STORIA 76

風除室を潜り玄関扉を開くと、僅かに照明灯が漏れていた。

「誰か、来てるのか? こんな夜中に……」

三和土に見慣れない女性用の防寒草履が置かれていることに気付いた都が、室内を窺う。

来客はすぐに姿を現した。

「あなた達、こんな遅くまで何処に行っていたの。もう、深夜零時を迎えるところよ。ああ。私のこと、覚えてるかしら? 秀蔵の姉で、都、あなたの伯母よ。弟から聞いたわ。もう随分と長い間、ここで世話になっているみたいね」

和装の老女が都の顔を徐に見上げて言った。

真っ直ぐに伸びた背に、品格の伝う指先と物腰。

傘寿の祝いを間もなく迎えるだろうと想わせる女性の姿は年嵩を感じさせることはなく、端厳としていた。

僕は軽く頭を下げて挨拶をする。




「伯母さんの方こそ、わざわざ青森から? 」

「そうよ。この歳になっても唯一、健康だけが取り柄でね。今日は弟の大事な手続きの為に訪れたのよ。でも、あなた達の帰りがこんなに遅いとは想ってもいなかったから。とんだ待ち惚けだわ」

「手続きって一体何の……」

「入院手続きよ。弟から聞いていない? 膵臓癌のこと。今はあなた達が居てくれるとはいっても、弟の一人暮らしに変わりはないわ。何かあってからでは遅いものね」

「今、何て……」

深刻な事態に慄然とする都が室内へと上り込み、二階へ向かった。

僕も彼の背を追う。




「秀蔵ちゃん! 膵臓癌って、本当なのか? 何で俺等には黙ってたんだよ!」

血相を変えて姿を現した都に、寝室にいる八尋さんは俄かに驚いた表情を見せる。

彼は夜具から上半身だけを起こすと、嗄声を絞り出した。

「すまん」

否定をしない伯父の言葉に拍車を掛ける様にして、都の表情が青みを増す。

「癌って、医者がそう言ったのか」

八尋さんが黙ったまま頷く。

寝具を掴む、年輪を刻んだ指先が微かに震えている様にも見て取れた。

「半年ほど前に市立病院を訪れた際、造影剤を用いた画像診断では癌の影がはっきりしなくて……。癌が小さ過ぎたのか、良性か悪性かさえも分からない状態だった。それでも、膵臓に何かがあるのは分かっていた。その後、しばらくは症状も安定していたんだが……。最近、また具合が悪化してしまって……。再び病院を訪れたら、腫瘍マーカー……で血清アミラーゼとリパーゼの数値が異常値を示していたことから、医師からは極めて癌の可能性が高い……と言われて、超音波内視鏡検査を勧められたんだ。そこで、初めて癌が発覚したよ。以降は通院でジェムザールという抗癌剤治療を続けていたんだが、先日の診察で入院が必要と言われてな。覚悟もすべきだと想ったから、姉に連絡したんだ」








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