第8話 被弾

 正彦は雷電に乗り、僚機と共に高度6000メートルにいる、B29の爆撃があると知り、出撃の命令が下った為だ。


 その護衛には、山之内が操縦する零戦怨型と、他に紫電が3機程飛び立っている。


(昨晩の事は晴美には内緒にしておこう……しかし、山之内の体に書かれたお経のような文字は何だ? あれが、怨型に乗るのには必要なのか? ……だが、日本が勝てればそれでいい、それでいいんだ……!)


 正彦は胸に去来する、得体の知れない疑念を、コクピットに立て掛けた晴美の顔写真を見て必死に拭い去る。


(この戦争が終われば、俺は晴美と幸せに暮らす事が出来る、それには、42部隊の力が必要なのかもしれん……!)


 ――B29には、1万メートル以上の高度を飛ぶために必要な排気タービンと与圧室が付いている。


 大戦末期の日本軍には、排気タービンや与圧室を作る余力は無く、気合いや根性、はては存在が確認できない神に頼み込んでこの化け物を撃ち落そうとした。


 排気タービンを搭載した試作機は日本にはあったのだが、少数機作られただけで実戦に投入されたものは殆ど無かった。


(クソッタレ、酸素が……)


 正彦は高度8000メートル辺りで酸欠状態に陥る。


 酸素ボンベは一応あるのだが、工業力が低迷しているため十分な酸素は行き届いておらず、正彦は高空病特有の息苦しさと眩暈に襲われる。


(……引き返すか、いや、駄目だ、俺には守らなければならぬ最愛のKAがいるんだ! 山之内との約束があるんだ! 俺はここで逃げるわけには、……死ぬわけにはいかない!)


 気合いで操縦桿を握りしめる正彦の目の前5000メートルに、雲の谷間から黒の米粒のようなものがちらほらと見えてくる。


(……B29だ!)


 出撃前、軍医から「栄養剤だ」と注射されたヒロポンと、南方戦線で鍛え上げた視力には、その黒い米粒がB29のシルエットだと正彦はすぐに分かり、空中無線で僚機に語りかける。


「ワレ敵発見ス! ロケット噴出セヨ!」


 正彦は藁にもすがる思いで、桜花噴出用のロケットブースターのレバーを引く。


 雷電の主翼から出る火花は、瞬く間に正彦達をB29達がいる高度12000メートル付近にまで向かわせる。


(う……!)


 遥か高空による酸欠と、故障気味の酸素マスクで正彦は気を失いそうになるのだが、「必ず生きて帰る」と自分を奮い立たせて、目の前500メートル先にいるB29に僚機とともに向かう。


 雷電は迎撃戦闘機なのだが高空での戦闘には向いておらず、辛うじてふらふらと飛んでいるためにろくな編隊は組めず、行き当たりばったりの勝負となる。


 正彦達の方がやや高度が高いのか、眼下にはB29の編隊が映る。


「行くぞ!」


 正彦は故障が多く、味方に聞こえているかどうか分からない無線機に向かい大声でそう言うと、B29へと攻撃を仕掛ける。


 B29部隊は気がついたのか弾幕を張り、アイスキャンディと揶揄される弾丸が正彦達雷電に向かいB29から放たれる。


 正彦は先頭にいる、指揮官らしきB29に狙いを定める。


 ブローイング13ミリ機銃は情け容赦なく正彦に襲い掛かり主翼に被弾するのだが、高空で酸素が少ないために幸いな事、発火はしない。


 正彦は操縦桿を握り垂直に急降下して、B29のエンジンが見えた瞬間、正彦は弾丸発射ボタンを押す。


(落ちろ、この化け物が……!)


 20ミリ機銃はエンジンを捉える。


 エンジンから火が出て編隊から離れていったB29を見て正彦はニヤリと笑う。


(離脱、するか……!)


 正彦は操縦桿を握り、B29の群れから離脱していく。


 ☠☠☠☠


 高度6000メートル付近まで離脱した時、それは起きた。


『ガンガンガン……』


 正彦の操縦する雷電のエンジンから、黒い煙が濛々と立ち込める。


「な!?」


 正彦は周囲を見回すと、そこには銀色のスマートな機体が数機飛び交っている。


 雷電よりも高速の機体に、正彦は見覚えがなかった。


(あれは……何だ!?)


 そいつは弾丸を放ちながら正彦を狙っており、正彦は操縦桿を操作するのだがエンジンを被弾した為速度が上がらず、弾丸をかわしきれずに主翼部に被弾してしまう。


「クソッタレ、火が出やがった!」


 だがその火は、自動消火装置のお陰で消えていき、正彦は安堵の表情を浮かべるのだが、攻撃は止む気配がない。


(俺の運命はここまでか、すまない、晴美、俺は君を守ってはやれない……!)


 正彦の脳裏には、自分を生んだ両親、認知症になり亡くなってしまった祖父、肺炎で亡くなった祖母、一年前に南方で輸送船が魚雷攻撃を受けて戦死した弟の顔、そして晴美の顔が浮かぶ。


『飛田大尉!離脱して下さい!』


「!?」


 山之内の声が心に響き渡り、正彦は後ろを振り返る。


 そこには、山之内が操縦する零戦怨型がおり、P51に攻撃を仕掛けている。


 P51は怨型の攻撃を受けるのだが、装甲板のお陰なのか火は出ずに、速度を上げて振り切る。


 そのまま振り切った形で高度を上げて、怨型に13ミリ機銃を浴びせかけ、退避した。


(クソッタレ、あれがP51なのか!? あれでは、零戦は歯が立たない……!)


 火を噴いて落ちていく怨型を見て、正彦は気の毒な表情を浮かべる。


 ☠


 正彦は基地に命からがら帰還して、すぐさま雷電を降りて周囲を見渡す。


 正彦が操縦していた雷電は所々に穴が空き、エンジンからは黒のエンジンオイルが流れ落ちている。


(こいつはもう使い物にならない、エンジンがやられている……山之内はどこなんだ?)


「飛田中尉殿!」


 高橋が不安そうな顔で、正彦に走り寄ってくる。


「高橋! 山之内はどこだ!?」


「はっ、先ほど帰還いたしまして、被弾をなさり、救護室にいます!」


 高橋は正彦の剣幕にたじろくが、淡々と状況を述べる。


「飛田、戦果はどうだったんだ?」


 醍醐は正彦の方に歩み寄り、タバコを吸いながら戦果を聞く。


「はっ、一機撃破致しました、ですが、新型の機体が現れて、山之内が私を庇い負傷致しました」


「そうか、やはりまだあれでは太刀打ちができなかったか……いや、状況は聞いている、先程貴様が戦った相手はP51、米軍の新鋭機だ、貴様の治療後に詳細を説明するから救護室に行ってこい……」


 醍醐は淡々と述べてタバコを地面に押し付けて、踵を返す。


(米軍の新鋭機だと?)


 正彦は新鋭機と聞き、背筋が凍る感覚に襲われる。


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