マリーゴールド (2)

「結局のところ、自分の人生は自分でどうにかするしかないんだよな。どんだけ理不尽な人生でも、自分の力であがくしかない。どんだけ不幸でも、見放されていても、自分で自分を諦めない限り人生は続いちまうからよ」


 家から最寄りの公園に到着するや否や、夏目が言う。


「らしくないことを言うじゃんか、悠二」

「零央、分かってるか? そうやって他人を勝手に解釈するの、お前自身が一番きらってたことだぞ。他人を理解するためのキャラ付けなんて、たとえ冗談でもしないのが信条だったんじゃなかったっけ?」

「…………うるせぇ。そういうことをしたくなる日だってあるんだよ」

「人生観ブレブレかよ……。まぁいいや。俺もそういうのは気にしねぇタイプだし、聞かなかったことにしておいてやる。それと……ほら、これやるよ」

「――っと」


 ブランコに腰を下ろして、雨宮は言葉の代わりに夏目が持ってきた缶コーヒーを開け、適度にぬるくなったそれを一口含む。甘ったるさにむせた。


「そういやブラック派だったか」

「覚えてるなら無糖にしてくれりゃあ良かったのに」

「いま思い出したんだよ。驕ってやってるんだから文句言うな。嫌ならそこらにでも捨てろ」


 許可が出たので、近くにあった水道にコーヒーの残りを流し、ゴミ箱に放り捨てる。


「ひっでぇ、マジで捨てやがった」


 夏目がクズを見るような目を向けてきた。


「自分で嫌なら捨てろって言っておいてその言い草はないだろ」

「だからってマジで捨てる奴いるかよ。社会性の欠片もないな」


 社会性なんてもの、いまの雨宮には期待するだけ無駄だ。


 最初からなかったのか、エリナに裏切られた瞬間から失ってしまったのか、いまではもうそんなことすら分からない。


「そうやって、真田のことも捨てたのか」

「……違うよ」

「じゃあ、どういうつもりだったんだよ」

「捨てたのは俺じゃなくてエリナだ。あいつが俺を突き放したんだよ。なのに未練がましくキープしようとしてきたから、こっちからその糸を切ってやった。それだけだよ」

「あいつはさ、ずっと前からお前のこと――」

「言われなくても分かってる。だけど、エリナは最後まではっきり口にはしてくれなかった。だったらそれは知られたくなかったことだったんだろ」

「そこまで分かってるくせに、なんで応えてやらなかったんだよ」

「――――っ」


 ハッとする。


 エリナは、どこまでも狡猾ずるがしこい。

 ここにきて、まだ、そういうことをするのか。

 悲劇のヒロインぶるのか。


「肝心なことは何も教えなかったんだな、エリナのやつ」

「どういうことだ」

「俺はエリナの答えを待つしかなかった。俺がエリナの気持ちを汲んで行動するなんて、そんなことできるはずがなかった。そういう関係性なんだよ、俺たちは。なのにあいつは、それを求めてきたんだ。その傲慢だって赦せなかった」

「……その言い分だと、エリナにも非があるってことか」

「俺に非なんてものはない。悪いのは全部、あっちなんだよ」


 ことのすべてはエリナが始めたことなのだ。

 本当なら、彼女が自分できちんとケリを付けるべきだったのだ。


「エリナが傲慢だから、自己中心的だから、縁を切りたくなくて、何事も中途半端にしやがったんだ。彼氏とのやりとりだって見ていられなかった。その尻拭いをやったのは俺だぞ? 気持ち隠して諦めつけたんだったら俺なんかに頼るなよ。ふざけんじゃねぇよ。こんな役回り耐えられねぇんだよ。だから、洗いざらい吐き出して全部清算したんだよ」

「…………そうかい」


 夏目がふぅ、と大きな溜息を零す。


「真田はお前と復縁したいと思ってる。俺に協力を頼んできた。だから手伝ってやろうと腰を上げてはみたが、零央がそういう態度だっていうんなら、直したところですぐにまた壊れちまうな、こりゃ。心配するな。俺は真田よりはお前のことを理解してるつもりだ」


 一息でそう言って、ブランコから腰を上げると、夏目は俺の前に立った。


「その上でこれは完全に俺個人の意見だが……」

「青春活劇みてぇに俺を殴りたくなったか?」

「殴って目を覚まさせるってのは、心が迷ってたりなよなよしてる奴に活を入れるためだろ。だけど、零央はそうじゃない。きちんと自分の意志で折り合いを付けてんだろ? だったら部外者である俺がその選択に文句を言う筋合いはねぇよな。なんなら友人として、その決断は最大限尊重する」

「だったらなんだよ」

「単刀直入に聞くけどさ、そんなんで人生楽しいか?」

「……は、ははは」


 何を言う出すかと思ったら、人生論か。


「そんなもん人それぞれだろ。生き急ぐような奴もいれば何も望まずにただ平穏に暮らしたいだけの奴だっている。俺は他人に期待することを辞めたし、期待に応えることもやめた。エリナみたいなやつに振り回されるのはこりごりなんだよ」

「そうやって他人を諦めて、自分すら見限れば生きていくのは楽だろうよ。だけどそんなもんは生きていないのと同じだろ。ただ、死んでないだけだろ」

「ただ死んでないだけの、なにがいけない? 傷つくことを恐れて、誰とも平等に距離を取って生きていくことのなにがいけないって言うんだ?」

「どうしても臆病から抜け出せない人間がいることも、心を磨り減らすのが苦手な人間がいることも、すべてに愛想を尽かして無感動でいることを望む人間がいることも知ってる。それでも俺は、お前のために言い続けるぞ」

「そこまで分かってて今さら何を――」

「社会と関わりたいんだったら、自分の力で前に踏み出せよ!」

「――っ」


 雨宮はようやく、目の前の友人が本気で怒っていることを思い知る。


「そのままだと人生もっと苦労するぞ。人生なんてもんは自分の意志がなけりゃ変えることなんてできねぇんだ。生きている限り、誰だって過去に囚われる。それでも、いまの自分の人生を他人のせいにするな。なすりつけたところで誰も救われはしないんだ。自分で自分のけつ・・くらい持てよ。それができねぇなら、マジで一遍死んだ方がマシってやつだ」

「言われなくたって分かってる」

「分かってるならいい加減卒業しろよ。目は冴えてるだろ。頭は覚めてるだろ。いつまでも真田の気持ちから逃げてんじゃねぇ。馬鹿みてぇに拘ってんじゃねぇ。無視してんじゃねぇよ。きちんと向き合え。引き摺り出せよ。全部曝け出して、剥き出しにしてみせろよ」

「もう、全部吐き出したさ。いまさら何を言えっていうんだ」

「望めよ。縋れよ。頼れよ。信じてみろよ。吐き出したのは、殻に閉じこもってるうちに溜め込んだおりだろ? 理解してもらうつもりなんかさらさらなかったんだろ? ぶっきらぼうにぶつけただけだろ? そんなもんが全部だなんて、つまんねぇ嘘を吐くな」

「ついさっき、他人になすりつけるなって言ったのはお前だろっ!?」

「なに勘違いしてんだ。まさか、頼ることとなすりつけることを混同してんのか? もっかい小学生からやり直すレベルだぞ、それ」

「喧嘩売ってんのか、てめぇ」

「馬鹿につける薬はないってのは、まさしくこのことだな。言ったよな? 自分で責任を持てって。お前は自分の気持ちをちゃんと真田に伝えたのか? 伝えたうえで真田から返事を聞いたのか? そんなことすらできてねぇんだろ? だからあいつは俺を頼ったんだ。短い付き合いでもそれくらいのことは分かるぜ? せめてそれくらいのことをしてくれないと、壊れたものを修復すべきなのか水に流すべきなのか、そんな簡単なことすら判断できなくなっちまったから困ってんだろあいつはっ! ちっとも縁なんて切れてねぇじゃねぇかっ! 全然終わってねぇじゃねぇか! 清算するんだったら、きっちり落とし前つけやがれ!」


 語尾を強めて、夏目が声を荒げる。

 その右手に握った拳が震えていた。


 いっそ殴ってくれれば楽になれるのに、決してその素振りを見せない親友は、憎らしいまでに雨宮のことを理解していた。この拳を振り上げても状況の一つだって変えられないことを、痛いほどに分かっていた。


 だから、言葉で訴える。痛いところを、土足で踏み込んでくる。


「手を伸ばしてみろよ。どんなにみっともなくたっていい、泥臭くたっていいから、自分で他人の手を掴まえてみろ」

「それができれば、こんなに苦労は、してねぇんだよ」

 喉の奥から、どうにか絞り出した声は掠れた。


 額に浮かんでくる汗を拭いながら、雨宮はただじっと地面に揺れる影を見つめる。


「そうやって諦めるんだろ? もっともらしい言い訳をして逃げるんだろ」


 夏目が詰め寄ってくる。

 ここから逃がさないという意志を宿した両足が、ブランコに腰を下ろしてふらふらと揺れ動く影を踏みつける。


「雨宮を無理矢理どうこうするつもりはない。俺にそんな権利はないからな。言葉で動かねぇなら、残念だけどそれまでだってことだ。けどよ、その決断を黙って見過ごすなんてできない物好きな人種だって、この世の中にはいるんだぜ?」

「物好きで悪かったわね」

「――――っ」


 声がした。そして、


「とりあえずあたし、あんたを一発はたいておかないと気が済まないのよね」


 大股気味に歩み寄ってきた秋葉に、瞼の裏に星が浮かぶほどの痛恨の一撃を見舞われた。


 どうやら、世界は自分が望むほど放っておいてはくれないらしい。

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