STORIA 92
「ああ。どんな想いが込められていても、君が懸命に描いた物に変わりはないからね」
「絲岐さん……」
僕は彼の肖像画の片隅に、小さく自分の名と日付を書き記した。
「ありがとう。必ず大切にするから」
絲岐さんは嬉しそうに僕から受け取った絵画を丁寧にその手に収める。
「絲岐さんは……、あなたはどうして僕に優しい言葉を掛けてくれるのですか? あなたにとって僕は大切な妹を横取りした気に入らない存在の筈でしょう?」
「確かに俺は未だ君と蘭との事を完全に認めた訳じゃない。だけど、それとこれとは話が別だ」
「でも、僕は蘭を深く傷付けた……」
「君と妹の間に接点があっても、また、なくても。俺は君の絵画に関してだけは、一人の人間として興味を抱いているんだ。君の優柔不断な一面を知ったからって、創作に熱心に打ち込む姿にまで嫌悪を抱いてしまうのは不条理だろ? 魅力を感じたから距離を縮めたい、それはいけない事なのか? 君が用紙に向かい、無心に描く姿にただ素直に惹かれてた。その姿勢と完成品には光る物がある。それが何処から来るのかは分からないけれど、俺には凄く惹付けられる物があるんだ。初めて君の描く姿を見た時は、特に強くそう感じていたよ」
「こんなに夢中になれる物がそばにありながら、僕は夜遊びに溺れた……。あなたはきっと非道く幻滅したでしょう?」
「事実を知った時は哀しかったよ。だから君の自宅まで強引に押し掛けたりして、想わずカッとなってあんな言葉を吐いてしまったんだ。情けない話だけど、俺が惹かれた君の長所さえ汚らわしい物に感じる事だってあった」
「じゃあ、どうしてまた僕に……?」
「不思議だね。絵画という鎖が君と俺を確りと繋いでいたのかもな。それに、もう一度逢いたいと強く願っていた。せめて、詫びの言葉だけでも伝えて置きたくて。君の創作時にその場所へ足を運ぶ時には、何度訪れてもその心は今日、俺を描いてくれた瞳と同じ懸命さで筆を染めていたよ。俺が初めて目にした姿の印象を何一つ崩す事なく……。君に入り込む隙間もない位にね。だから、こんな綺麗な作品を描く子が芯から汚れているとはどうしても想えなかった。何か事情があるのかと想ったんだ。蘭と付き合う以上、そういう事は止めて欲しいと考えてしまうのも本音だけれど」
「今はもう……、他の女の子とは逢っていないです。こんな事、僕には言う資格はないのかも知れないですけど、僕が本当の意味で必要としているのは蘭だけですから」
「どうして他の女の子と関わりを持ったんだい?」
「蘭の居ない夜が淋しくて、僕には耐えられなかったんです。いつも、当然の様に彼女は僕のそばに居たから……」
「誰でもいいから、温もりが欲しかった訳か」
絲岐さんは哀しそうに呟いた。
「君はきっと、不器用なんだな。だけど色々な事を落ち着いて想い起こしてみると、蘭が君を選んだ理由が今なら少し分からない訳でもないんだ」
「それはどういう意味ですか?」
その問いに、あなたの表情が仄かに和らぐ。
僕は非道く胸が痛んだ。
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