第18話 悪夢

 向日葵が咲き乱れる花畑の中心に、正彦は立っている。


(ここは、出征前に晴美と出向いた向日葵畑に似ている……ここはどこなんだ? 夢なのか?)


 出征前、一面の向日葵畑で正彦と晴美は愛を誓い合い、迫り来る戦火から晴美や日本国民全員を守ろうという決意を胸に、正彦は南方へと行った。


 正彦は今いる世界が夢うつつかどうかを調べる為に、頰を軽くつねる。


 齧られたような痛みが頰の一部分に走り、これは現実の世界なのだなと、正彦は実感する。


『ザッザッザッ……』


 後ろから誰かが近づいてくる音が聞こえ、敵なのか味方なのかという疑心暗鬼に正彦は駆られて、懐に入っている拳銃を軽く手で触りながら後ろを振り返る。


「……ひっ」


 そこには、真夏にも関わらず花柄の着物を着て、般若の面を被った女性らしき人間がいるのを、正彦はその人間の胸の膨らみで分かった。


(身体が、動かない……金縛りにでもあっているのか……!?)


 鬼とも妖怪ともお化けとも取れる、正常な精神なのか異常な精神なのか判別が出来ないその人間に正彦は恐怖の感情を抱き、この場から立ち去ろうとしたが、身体がピクリとも動かない。


 その人間は正彦の方、顔から50センチのところまで近づき、般若の面を取る。


「晴美……!」


 そこには、栄養状態が良いのか、血色が良く頰が赤い晴美が微笑みながら正彦の前に立っている。


 正彦の体が軽くなり、動くようになり、正彦は思わず晴美の体を引き寄せる。


「……!?」


 掌に伝わる、ドロっとした液体の感触に正彦は違和感を覚え、晴美の体を慌てて見回す。


 花柄に見えた着物には血が滲んでおり、晴美の首筋の、動脈か静脈のあたりからは極彩色の血液が流れ落ちている。


「晴美!?」


 晴美はニコニコと笑いながら、正彦の頰を指でつう、となぞる。


 指筋から流れている血液が正彦の頰を伝い落ち、唇に入ったのか、鉄とも取れる、形容しがたい味が口に広がる。


「ねぇ……貴方」


「いや……お前、病院に行かなければ……」


「鬼畜米英を皆殺しにして……」


 晴美はにこりと笑い、踵を返して正彦の元から立ち去って行く。


 その足跡には、どす黒い血の雫が点々と付いている。


 ☠️☠️☠️☠️


「はっ」


 正彦は、大量の汗をかき眼が覚める。


 辺りを見回すと、芝浦達が正彦を心配そうな表情を浮かべて見ている。


「芝浦、俺はさっき……」


「お前は魘されていたんだ、それも、酷くな……」


「……」


 正彦の脳裏には、先程見た、向日葵畑で血まみれの晴美が正彦に会いに来た夢が鮮明に蘇ってきて、強烈な吐き気に襲われる。


「お前、疲れが溜まってるんだよ……軍医殿から栄養剤を打ってもらえ、明日にでも」


 芝浦は、連日の出撃で、隊長を任せられている為、人一倍真面目で融通が効かない程の性分である正彦の精神がやられていっていくのを予科練時代の付き合いで分かっており、軍医に栄養剤という名目で、覚せい剤のヒロポンを打ってもらうように正彦に言う。


「いや、いい……明日は出撃だ、俺、外で涼んでくるよ……」


 正彦はふらふらと宿舎の外へと足を進めて行く。


 その様子を見て、芝浦達は一抹の不安を感じている。


 ☠️☠️☠️☠️


 昴基地にはもう戦闘機は残り少ない、これも全てが重武装のB29や高速のP51、D51の餌食になった為だ。


 雷電部隊は高高度でB29の編隊と一戦を交え、1機撃ち落として帰還する途中にP51の返り討ちにあい全て撃ち落とされてしまった。


 ベテランの航空兵は正彦と芝浦達南方での生き残りと、各地から集められた、正彦と同じ激戦地での生き残りが数名しかおらず、後は予科練から出てきたばかりの、飛行時間が700時間すら満たないひよっこと揶揄される、あどけなさが顔に残る10代後半と20歳を少し超えた兵士が半数を占めている。


 紫電改部隊は自動消火装置と装甲板のお陰で撃ち落される確率は下がったが、8機出撃したうち帰ってきたのは正彦と芝浦達ベテランが4名だけで、後の4機は撃ち落とされた。


 鈴虫の音色が響き渡る基地の外の草むらで、正彦はタバコに火をつけて、配給品の日本酒を口にチビチビと運んでいる。


(新型燃料だと……我が軍の燃料は、開戦前に備蓄していた自動車用の燃料で、航空機用ではないオクタン価の低いものだ、確かにオクタン価は90なのだが、誉エンジンはそれぐらいで辛うじて力を発揮できない繊細なものだ……松根重油のようなガソリンではないものに特殊な液体を混ぜたところで、本当に力が発揮できるのか?司令部の言っていることは大抵がデタラメだ、600キロ出る戦闘機を回してくれても、400キロしか出ない粗悪品しかない、この国は工業力がもうダメだ……!だが、やるしかない、やるしか……!)


 正彦の脳裏に映るのは、優しかった晴美の顔と、近所の屈託もない笑顔を振りまく子供達、太陽に負けないように咲き乱れる向日葵、一週間の命の声を残すべく、大きな声で鳴く油蝉やクマゼミ。


 自分たちが食べるものがなくて困っているのに、軍に食料を回してくれる国民達。


 正彦は酒を一気にぐいっとのみ、立ち上がりタバコを地面に投げ捨てて下駄でもみ消して、鈴虫の音色を背中に受けながら、踵を返して宿舎に戻って行く。


「あなた……勝って……」


 晴美の声が正彦の耳に入り、後ろを振り返るが、そこには月夜の闇が広がっていた。

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