第20話 死

 人間は、人生で何度か深い悲しみに襲われ、胸が締め付けられ、心が泣くときがあるという。


 本当に悲しいとき、涙が出るのではなく、背筋から冷たいものが流れ落ちる錯覚に陥るのだが、正彦の場合はまさにそれであり、目の前に寝かされている、目玉が抉られ、全身の血を抜かれたのか、血の気が失せている晴美の遺体を前にして、複雑な心情に襲われている。


(俺が殺したのか……?)


 正彦は、枯れ枝のように冷たくなった晴美の手を握りしめる。


(少なくとも、俺達が戦争に勝っていれば、こんな非道な兵器など作る必要はなかった……! 俺達は鬼だ、死神だ……国民の命を使うなど決してあってはならない事だ……! 俺が、晴美の命を奪ったようなものだ……!)


 人体を使い兵器を作る国は、世界中を探しても、どこにも存在はしない。


「飛田大尉殿、失礼します」


 扉がノックされ、声色で高橋だなと正彦は気がつき、入れと口を開く。


 扉の外には、悪魔の兵器の整備を行った罪悪感か、それとも怨霊のような得体の知れない化け物に取り憑かれているのか、半年前にあった時に比べて、頰が痩せこけて土気色になり、酷くやつれ切った高橋がいる。


「何だ……?」


「醍醐指令がお呼びです……」


「分かった……おい、高橋、お前何かあったのか? 酷くやつれてるが……」


「それが……最近酷くうなされるのです。幽霊に襲われる夢を見るのです。42部隊から渡された燃料に携わってからずっと、常に誰かに見られている感覚に襲われます……」


「……」


 正彦は、自分の弟分のような高橋を助けてやりたいのだが、どうにもならない大きな渦に逆らえずに、せめて、気持ちを落ち着かせてあげようと、胸のポケットから支給品のタバコを取り出して、高橋に手渡す。


「これやるから、休んでおけ……」


「はっ、ありがとうございます……」


 高橋は力無く一礼をして、重たいものを持っているかのように落ち着かない足取りで、ふらふらと、正彦の前から立ち去っていく。


「!?」


 正彦の目には、高橋の背中に、霊のような透けている物体が何体も取り憑いているような錯覚に陥る。


 ☠️☠️☠️☠️


 司令部の前に来た時、正彦は得体の知れない、重たく、目の前にどす黒いものがいて目眩がするような気分に襲われる。


 ドアをノックすると、部屋の中から醍醐が、入れと言っているのが聞こえて、扉を開ける。


「飛田大尉、入ります」


 部屋の中には、醍醐の他に、真壁と、それ以外の42部隊の研究員なのか、見知らぬ顔の人間が5名程立っており、手には革製のバッグを全員が両手に持っている。


「昼間の空戦は大戦果だったようだな。戦爆合わせて50機撃墜だ。この燃料は、増産することが決まった。実験記録を研究所に持ち帰り、今度は子供と老人の血液を応用する。女がいなくなるのはなぁ、人を増やせなくなるし、夜の楽しみが減るからな、ふふふ……」


 醍醐は下卑た笑みを浮かべ、タバコに火をつける。


 正彦は、人間として常軌を逸している、この部屋の人間全員を殺したい気持ちに襲われるのだが、殺してしまったら軍法会議にかけられて銃殺刑は確定、残された身内には被害が及ぶことを考えて、グッと歯を噛み締めて堪える。


「明日の朝、陸攻に乗り燕飛行場へと発つ。空襲から守るために農地に移した研究所でさらに研究を重ね、その間に燃料を増産する。そこまで護衛につけ。勿論、新型燃料を搭載した紫電改でだ……こいつは無敵だから誰にも敵うものはない。下がって良いぞ……」


「はっ」


 軽く敬礼をして、正彦は一刻も早く、人間性を疑う反吐が出そうな屑野郎から逃げたいと思い踵を返して足早に出ていった。


 ☠️☠️☠️☠️


 晴美の遺体が安置されている部屋に正彦は戻り、晴美の遺体から髪の毛を切り、持っている小袋に詰める。


 その様子を、高橋は影から見ている。


「大尉殿、何をなさっているのですか……?」


「あ、いや、形見だ……どうせ明日にでも燃やしてしまうのだろう?」


「……」


 高橋は堪えきれなくなったのか、涙を流しながら、頭を深々と下げる。


「すいません、私が止める事が出来たら、こんな事には……どうにもならなかったんです、一介の整備兵には……! こうでもしないとこの戦争には勝てないんです! 紫電改は素晴らしい戦闘機なんですが、誉発動機の能力を活かせる燃料が無いんです! あれは、オクタン価が100以上のものでは無いとダメなのです、力が発揮できません! 今使っている燃料では速度が出ないのは当たり前なんです!すいません……どうしても、勝つ為には……」


 正彦は、高橋の肩を優しく包み込む。


「気にしなくても良い、戦争に勝つのには犠牲が必要だ、だがな……この燃料を使うのは、今日がこれで最後だ……」


「……え?」


 高橋は正彦が言っている言葉の意味がわからずに頭の中に疑問符が浮かび上がっている。


 正彦は立ち上がり、ふらふらと、宿舎の方に向かって足を進めていった。





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