STORIA 77
一度に状態を伝え様とする反面で、流暢に言葉を繋ぐことが流石に難しいらしく、八尋さんは咳嗽を繰り返しながらも時間をかけてゆっくりと伝えていく。
いつの間に、周囲が入院を促す様な深刻な事態になっていたのだろう。
供に暮らし、最も側に居られる存在でありながら、日毎に病が昂じる八尋さんの変化に気付くことが出来なかった自身の眼識のなさを強く悔やんでいた。
だけど、本当は何事もなければいいという、気持ちの裏返しだったのかも知れない。
「何だよ、それ。まるで死を悟ったみたいな言い方をして」
「そんな積もりではないよ。幾つ年齢を重ねても、死を受け入れるというのは生半可なことじゃない。元気な時は普通に車の運転だって可能だし、食べたいと想う物を口にすることも出来たから、良くなっているって錯覚……を起こすこともあったくらいだから。今は何処まで腫瘍が進行しているか分からない」
神妙な面持ちで八尋さんを見守る都をよそに、伯母と名乗る老婦は随分と落ち着き払った様子で何かを探し始めていた。
「秀蔵。保険証や印鑑などの必要な物はどこに仕舞っているの。着替えやタオルなども含めて、自宅で準備出来る物は予め用意しておかないとね。場所を教えてくれたら私が荷物を纏めるから、言って頂戴。今日はこんな時間だから、入院は明日になってしまうけど。お陰で万全の備えが出来ると想えばね」
良くない事は何故、折り重なって訪れるのだろう。
最も優先すべきことを頭では理解していても、全てに対する暗澹とした気持ちを拭い去れずにいる。
「黎。ちょっと」
一度は室内から離れていた都が、廊下側から小声で僕を呼んだ。
彼は扉の隙間から周囲を透かし見た後、さらに声音に気を配る。
「伯母さんが釧路まで出向いて来たってことは、秀蔵ちゃんの言う通り、覚悟を決めないといけない時期が近付いているのかも知れない」
遣り切れない表情を露にした都が、僕に救いを求める様な視線を注ぐ。
「何か、根拠でもあるのか」
「医師が入院を促すくらいだから、重篤であることには違いないだろ。主治医が秀蔵ちゃんに病の進行具合をどこまで話しているのか、分からないけど。伯母さんも、それなりに想うことがあるから遠方から訪ねて来ているんだと想うし。正直、あまり悪い方向ばかりには考えたくはないけど。俺は最悪の事態だけは遠避けたいと想ってる。それに、肝心の秀蔵ちゃんの口からは決定打になる様な言葉は未だ聞かされていない訳だからな」
都は遠回しに、癌の末期宣告のことを言っている。
八尋さんの現在の様子から見て、医師は彼の容態を正確に把握しつつも、直接には本人へ伝えていない様にも想えた。
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