マリーゴールド (3)

 なんてひどい罰ゲームだろうか、これは。


 雨宮はファミレスの一角で詰められていた。

 対面に座るは秋葉。その隣には夏目。

 店内の最奥、窓際の席に追い詰められて逃げ場はない。


「エリナは救いがたい馬鹿だけど、あんたは呆れてものも言えない馬鹿ね」

「それはどっちがひどいんだろうか」

「どっちもどっちだけど、程度で言えば雨宮のほうよね」

「その心は」

「クズの度合いが一段勝ってると思う。過去のことをいつまでも引きずってる男子はかっこ悪いもんね」

「……まさか、エリナから全部聞いたのか?」

「全部話してくれなきゃ協力しないって脅したから」

「一等ひどいのは秋葉じゃね?」

「雨宮にだけは言われたくない。エリナがいまどんな気持ちでいるのか知りもしないで、よくもまぁこうも平然と生きてるわね」


 そんなつもりはない。

 平然なんてものからはほど遠い心地でここにいるのを、秋葉はまるで分かっていない。


「話聞いたなら、エリナのほうがひどいって思うのが筋じゃねぇのかよ」

「……まぁ、あんな状態の本人を前にしては、言いたいもんも喉の奥に引っ込むわよ」

「状態? 病気にでもなったのか」

「あの子はいま、色んなことが全部自分のせいで壊れちゃったって塞ぎ込んでるわ。連絡は取れて、話はできたけど、連休中はずっと部屋に引き籠もってたみたいだし。げっそり痩せちゃって、まぁ見るも堪えない有様だから」


 いい気味だ、と思ってしまった自分はひどい人間だろうか、と雨宮は考える。

 ある種当然の報いであり、同情の念なんてものは抱けない。


「雨宮はもう、エリナのこと、すっぱり諦めてるんでしょ」

「これまでのことを許し合えたとしても、これから先はお互い気兼ねなく付き合っていこうなんてことには絶対にならない」


 それだけは確信をもって断言できる。

 もう、欺瞞は通用しない。

 隠し事の一つもできない。

 全てを白日の下に曝け出しながら接し続けることでしか互いを信用できない。


 それは、常軌を逸した恋人関係にも似た関係性だ。


「だったらいっそ、このまま縁を切って、苦い思い出程度にしてしまったほうがいい」

「それ、本気で言ってるんだ」

「これ以上はお互いのためにならない。過干渉にならざるを得ない。そしてこの先、すでにもう一杯一杯な許容域を少しでもはみ出てしまったら、今度こそ取り返しがつかなくなる」

「……それでもあたしは、残酷なことをお願いするわ。仲直りしなさい」

「それがエリナのためになるとは思えない」


 偽りで、儚くて、脆くて、たった一時の関係性だったとしても……いつ訪れるか分からない決定的な破滅と取り返しのつかない傷跡を残すとしても、いまのエリナのために、俺が犠牲になれって、そういうことを言ってるって理解してるか?


 この程度でぼろぼろになったエリナも、自暴自棄になっている俺も、そんな強さは持ち合わせてないんだって分かってるのか?


「……人間って強いのよ。どんな辛い出来事だって、きちんと消化できるときがくるの。大切な人を失っても、大事な人と別れても、辛かった過去も、思い出したくない記憶も、やがて思い出にできる力を持ってるの」

「ふざけたこと言うんじゃねぇよ。そんなの、強い人間の言い分だろ」


 雨宮は憮然と言い放つ。

 明確な苛立ちが押し寄せていた。

 恋人に振られてもすぐに立ち直り、元カレは残念な男だったと話の種にできるような神経の持ち主だからこそ、当然のように言えること。


 それを、杓子定規のように弱者に当てはめることの乱暴さ。悪意はないのだろうが、どこまでも繊細さに欠けている。


 秋葉のそれは、生きている者の理論だ。強い者だけの道理だ。


 死んでいないだけの人間にとっては、あまりにも難しい。

 消化しきれずに、負けてしまうこと。咀嚼しきれずに、押しつぶされてしまうこと。


 そういった人間なんて存在しないのだと、本気で信じているかのような。


「……じゃあ、このままエリナが廃人みたいになってもいいってこと?」

「……はぁ?」


 耳を疑った。


「脅しのつもりかよ」

「心も体もボロボロで見るに堪えない状態だったから、医者に行けって薦めてきた。客観的にみて、鬱というか、そういう感じの一歩手前」

「っ…………」


 想像できうる限りの、最悪の一歩手前という状態。同情はできないまでも、さすがに哀れさを感じずにはいられない。


 ただでさえ両親の離婚があって、決して上手くいっているとは言えないエリナの家庭環境。そこに澤野との破局があって、精神的にも肉体的にも限界まで追い詰められていたところに、雨宮が決定的なまでのとどめを刺した。


 全てはエリナが引き起こしたこと。

 だから、その結果が降りかかっているだけのこと。


 そう何度も言い聞かせながら、罪悪感を微塵も抱かないなんてことはできなかった。


 無関心が信条でも、無責任でいられるほど無神経ではない。


「皮肉なことに、いまのエリナを生かすも殺すも雨宮次第よ。あんたが望まなければ望まないほどに、エリナの今後が雨宮の行動で決まっていく。無関心を貫けば貫くほど、自責の念を未来永劫抱えて生きていくことになる結末が待ってるわ」

「……冗談はやめてくれ。笑えない」

「こんなこと冗談にするなんてナンセンス極まりない。状況は間違いなく、雨宮次第でどっちにも転ぶ。本当にエリナのことをどうでもいいと思ってるなら、もう雨宮に頼らない。あたしがなんとかする。けど、少しでもエリナをどうにかしたい気持ちがあるんだったら、あたしがエリナとあんたを引き合わせる」

「別に秋葉の手助けなんかなくても、エリナにはいつでも会えるだろ」

「いいえ、無理よ。言ったでしょ? カウンセリングを薦めてきたって。あの子、いま病院にいるもの。診断結果が出たら、恐らく自宅療養とともに、あんたや澤野とは会わないようにしろって言い渡されるはずだから」

「なんだよそれ」

「原因があんたなんだから当然でしょ。精神科医としては当然、療養のために刺激になるものと触れ合わないようにって診断を出すに決まってる。けれど、いまならまだ間に合うわ。あたしだったらどうにかできる」

「どうしてだよ。秋葉はなんの権限もないだろ?」


 雨宮の疑問に、彼女が胸を張って答える。


「あたしの親、精神科医なの。紹介したのもそこ。だから、奥の手が使えるわ」

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