第3章:植物人間の住まう館

「村のみんなに、心配かけてしまったな」

 母さんには戻った時に何て言い訳をしたらいいのだろう、とニュイは床に寝そべり、何度も寝返りを打っていた。

 眠気はないのか、かれこれ30分ほど答えの出ない自問を繰り返していた。

「それに、どうして、この館の人たちは植物の仮装をしているんだ?」

 仮装趣味を持つ人たちが集う館なのだろうか。それにしては、各自モチーフとする花の名前で呼び合ったりする徹底振りには驚かされるが、ありえなくはない話だ。

 けれど、どうしてこんな森の奥で彼らは暮らしているのか。

「意味が分からないよな、本当に」

 ノコギリソウ、バラ…現時点で会った人たちはこの2人だけ。

「まだ他にもこの館には花に成り切った人たちがいるんじゃ――」

 そこまで言いかけると、気づいたことがあったのか。ニュイは反射的に上体を起こす。

「ちょっと待て。それじゃあ、フルールは何なんだ?」

 フルールも何かの花をモチーフとしているのか、とそう疑問を抱いた。彼女に渡しそびれた髪飾りを取り出し、そのまま宙に翳した。

 薄青色の花びらは2弁しか付いていない。だが、この花弁と花冠の特徴を表す花は一つしかない。

「やっぱり、この花はワスレナグサだよな」

 ワスレナグサ――

 その花言葉の由来は、中世ドイツの悲恋伝説――

 愛する恋人のために、川岸に咲くこの花を取ろうとして命を落とした、騎士の伝説にちなんで付けられた――


 その花言葉は、〝私を忘れないで〟――


「……まさか」

 厭な予感が全身を駆け巡る。ニュイはその予感を口にした。

「フルールが、忘れやすい性格をしているのと、もしかして何か関係が?」

 有り得る話だと、そう思うもニュイは頭を振って考えをやめた。完全に邪推の域に達していたからだ。

 のこぎり草に聞けば今抱えている大抵の疑問は解消するかもしれないが、生憎、彼は今夕食の支度で忙しいらしい。

 もやもやとした気持ちのまま、せめて外の空気を吸おうとニュイは窓を開けた。


 目下には先ほどの庭一面が見渡せた。

 すると、その噴水の上の段に腰を下ろしている人影が見えた。日が落ちてしまったため、姿形ははっきりと見えない。だが、人間らしい仕草に誰かがいると、確信を持つ。

「あんな人、さっきまでいたか…?」

 噴水にて佇むその人影はニュイの視線に気づいたのか、館の方を見上げた。

そして、庭に来るように手招きしている。

「こっちに来い、と言っているのか?」

 あまりにもこの館と住人についての謎が深まるばかりだったので、ニュイはその人影に会って色々と尋ねてみることにした。フルールに注意された手前、勝手に館を徘徊するのも気が引けたのか、大きな音は立てないようにゆっくりと階下へと歩いていく。

 そして、玄関の扉に手をかけた。

 噴水には未だ、夜空を眺めている人影があった。近づくにつれて、その姿が露わになる。

 黒を基調としたレース、フリル、リボンに飾られた華美な洋服に、スカートはパニエで脹らませて、靴は編み上げのブーツ。

 ――そして何より、彼女の頭には睡蓮の花が咲いていた。

「睡蓮の、花。まただ。また花と関係のある人だ」

 その女性はゆっくりとこちらへと振り向いた。

「へぇ。確か、のこぎり草の知り合いなんですってね、アナタ。私は睡蓮よ。よろしくね」

 妖艶に微笑む彼女に、思わずドキッとしてしまう。月明かりの下、ゴシックドレスに身を纏い佇む彼女の姿はとこまでも魔的だった。

「此処に居てもいいけれど、花壇に咲いている白百合には触ったり、悪口を言ったりしないでね。私が丹精込めて育てているのだから」

 睡蓮の言う通り、花壇には白百合が咲いている。

睡蓮の話の中に引っかかる言葉があり、ニュイは尋ねる。

「勝手に触ったりはしませんよ。でも、悪口を言っても花には言葉なんて通じないと思いますが?」

「何を言っているの」

 語気を強めに、睡蓮は諭すようにしてこう答える。

「――花も水も言葉を理解し、生きているの。だからアナタが悪口をいえば、水は濁り、花は色褪せ、枯れてしまうでしょう」

 

 花壇を一瞥し終えると、睡蓮は再びこちらへと向き直る。

「それはそうと、アナタ。のこぎり草の客人らしいわね。彼に知り合いがいるなんて初耳だけど、どういう仲なのかしら?」

「ええっと、それは」

 どう話したものか、とニュイは戸惑っていた。

 友達に森へ入るように誘われて、途中マンドラゴラに襲われてしまって、何とかこの館に泊めてもらえた…と頭の中では理解できているも、どう簡潔に話せばいいものか分からなかった。

 その様子が可笑しかったのか、睡蓮はクスリと意地悪そうな笑みを浮かべる。

「冗談よ。揶揄ってみただけ。どちらかと言うとフルールの知り合いじゃないかしら?」

「え、フルールは俺のことをみんなに話していたのですか!?」

「あらあら。嬉しそうな顔をしちゃって」

 睡蓮の手のひらの上で踊らされている感覚に、ニュイは思わず赤面して俯いてしまう。睡蓮は、くすくすと小さく笑った後に、こう告げた。

「本当は、この森に足を踏み入れてしまって帰れなくなったのでしょう?」

 見透かすような視線に、ニュイはただ首を縦に振って答えた。

「あのキィキィ煩い黄薔薇を見事、黙らせてくれたのは評価するわ。花占いが叶わなかった時の黄薔薇の鬱陶しさと言ったら酷いものですから。だから、私からもお礼を差し上げましょう」

 睡蓮はどこからともなく3枚の紙切れを取り出した。それを軽く宙へ投げると紙切れはすうっと流れるようにしてニュイの手に収まった。

「これは?」

「マンドラゴラはね、犬に弱いの。その護符を宙に放り投げれば、影狼が現れ、アナタをマンドラゴラから守ってくれるでしょう。日中、明るいと言えどこの森から村まで一人で帰るのは大変でしょうし、ね」

 渡された護符の扱いに戸惑いながら、ニュイはとりあえずポケットの中に護符を収める。

 ――そしてふと、この人になら今までの疑問をぶつけてもいいのではないかと、ニュイはそう思い始めた。

「……幾つか質問があるのですが、よろしいでしょうか?」

「私で答えられる範囲でなら、お答えしましょう」

 どこから手を付ければいいかと、ニュイは頭の中で整理する。

「睡蓮さんや、のこぎり草さん、黄薔薇さんはこの館の住人なのですよね?」

「そうよ、それが何か?」

「言いにくいのですが。皆さんは花に纏わる名前と姿をしていらっしゃいますよね?もしかして、この館では仮装する決まりでもあるのかと、思いまして」

「……ふふっ」

 口元に手を当て、睡蓮は小さく笑う。そして、何か含みのある笑みのままこう答えた。

「仮装趣味なら可愛いものだと思うわ。私も、望んでこの姿をしているわけではないからね」

「……?」

 睡蓮の含みを持たせた発言に、ニュイは理解できずに固まって動けなかった。

 一呼吸置いてから彼女はこう告げた。


「――この館はね、植物に呪われた者たちの住まう館なのよ」


「植物に呪われた?」

 睡蓮の言葉を反芻するも、上手く噛み砕けずに理解には至らない。そのニュイの様子を見かねたのか、睡蓮は嘆息しつつ、提案をよこしてくる。

「納得が行くわけないわよね。そうね…じゃあ、私からのお願い事を聞いてくれたら教えてあげてもいいわ」

 睡蓮はそう言って、どこか恨めしげな表情をして館を見上げる。

「この館のどこかにね、月見草という女の人がいるわ。その人から花宝石をもらってきてちょうだい」

「花宝石……初めて聞きますね」

「ええ、古代の花を象った珍しい宝石の一種よ。その美しさを理解する者に最大の恩恵を与えると言われている。私の魔術研究も捗るに違いないのだけれど、一度も目にしたことがなくてね」

「月見草さんに直接お願いしてはダメなのですか?」

 睡蓮は呆れた表情で一蹴してくる。

「頑なに断られ続けてきたに決まっているでしょう?それに月見草って主人のお気に入りなのか、おそらく館の隠し部屋に幽閉されているのよ。普段滅多に出会えないし、館のどこにいるのかも分からないしで、お手上げ状態ってわけ。だから部外者のアナタならば、もしかすると見つけ出せるかも、と思ってね」

「そんな無茶な。仮に月見草さんと出会えても、断られたらどうすれば…?」

 不安げに表情を曇らすニュイに対し、睡蓮は冷たい視線を向けたまま答える。

「手段を選ぶ必要なんてないわ。何のために、その影狼の召喚護符を渡したと思っているの?」

 殺気を孕んだその言葉に、ニュイは思わずたじろぐ。

「月見草さんを殺してでも奪え、ということですか…!?」

「ええ、もちろんよ。今、アナタが知りたがっていることは、花宝石と交換でなら教えて差し上げましょう」

「俺は、別に人を殺してまで知りたいとは思いません。それなら結構です」

「あら、そう。残念――」

 睡蓮からの言葉が途切れ、再びその視線を夜空へと向けている。

 ニュイは貴重な情報を得る機会を逃したことを悔む。だが、睡蓮に聞かずとものこぎり草に聞けばいい、と自分に言い聞かせる。

 その去り際に、睡蓮はニュイの背中に問いかけた。


「――フルールを、助けたくないの?」


意中の子がまるで今、危険な状況にあるような言い方をされて、ニュイは立ち止まる。

 言葉巧みに罠にかけようとしているかもしれない、と念頭に置きながらニュイは振り返る。

「……どうして、フルールが話に出てくるのですか?」

「フルールも植物に呪われた者の一人だから、よ」

 淡々と睡蓮は重要な事実を告げる。ニュイが完全に自分の手中に落ちたと見て、彼女は大げさに声のトーンを変えながら、話を続ける。

「あの子は、ワスレナグサの花に呪われているわ。このままだと記憶障害がさらに酷くなって普通に生活できなくなるかもしれない。そうなってしまえば、アナタの事も完全に覚えられなくなる日も近いでしょう。それでもいいの?」

「……それは、本当…なんですか?」

 フルールがワスレナグサの呪いに蝕まれている――その事実を知らされただけで、ニュイの声は震え、動揺が隠し切れなくなっていく。

 睡蓮は、口元に三日月のような笑みを忍ばせて煽り続ける。

「ええ。どうしてもフルールを助けたいのなら、一つだけ方法があるわ」

 救いを期待して顔を上げたニュイに、睡蓮はこう告げた。

「フルールの髪飾りには、元々5つの花びらが付いていたの。今は、2つしかないけれど、残り3つの花びらを集めれば、あの子はもう忘却の呪いに負けることは無いでしょう」

 ニュイは思わず右ポケットにあるフルールの髪飾りを取り出す。

 だがそれと同時に、睡蓮の言葉の端々に違和感を覚えた。

「やっぱり、これはワスレナグサの花の髪飾りで、残り3つの花びらがどこかにあるのですね?もしかして、睡蓮さんはその場所も知っているのではないですか?」

「どうして、そう思うの?」

「俺の勘違いかもしれませんが、先ほどの貴女の言い方だと〝3つの花びらは集めることが前提で、どこかに隠されている〟かのように聞こえましたので」

「さぁ、どうでしょうね?」

 挑発的な笑みを崩すことなく、睡蓮はニュイに問いかける。

「それよりいいの?アナタはもっと私から聞きたいことがいっぱいあるのではないのかしら?花宝石と引き換えになら、いくらでもお教えしましょう」

 常に睡蓮の手のひらの上で踊らされている感覚に、ニュイの焦燥は募っていく。

 冷静になってニュイは答える。

「俺は月見草さんを殺したりしません。花宝石も、必ず分けてもらうようにします。――そして貴女には知っていることを全部話してもらいます」

「よく言ったわ。じゃあ、魔除けにこれも持って行くといい」

 睡蓮は小瓶を投げて寄越してくる。

「これは?」

「香水よ。人間であるアナタがこの館で徘徊するのは正直危険だから。せめてその人間臭い匂いだけでも消しておきなさい」

 この館は危険――フルールも確かそう言っていたことを思い出す。どういうことなのか、と尋ねる前に睡蓮は話を続ける。

「それと、探索中も大きな音は決して出さないこと」

「どうして、ですか?」

「どうしてって、館には番犬くらいいるからよ。それに見つかって噛まれないようにしろ、という私からの忠告よ」

 さらっと、恐ろしいことを言われた気がしてニュイは渡された香水の蓋を取り、自分に振り撒く。何かの花のいい香りがするが、これで人間臭い匂いが取れたというならば、と一安心する。

「ありがとうございます。それでは月見草さんを探してきます」

「ええ、いってらっしゃい。あ、それともう一つだけ私から忠告してあげるわ」

 ニュイは睡蓮に呼び止められて足を止めた。

「館内には住み着いている妖精には、注意したほうがいいわ。直接危害を加えて来る訳じゃないけど、あの子たちはとにかく悪戯好きなのよ」

 妖精なんてお伽話の中だけかと思っていたが、本当に実在するのかとニュイは驚きを隠せずにいた。睡蓮は声を低めて話を続ける。

「あの子たちの前では決して感情を表に出さないでね。不安定な感情を煽り、狂気へと誘う魔性の声の持ち主だから――」

「分かりました、気をつけます」

 妖精にそんなに危険なイメージはなかったため、ニュイは睡蓮の忠告をあまり重く受け止めずにいた。踵を返して、館へと戻っていく。この館に秘められた謎を探るために。

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