第5話 飛田晴美

 正彦は真珠湾奇襲が終わって本土に帰還した後、両親が勧めてくれた縁談で晴美と知り合った。


 正彦と晴美は出会って間もなく、観光地の熱海へと小旅行に出向いた。


 戦前戦時は、恋愛結婚などは皆無に等しく、大抵の場合が両親や親類が勧める縁談で結婚するのが流れであり、正彦はその流れには疑問を感じてはいたのだが、自然の壮大さを見て年甲斐もなくはしゃぐ優しい晴美を見てすぐに惚れた。


 晴美もまた、国を守り抜き戦争に勝つという典型的な日本軍人の気質故か、芯がしっかりしており、子供を見て微笑む優しい正彦に惚れた。


 開戦後、正彦達はすぐに祝言を挙げ、ラバウルに赴く間、晴美は家のことを守り続けている。


 昴部隊から離れたところにある丘の上、正彦と晴美は床に腰掛けている。


「晴美、寒くないか?」


 正彦は着ている外套を晴美の肩にかける。


「ありがとう」


 晴美は、正彦と数年ぶりに再会したのだが、食糧難にも関わらずふくよかな顔つきをしており、栄養状態はそんなに悪くはなさそうという具合である。


 まるで、誰かに生かされているかのように、不自然なほどに、このご時世でふくよかな体をしている晴美を見てある種の不安に正彦は襲われる。


(こいつ、俺に言いたい事があるのか……?)


 晴美は終始複雑な顔つきを見て、夫として正彦は、晴美の心中何かあったのかと不安に駆られる。


「正彦さん……」


 晴美は複雑な表情を受かべて、正彦に口を開く。


「なんだい?」


「私ね、勤労動員である部隊の実験に立ち会うことになったの、半年前からね。戦争に勝つのに、私達勤労動員の人達の力が必要なのよ……」


「そうか……すまないな、俺達が不甲斐ないままでお前達民間人に迷惑をかけるな……。あと少しでこの戦争はケリがつく、俺はそんな気がしてならないんだ。多分、日本は……」


「そんなに弱気になさらないで」


 晴美は毅然として正彦にそう言い放つ。


「戦争に勝つためには、私達国民が団結するのが当たり前なのよ。だから、そんな弱気になさらないで……」


「う、うん……」


「あなた、私は多分暫く貴方とは会えない、実験があって、それに私たち民間人の力が必要なの、私達はそこで暫く動員するから当面は手紙のやり取りになってしまう。」


「そうか……晴美、今日はもうそろそろ基地に帰らなければならない。だがな、俺は君やこの国を死んでも守り抜くからな……!」


 正彦は、晴美の体を強く抱きしめる。


(ごめんなさい……貴方、ごめんなさい……私は……、ずっと貴方を愛している)


 晴美は正彦に不安を与えぬように、心の中でそう呟き、頰に一筋の涙がすうっ、と流れ落ちた。


 ☠☠☠☠


 滑走路の上には、醍醐から新型と聞かされている雷電22型甲が5機ほど並べられている。


 正彦は、戦争末期で熟練工の徴兵等で戦闘機の精度が落ちて、カタログスペック通りの性能が発揮できないのを知っており、そして南方では故障の多い戦闘機で苦戦を強いられてきたのを嫌という程経験をしてきた為、この雷電には露程の期待はしていない。


「この実験型ですが……」


 高橋は、自信のある顔をして、正彦達搭乗員に口を開いて説明を行う。


「試験中の桜花のロケットエンジンを主翼下部に一基ずつ積んでおります。これで、B29が悠々飛んでいる高高度へと一気に駆け上がります」


 桜花、と聞いて、正彦にある種の疑問が湧き上がる。


「それは、実験中の特攻兵器か……?」


「……ご存知なのですね。桜花は、ロケットエンジンで噴出して滑空して敵艦を沈めるために作られた特攻兵器です。航空兵1人の命と引き換えに、大型艦を沈める可能性を秘めた兵器です……」


 高橋は複雑な表情を浮かべて淡々と述べる。


 誰が好き好んで、成功しても失敗しても生還がほぼ無い特攻など行きたくない。


 統率の外道ーー後年そう語り継がれた悪魔の作戦は、何千人の死者を出して、結果的には失敗に終わった、そのうちのメンバーには、まだ10代で青春を謳歌しようにも戦争でできなかった若い者もいた。


(特攻、か……誰が好き好んで、必ず死ぬ事が決まっている作戦に志願するのだろうか? 本土防空を任せられた俺はある意味幸運かもしれない、人の命を犠牲にしてまで敵艦を沈める作戦に成功はあるのか? 俺がそう思うのは軍人失格かもしれない。だが……)


「操作方法ですが……」


 高橋は雷電の中に入り説明を始める。


「この赤いレバーを引けば噴出が始まります、噴出時間は5分です。一度だけしか使えません。時機を見計らいレバーを引いてください」


「分かった」


 正彦をはじめとする搭乗員達は、憎きB29を屠る事を強く願い説明を食い入るようにして聞いている。


 ☠☠☠☠


 説明が終わった後、正彦は基地の中で雷電のそばを離れず、晴美の写真を見ている。


(あぁ、俺の愛しきKA《妻》よ、俺は君のために戦いに向かう、俺は戦争が終わったら人殺しと言われるかもしれぬ、戦争とはいえ、側から見たら俺は単なる人殺しだ。だがな、仮に地獄に落ちたとしても、俺はあの世から君を守り続けるからな……!)


「飛田中尉殿」


 人嫌いと仲間内で噂される山之内が珍しく正彦の元へとやってくる。


「山之内が……貴様、何の用だ?」


 山之内は端正な顔つきで、神秘的な雰囲気を醸し出しており、正彦は自分が妻がいるのにも関わらず、惚れてしまうかのような感覚に陥る。


「私は次の戦いで死ぬのかもしれません……」


 山之内の顔は、悲壮感が漂っている。


「何故だ? お前が載っている黒の零戦は、少なくとも俺が見た限りでは米軍機の追随を許さないだろう。撃ち落とされるのはまずないだろう」


 正彦は零戦怨型と共に何度か米軍機と共に空戦をしたのだが、F6FやF4Uよりも性能が劣る筈の零戦で、互角以上の戦いを行っているのを見た。


 だが、帰還すると山之内はすぐさま洗面所に行き、吐いているかのような事を見た事がある。


「悪い予感がするのです。信頼できる貴方に、これを私の遺品だと、家族に送り届けて欲しいのです」


 山之内の髪は薄暗くてよくわからないのだが、肩まであった髪の毛を短めに切り揃えてある。


「まぁ、分かった、お前の家族に送り届けてやろう。……お前、郷里はどこなんだ?」


「群馬のP町です。この町の中心にある式神神社が私の生家です、私は徴兵されるまで巫女をやっておりました」


「巫女か……だが、何故ここにきたのか?」


「……それは」


「貴様は女だが、女性の兵士はいない、わが軍の兵士は皆男性だ、女性、しかも巫女となると、余程の事情があるのか?……言えよ、その42部隊とやらは、外道の事をやっているのだろう?」


「それは、言えません……緘口令が敷かれているのです」


 山之内は複雑な表情を浮かべて、下を向く。


「……そうか。だが、聞きたい事がある、お前は42部隊の事はどこまで知っているのか? 人体を使うという噂だが……」


「あれは……言えません。それも緘口令が敷かれているのです」


 山之内は殴られても言うつもりはないという真剣な顔つきをする。


「分かった、では送り届けてやろう」


「有難うございます」


 正彦は山之内の遺品を握りしめる。


「所でお前は、家族はいるのか?」


「はい、父と母、姉がいます」


「そうか。お前の年は幾つだ?」


「25です」


「そうか。俺と年が同じなのだな……」


(だが、まだ若い女性なのに、兵士になるとはな……戦死しなければいいのだがな……)


 正彦は、自分と歳が近い山之内を見て、話ができるなと顔が綻ぶ。

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