STORIA 11


どうやら、僕の憶測は図星の様だ。

気恥ずかしそうな表情で手にした匙を、スープ皿の中で執拗に動かす、母の行為がそれを物語っている。

振り返ってみれば、こんな風に面と向かって、彼女と会話を交わすことなど最近では少なくなっていたかも知れない。

これまで築き上げた物を失ってしまうという実感からなのか、欠落した想いが様々な物の変化を脳裏に運び込んで来る。

例えば、目に映る見慣れたリビングのカーテンが新しい布帛に取り替えられていたりだとか、窓から覗く庭先を飾る草花が表情を新たにしていたり。

長らく共にして来た生活背景が、緩やかな時の中で変移を告げる。




「ありがとう。母さんの言うことも一理あるけど、時間を作って職業安定所に通うよ。退職直後に次の仕事に就けるように」

「黎は、本当に生真面目ね。いいの? 都君のことは。誘われているんでしょう」

都は事の重大さが分かっていないのだと、言葉を露にしたかったけれど形にならず、代わりに僕は溜め息を零す。

窮屈な時代に生を受けたことを、息苦しく想わずにいられない時もある。

現実と羨望との狭間で漫歩きをしている己を自覚しながら、意向をひた隠しにして生きて来た。

家族の期待を裏切るような感情は曝け出したくない。

親が望めば、それに近付けたらと願う。

理想の自分像をひけらかしているようで、居心地の悪さを感じることもあるけれど、これが、僕という人格だ。

決して、善良な人柄を演じ切っているわけではない。

ただ、気付けば、自身でも本能が求めていることなのか、時代の行きがかりに逆らう気持ちが残っているのか、真実に時として惑うこともある。

「ねえ、黎。あなたは真面目だから。私達、親に心配かけないようにと無理に自分を見せようとしているところもあるんじゃない? 時には本音を言ってもいいのよ。人は、完全じゃないんだから」

優しく語る、彼女は情緒的な眼差しを見せる。

母は恐らく気付いている、僕が改めて吐露するまでもなく。

親というのは、そんな物だ。

誰よりも子供の心を知り尽す彼女の炯眼が、僕自身の中でも明瞭にされずにいた感情の一面を引き出して来る

。"本当は……"、頑に噤む胸中が、微かな想いを伝えようと一瞬、喉元を震わせた気がした。

本当は?

僕は何を言おうとしたのか。

「黎?」

「都のことは、ゆっくり考えてみるよ。ご馳走さま」

閑かに席を立ち、僕は食べ終えた皿を流し台にそっと置く。

「今日は、仕事、休みなんでしょ? 黎」

「うん。これから少し、外の空気を吸ってくるよ。本当は職業安定所に行きたいんだけど、日曜だから開いてないしね」

就業を繰り返す日々の中に訪れる休日は、瞬く間に過ぎて行くように感じていた。








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