マリーゴールド

マリーゴールド (1)


 大切だったものを失って二日が経ち、

 五日が経ち、

 一週間が経ち、

 それでも、人生は続くのだと思い知らされる。


 警察に捕まる覚悟をしていたが、こうして連休の最終日に自分の部屋の天井を眺めることができている。どうやらエリナは通報しなかったようだ。


 ニュースキャスターの表情には相変わらず影が落ちている。


 重傷を負った澤野は病院に搬送され打撲の治療を受けたが、どうやらショックで当時の記憶が抜け落ちているらしく、暴行を受けた当時の状況を語ることができないらしい。

 窓ガラス損壊の事件との関連もあるとみて警察が数百人体制で調べている、と連日のように間抜けなニュースが全国へ垂れ流されていた。


 閑静な住宅街に佇む難関公立高校で発生した不可解で不気味な事件は、犯人の足取りがまるで掴めないという公権力の不甲斐なさもあいまって、徐々に全国区へと広がっていく。


 批難の矛先は、犯人と、学校側の警備体制と、警察の捜索態勢。


 専門家が深刻な顔をしながら滔々とうとうと犯人像を分析し、犯行動機を想像しては的外れなことを語る。

 それらしいことをつらつらと述べて世間の関心を集め、不安や焦燥を掻き立てる。


 学校に恨みを持った者?

 校内の生徒や教師が怪しい?

 校内の詳しさから、卒業生の可能性もありうる?


「――――は、ははっ」


 リビングに乾いた笑い声が響く。


 馬鹿を言え。


 あれは、エリナとの関係が終わったあの夜、衝動的に思いついた悪戯だ。

 場所なんてどこでもよかった。壊すものなんてなんでもよかった。

 ただ、エリナに傷跡を残したかった。

 ただ、それだけでしかなかったのだ。


『それでは次のニュースです。春の大型連休の最終日である本日は――』


 けれど、願ったことは一つだって叶わない。


 良いことも、悪いことも、全て平等に雨宮を無視していく。

 世界は嘘みたいに平穏だった。


 エリナへさよならを告げた日に事切れたスマホはただの文鎮と成り果てている。


昔と違っていまはスマホが全てだ。お互いの住所をろくに知らなくたって人付き合いはできる。


 逆に、それさえ断ち切ってしまえば、自分と世界は容易に切り離せる。

 孤独になるのは簡単だった。

 世間は自分を置き去りにしてどこまでも動いていく。


 虚無感と共にソファーへ沈む。

 襲ってくるのは、小学生の頃に抱いていたあの感覚。

 心のなかに鍵をかけて、ずっと目を逸らし続けてきた過去の記憶。


 共通の話題を何一つとしてもてなかった自分。

 自分の周囲十メートルの変化にさえ疎い自分。

 邪険にされ、孤独へと追いやられていく自分。


 その不遇から抜け出そうと必死にもがいていたはずなのに、あの頃なりたくなかった状況に自ら望んで成り下がっている。


 そして、そうなってしまってもいいなんて自暴自棄になっている。


 理由は明らかだった。


 根本的に、自分なんて、どうなってもいいと思っているからだ。

 誰にも愛されないし、必要とされないし、こうして自分を世界から切り離しても、何事もなく世界は動く。


 だったら誰か一人くらい、その人生を壊して、歯車を狂わせて、堕ちるところまで堕としてやりたかった。


 けれど、それさえ泡沫うたかたの夢だった。


 テレビで垂れ流されるワイドショーのように、誰もが他人事のように事件を語り、非日常を一種のエンターテインメントとして消化していく。

 自分が引き起こした数々の事件は、どこまでいっても他人にとっては対岸の火事でしかないのだ。


「どうすればいいんだろうな……」


 やり直せるのか、ここから。


 いや、やり直すってなんだ。

 何をすればいいのだろう。

 自分はどうありたいのだろう。


 まるで分からない。


 何をしたかったんだろう。

 何者になりたかったんだろう。


 学校にもロクに行かず、腐って、落ちぶれるような日々を過ごして。

 一時の感情に流されて、そうやって続いてきた日々の終着点がいまの有様だ。


 こんなボロ雑巾のような存在になりたかったわけじゃない。


 なのに、どうしてこうなってしまったんだろう。


 エリナとの関係。

 秋葉との友情じみたもの。

 他人とのつながり。

 社会で生きるために必要な数々。

 自分には不要だと切り捨ててしまったしがらみに関わっていくこと。

 馬鹿げた行為から足を洗うこと。

 真っ当な人間になること。


 そういうものを考える。


 なに一つ、きちんとした形のものがない。

 エリナはきっと二人に打ち明けているだろうし、秋葉は彼女の懇願を無碍むげに放っておくはずがない。スマホで一切連絡が取れず、苛立ちを覚えているかもしれない。


 そう考えると余計に億劫だった。

 高校にいくことも、スマホを復旧させることも、家から出ることすらも。


 ここから抜け出したいのに、何処へもいけない。

 踏み出さないといけないはずなのに、脚を向けることすら億劫に感じてしまう。


 喉に流し込んでいたコーヒーがカップからなくなっていた。湯を沸かすために立ち上がる。


 と同時、来訪者を告げるベルが鳴った。


「……誰だ、こんな日に」


 両親は海外出張で出掛けていて、来週まで帰ってこない。

 月初だから新聞やNHKの取り立てもないはず。

 忍び足で玄関まで向かい、ドアスコープ越しに外を見る。


「…………なんで、っ」


 住所を教えた記憶なんてありはしないし、そこまで俺のことを気に掛けてくれるはずもない間柄だというのに。


「おーい、いねぇのかぁ、零央!」


 首筋まで伸びた茶髪を掻きながら、ドアの外で夏目が声をあげる。


「……ったく、あいつマジで面倒くせぇ性格してやがるな。部屋は二階だったはずだよな……なら、よじ登って――」

「阿呆なのか悠二は。馬鹿なことはよせ」


 夏目なら本気でやりかねないので止めざるを得なかった。

 ドアを開けて呼び止める。


「よぉ、久しぶりだな」


 夏目がにかっと笑う。


「何の用だよ」

「自覚がないわけじゃないだろ?」

「…………っ」

「黙り込むってことはそういうこったな。真田からある程度のことは聞いてる。辛気くせぇ家の中じゃあなんだし、外で話そうぜ。男同士の話ってやつにしゃれ込もうじゃないの」


 コンビニ袋を掲げてみせながら、無二の親友が空いた手で手招きする。


「来ないってんならそれでもいいが、俺は無理矢理にでも連れ出すぞ。このまま引きこもりになられたら遊び相手がいなくなっちまうからな」

「……面倒なやつ」


 けれど、断ったら余計に面倒になるのは目に見えている。

 仕方がない。


 観念するかのように項垂れたまま、雨宮は一週間ぶりに家の敷居をまたぐ。

 降り注ぐ太陽に、目が眩んだ。

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