姿を一目見て、すぐに残念そうな表情に戻る。
「…って、アンタ。のこぎりの友達じゃない。私に何か用?」
先ほどの花占いの効果だろうか。顔色を伺うも、とりわけ機嫌は悪くなさそうである。ニュイは好機とみてそのまま質問する。
「お休み中、ごめんなさい。ちょっとお尋ねさせていただきたいことがありまして…。玄関に置いてある何も入っていない宝箱って黄薔薇さんのですよね?」
「ええ、そうよ。いらないから玄関の飾りに置いておいたのだけれど、あれがどうかしたの?」
「妖精さんが間違ってあの宝箱に隠れちゃったみたいでして、可哀想なので開けてあげようかと思ったのですが、鍵がかかっちゃいまして」
「なんだ、そんなこと」
黄薔薇姫は鍵の場所を思い出そうとするも、すぐに考えるのを諦めた。
「実はあの宝箱の鍵、ずうっと見当たらなくてね。私はあまり館の外には出ないからどこかに落としてしまったとしたら、館の中だと思う。よく行く場所としては北側の食堂か、東館の礼拝堂、後は玄関のソファーで本を読むことが多いから、そのあたりかしらね?」
簡単には宝箱の鍵は見つからなそうだと、ニュイは気が萎えてしまっていた。最悪、宝箱を破壊して救出する方が早いのではないか、と考え始める。
「分かりました、そのあたりを探してみますね。貴重な情報をありがとうございました」
「ええ、構わないわよ。それよりもアナタ、あまりこの館をうろつかない方がいいわよ?」
「……すみません、部屋にいても寝付けなくてつい歩き回っちゃって」
「そう。ほどほどにしておきなさいよ」
去りゆくニュイの背中を目で追いながら、黄薔薇姫は消え入るような声で呟いた。
「――死にたくなかったら、ね」
ニュイは、何か言われたかと思い、すぐに振り返るも、部屋の扉が閉まる音を最後に聞いただけだった。
***
西館はこれ以上探せる場所はないようで、完全に行き詰まりとなった。
だが、廊下奥には一室だけ、表札も何もかかっていない部屋があった。
「……この部屋には誰もいないのか?」
ノックするも、返事は何もない。ニュイはドアノブに手をかけ、そっと捻ってみる。すると、鍵は掛かっていなかったのか、ドアはギィィと音を立ててゆっくりと開いた。
明かりがないため、部屋の細部まではよく分からない。
だが、肉眼で見る限りだとその部屋は人が住んでいたような形跡はなく、書庫や物置のような印象を受けた。
ニュイは足元に散らばっている書物に足を引っ掛けないように気をつけながら、月明かりを頼りに、部屋を調べ始める。
主に、本棚が部屋の大半を占めている。
どんな本があるのか、と一冊を適当にとってみるも、難しい題名の古書で当然中身をみてもニュイには理解できなかった。
そして、本を読むスペースみたいな場所があり、机と椅子と、何かのアンティークらしき小物で溢れ返った棚がある。
その棚には、幾何学的な紋様の描かれた円盤、東洋産と思われるねじまき人形、埃を被った鏡、女神を象った彫刻の類が置かれていた。
そして棚の引き出しを開けると、年季の入ったペンや懐中時計が入っており、とりわけ何かヒントとなるようなものは見当たらなかった。
「もうちょっと、手掛かりになりそうなものを探してみるか」
ニュイがそう言って、重い腰をゆっくりと上げた時だった。
――突如、バタン、と物が落下したような大きな音がした。
一瞬、ニュイは心臓が止まりそうになるほどびっくりしていたが、どうやら本棚から何かの本が落ちてしまったらしい。
音のした方を見た時、ニュイは驚きで声を漏らしそうになった。
闇の中に浮かぶ、赤い双眸――
キシキシ、と軋むような音を出して畝る胴体は、天井に張り付いている。
その異形の怪物は、本の落ちた場所をじっと、見つめてから上体をくねらせて天井から床へと向かって伸びていく。
全長3mはあるだろうか。
まるで大型の蛇を目の前にしているような心地で、ニュイは固まって動けずにいた。
ただ、見つからないように背を縮めて机や椅子の影に隠れようとする。
恐怖で息を荒げそうになるも、必死に抑えて息を殺す。
ちょっとでも大きな音を立ててしまえば、すぐにこちらに気づいてしまうことは明白だった。
足の震えは止まない。
冷たい手で心臓を鷲掴みにされているかのようであった。
ニュイは蹲ったまま耐え続けた。
――そして、ニュイはふと目を開けて辺りの様子をゆっくりと見渡す。
さっきまで半開きであった部屋のドアが全開している。どうやら、怪物はこの部屋から出て行ったらしい。
ニュイは呼吸を整えて、今起こったことを振り返ろうとする。
「……なんだったんだ?あのバケモノは…」
あれが、睡蓮の言っていた館の番犬か、とニュイは身震いする。
大蛇のような体躯に、蜘蛛のような節足を携えた未知のバケモノ――
思い出すだけで、全身を巡る震えは止まずに、ニュイはその場で蹲ってしまう。
次にあの怪物と遭遇することがあれば、確実に殺されることが目に見えていた。
ウツボカヅラの大男と違って、走っても逃げ切れる相手じゃない。ならば、部屋で待機して朝まで安全に過ごすべきだと、そうしたい気持ちが何度も湧いた。
――だが、ニュイの頭にはフルールの姿が何度も頭に過ぎった。
ニュイは、震える手で右ポケットにあるフルールの髪飾りをそっと優しく握りしめた。心が挫けてしまわないように、フルールの姿を思い描いた。
すると、少しだけ沸々と勇気が心の奥底から湧いてくるのをニュイは感じた。
「それでも。フルールを、助けなくちゃ」
恐怖で震える足に力を込めて、ニュイは物置部屋を後にする。
――壁に凭れ掛かり、窓から外の景色を見上げれば、月が微笑むように淡く光り輝いていた。
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