Ⅱ
「……さすがに、アイツもまだ来てないよな」
ニュイは石畳の階段の上に腰を下ろす。
石畳の小道、木組みの民家。村にある家はみな、おもちゃ箱のように色とりどりだ。軒先に植えられた植物たちは綺麗な花を咲かせ、春の訪れがようやく来たのだと感じられる。
農産物を主として商流も盛んな村で、各地方の商売人がよくやってくる。また大きな町への中継地であるため、旅人たちの宿場としてよく利用されており、昔から旅館業を営む者も多い。
だが、ニュイは冷めた目で村の様子を眺めていた。
「こんな田舎に引っ越して、父さんも母さんも何を考えているんだか」
すると、眼前から見知った顔が陽気に手を振りながらこちらへとやってきた。
「よぉ、ニュイ。今日はえらく早いな。暇なら遊びに行こうぜ!」
ニュイの友達、モールである。引っ越してきて間もないニュイがこの村に来てすぐに馴染めたのも、モールのおかげであった。年齢も近いことがあってか、すぐに2人は仲良くなり、今ではよく一緒に遊んでいる。
「よう、モール。いいけれど、その前に診療所に用があるからそっちに行ってからでいいか?」
「もちろん。ていうか、また医者のとこ行くの?」
「ああ、母さんがまた頭が痛いって言っててさ」
「そんなこと言って~。本当はあの娘に会うための口実…」
「アイツはいつも会うたびに、名前も顔も忘れてやがるから。それがムカついて、こっちも意地になっているだけだよ」
「はいはい、そういうことにしておきますよ」
反省の色が全くない顔で、モールは楽しげにニュイを見ていた。茶化されるのにも慣れたのか、ニュイは近くで草笛を吹き遊んでいる子供達のことを目で追っていた。
すると、その視線に気づいたのか、子供達はニュイの方に駆け寄ってきた。
「あ、おはよう!ニュイのお兄ちゃん!」
「よう。どうした?嬉しそうな顔をしているけど、何かあったか?」
「見て見て、これ!さっき落ちていたのを拾ったの!」
握っていた手を広げて見せてくれたのは、女性用の髪飾りだった。
一見したところ、何かの花をモチーフにした髪飾りだった。それを見たニュイは心当たりがあったのか、誰に言われるまでもなく語り始めた。
「薄青色の花びら、花冠の目、大きさといい…これは〝ワスレナグサ〟の花飾りか?」
「ワスレナグサ、って何?」
「この花の名前だよ。けどこの髪飾り、花びらが2枚しか付いてないな。本当は5枚の花弁が付いているんだよ」
ニュイは絵本を語る母のように、子供達に優しく言い聞かせた。
「この花にはこんな伝説がある。
昔、騎士ルドルフは恋人ベルタのために、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を摘もうとして岸を降りたんだ。けれど、その時に誤って川に落ちて溺れてしまった。
ルドルフは最後の力を尽くしてその花を岸に投げ、『どうか僕のことを忘れないで』という言葉を残して死んでしまったんだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名前にした。だからこの花の名前は〝ワスレナグサ〟と言うんだよ」
「へぇ、そんなお話があるんだ!」
聞き入った子供達が歓喜の声を上げる。しかし、ニュイはついつい無心で喋りすぎたとハッとして友の顔を見やる。
案の定、モールは呆れ顔で横槍を入れてきた。
「ニュイ、お前本当に花に関しては詳しいんだよな。女の趣味みてぇ」
「ウルセェな、放っておけよ。子供この頃から、好きでもない絵とか、音楽とか、花の観賞とか、色々連れ回されたせいで変な教養だけ植え付けられてんだよ」
「ま、ニュイは都会からやってきたからな。色んなこと知ってて羨ましいぜ」
「こんな雑学。知ってて得することなんてあるものか」
ニュイは、吐き捨てるようにして言った。ニュイがこの村へ引っ越して来たのは2年前。それまでは都会に住んでいたため、初めてこの村にやって来た時は、農業に精を出している村人たちをみて、馬鹿らしく思っていた。
ニュイは子供の頃から、音楽的才覚――とりわけピアノを弾くのに長けていた。
両親は、ピアニストとしての息子の将来に期待して、様々な投資を行っていた。学術的に名高い音楽の名門校への入学。曲の表現を豊かにするための、演劇・オーケストラの鑑賞。花や絵画の知識なども身につけさせた。
だが、そんな両親のプレッシャーに耐えきれず、ある時を境に、ニュイは学校へ行かなくなってしまった。歪んだ性格のまま、街の非行少年グループと連んでいたが、しばらくして両親は、この村へ引っ越すことを決意した。自然豊かな田舎で過ごせば、ニュイの心が洗われて再び音楽の道を歩んでくれることを期待していたが、当のニュイは感化されている様子は今の所ない。
いつの間にか、子供達はどこかへ遊びに行ってしまったらしく、モールは悪戯な笑顔を浮かべて、話しかけてくる。
「まぁ、いいや。それより、今日はどうするよ?例の爺さん家の牧場に罠を仕掛けたからさ。ヤギの大暴走が見られるかもしれないぜ?来るか?」
「お前、本当、悪知恵だけは働くよな」
その折、広場一帯に響くような女性の声が飛び込んでくる。
「――モール!モール!店番サボってどこ行ってるんだい!?」
「げっ、母ちゃんに呼ばれてる!」
「お前、また仕事中に抜けだしてきたのかよ。早く戻れよ」
「あ、ああ。また後でな!ニュイ」
焦りの顔色に染まったモールを呆れ顔で見送りつつ、ニュイは腰を上げて診療所へと向かうことにした。
――薬売りの少女が、来てくれていることを願って。
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