STORIA 22
髪を掻き上げた腕の下方、胸元の襟口奥から覗く疵痕にふと、僕は違和感を覚えた。
「都、怪我してるんじゃないのか? ほら、首の奥のところ……」
伸ばした僕の指先を、都の腕が素早く払い退ける。
「触るなよ」
強く拒む言葉に、行き場をなくした手が戸惑う。
こんな、都を見るのは初めてだ。
触れる隙を与えないほど、頑に振り切るなんて、よほどの事なのだろうか。
ただ、僕は心配だった。
いくら他人事とはいえ、身近な関係にある親友が傷付く姿など、見たくはないものだ。
「少し、かすった程度のものだから。大袈裟な目で見るなよ」
「ごめん。大した事ないなら、いいけどさ」
この視線は敢えて意識せずとも、都の胸元を追ってしまう。
彼は鋭く察したのか、僕から逃れるように、解放されていた襟口のボタンを閉じてしまった。
たとえ、親友同士でも言い辛いことはある物だ。
僕は自身にそう、言い聞かせていた。
都が話さないなら、彼の心に詰め寄る資格などない。
本人が平気だと言い張るのなら、僕の想いは単なる取り越し苦労でしかないのだろう。
「黎。退職日は、いつなんだ」
怪訝そうな表情を引き摺ったまま、都が言う。
「来月、八月三十一日だよ。ちょうど、給料の締め日だ。都は?」
「俺は、その三日前の二十八日。ほぼ、同じタイミングだな」
丹頂を撮るという明確な目的は存在しても、何も知り尽してはいない大地へ飛び込む様なものだ。
″成り行きまかせの施策の旅だね″と僕が言うと、都はようやく取り戻した笑顔を見せてくれる。
彼の伯父が住む、釧路での拠点の確認や釧路全域の大まかな地図の把握、出発時刻の詳細などを、この日は二人で延々と話し合っていた。
八月三十一日。通い慣れた会社までの道筋を辿るのも、今日で最後だ。
この気持ちに似つかわしくない空は、昨日と変わらずの表情を保っている。
残暑の厳しさを薄めることなどない陽射しの強さは、眩しいほどの輝きを放ちながら、消沈しきった心さえも嘲笑った。
都もほぼ、時を同じくして職を失う。
彼にとってみれば、釧路行きが完全な物となる、記念すべき一日になるかも知れない。
僕は、迷いがあるわけじゃない。
あの日、固く示した意思表示を、今も維持し続けている。
「おはよう、黎君。今日で最後だなんて、寂しくなるわね」
「主任。おはようございます」
自分の部署へ着くと、既に席に腰を降ろす、企画課主任の金城さんが言葉をかけてきた。
彼女は、僕よりも二回りも歳上だ。
それにしても、最後という言葉を改めて向けられると、実感が込み上げて来てしまう。
壁掛け時計の秒針が発する微かな音色に、ゆっくりと耳を傾けながら、僕は部署内を見渡していた。
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