第二章/幻想暮夜

STORIA 17

『黎。お前、今、何処にいるんだよ。さっき、黎の家を訪ねたら、すでに出たって聞いてさ。これから、逢える?』

都からだ。

彼も珍しく、目覚めのいい朝を迎えたらしい。

落ち合いを求める都に早速、返信をしようと僕は文字を変換し始めるけれど、新たなメールが編集中の画面を割いて入り込む。

『今、駅から少し西へ入った並木通りの所にいるんだ。分かるだろ。俺の通勤路。ここまで、追いかけて来てくれよ。黎』

一方的な都からのメールに、僕は想わず溜め息混じりの微笑を零す。

彼が言う並木とは、ケヤキの列植のことだ。

僕がいる、現在地とは逆の方面じゃないか。

「しょうがないなあ」

了解、と一言だけを送信し、腰を降ろしていた涼台から足を起こす。

親友は、相変わらず無茶を言う。

だけど、僕はきっとすぐに、都の姿を探し出せる。

たとえ、深く掻き分けなければ掬い上げられない様な、多勢の中であってもね。

今、一刻も速く、彼に逢いたいんだ。

昨夜の決意が希薄化しない内に。

都が普段使う、通勤のための道のりを急ぎ足で目指す。

住宅地を抜けると、背の高いケヤキ並木が眼前に拡がる。

ケヤキの根元から覗く、常緑低木のクサツゲが、生まれたばかりの朝陽を仄かに受けて、褪せた輝きを放っている。

古びた絵本の中の様な雰囲気を醸し出す、それでいて、確かな演色を保ちながら。




「黎! おっせーよ」

僕を待ちわびたその表情は、発した言葉とは裏腹な優しい面持ちを見せる。

「ごめん。都とは逆方面の場所にいてたものだからさ。そっちこそ、どうしたんだよ。こんな、明け方過ぎに」

「昨夜、寝付くのが早かったから、自然に目が覚めたんだ。家にいるのも退屈だし、黎のところを訪ねたってわけ」

なんだよ、それ。と、僕は一言呟いてから、お互いの顔を見合わせて笑った。

伝えなければ、彼に。

気付けば、ただ真っ直ぐに都の瞳を見据えている自分がいた。

「黎?」




寝覚めの光を受けて、青磁色に輝く常緑低木が夜明けの碧さと同化する。

引き明けにくすんだ葉色は何よりも美しい物として、この眼に映った。

このまま、幻想的な世界へ連れて行かれてしまいそうな、儚げな予感をいくつもの箇所に漂わせて。

眼を逸らしたなら、足元から大気に全てを掬われる様な、曖昧な感覚にさえ囚われている。

「北海道へ行こう、都」

「……黎? 何、言ってんだよ。あれだけ、反対してたお前が」

僕の言葉が信じられないといった様相で、彼が訝る。

それも、そのはずだ。

釧路行きを決断した、この僕自身が驚いているくらいなのだから。

「仕事は、どうするんだよ。あれほど、職探しを優先したいって言ってたのは、黎の方だろ」








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る