STORIA 93

この人にとって、これ程触れたくない話はない筈なのに。

「どうしてかな。やっぱり同じ血筋だからかな。俺が佐倉君の姿に惹付けられた様に、蘭も君に何かを感じたからじゃないのかな」

「だけど蘭はもう今頃僕の事は……」

「心配しなくてもあれ以来、妹には何も言っていないよ」

「本当に……?」

「ああ。でも未だ認めた訳じゃないからな、君達の事」

僕に対する嫌悪感の薄れた彼の心が、次第にこの想いを開かせていく。

贅沢は言わない。

あなたの中で僕という存在が、少しでも良い方に変わって行けばいいと願っていた。





「俺も君に聞きたい事があるんだ。君はどうしていつも何かに怯えた目をしているの。筆を手にしている時とはまるで違う。自分の居場所がないみたいに狼狽えながら、警戒心を張りつつ、周囲に一線を引いているよね。人が嫌い?」

「僕は昔から、ああなんです。他人と面と向かい合うのが苦手で。ただ何となく気が付いたら、こんな自分になってしまっていたんです。今では、それが僕らしいと言うか……」

「人の心に深く触れる事が怖い?」

「それは……」

「辛かったんだろ? 君はきっと、自分の中で簡単には片付けられない様な傷を負って来た」

「どうしてそれを……」

「分かるんだ。君の様に自分の心を他人に見せる時、何処かで躊躇していたり、感情を曝け出す事を非道く恐れていたり。そういう子は決まって心に傷を抱えている事が多いんだ」

「でも、絲岐さん。僕の傷みなんてきっと、本当は限りなく小さな物の筈なんです。僕は躰に染み付いた傷を勝手に、都合のいい様に誇大化しているだけで。まるで自分だけが不幸の渦中に居るみたいに」

「どういう事?」

「あなたは、僕が家庭内で虐待を受けていたり、学生の頃に校内で酷い苛めに遭っていたんじゃないかと想っているかも知れません。だけど多少の事実を除けば、そんな風に目に見える程の痛ましい仕打ちをされた訳ではなかったんです」

「それじゃ、言葉の暴力か」

彼の音吐に、僕は閑かに首を縦に降ろした。

「何気なく吐かれた言葉や周囲に、自身の存在さえ無視されてしまう事が時として、手を上げられる事よりも深い傷を負う場合だってあります。どうしてそんな事位で……って想うかも知れませんが、僕には苦しくて。気が付くと、自分独りじゃ抱え切れない程、ほんの僅かな蟠りが過大な物になっていたんです。最初に僕の元に降りて来た傷の欠片がいつの間にか嵩高くこの躰に降り積もって、僕はもう身動きさえ出来ずにいた。この筆の様に先から零れ落ちたインクがですよ、時を重ねた後に膨大な物になっていたなんて、自分でも驚くばかりでした。心が気に掛けていないつもりでも、夜が訪れる度に、瞼の奥には辛い過去や現実だけが走馬灯の様に襲って来て、寝床の中で戯言みたいに唸される自分がいたんです」

「だけど君には夢中になれる物が、絵画がある。好きな物に熱を注ぐ事で、辛さに嘆く心から少しは解放されていたんじゃないか?」








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