STORIA 86

不機嫌そうに景色が流れる窓を眺め、絲岐さんの心を探っていた。

「良かったらお茶でも」

彼は茶店の横で車を止めた。




「絵を描くのは好き?」

「何ですか、急に……」

「いや、本当は声を掛け様か迷ったんだけど、君が余りに夢中で描いているからさ。よっぽど好きなんだなと想って」

僕は彼から目を逸らしたまま、珈琲に手を添えた。

「いい顔してる、そう想った」

彼は真っ直ぐな視線で僕を見つめている。

あの時と同じだ。

優しい心だけを僕の元に置き去った瞬間と。

僕はその時、初めて彼の言葉と向き合った。

絲岐さんは少し伏し目がちに、僕に笑顔を見せながら話す。

落ち着いた表情で静かに。




「素直な絵を描く子だと想ったんだ。俺にはそんなに夢中になれる物がないから、羨ましかった。君の描くその色の世界には様々な想いが込められているんだろうって、憧れもあったから」

そんな風に言われたのは初めてだ。

僅かな胸の傷みが走る。

だって僕の描く作品の略、全ては行き場のない気持ちや満たされない心を用紙にぶつけているだけで。

そんな想いを抱き描く姿勢はきっと、想像以上に歪んだ物だと想って来たんだ。

それを正面から素直な感情で捕える彼の存在は、僕を恥ずかしさへと追い遣る。

だけど、ふと蘭の姿が浮かび上がり、彼の言葉に流されていく自分の心を我に戻した。

「あなたが僕に話したい事は、そんな話じゃない筈です」

苛立ちを隠せず、漸く零した僕の言葉に彼は優しい表情を落とし、カップを手元に降ろす。

「……ごめん。本当はもっと早くに君に言わなければと想っていたんだ、蘭との事。君に二度目に再会した時には事実を知っていたから」

「それじゃ何故あの時に……」

「言えなかったんだ」

彼はそう言ったきり口を噤み、暫く開こうとはしなかった。

「ただ、どうしても君に謝りたくて。衝動的……だったとはいえ強い言葉を吐いてしまった事。ごめん、許して欲しい」

「蘭との事、認めてはくれませんか?」

一歩引く態度である彼に、僕は強く切り出してみる。

「……暫く考えさせて欲しいんだ」

「そうですか、分かりました。すみません、今日はこれで。そろそろ帰ります」

蘭との関係に亀裂を齎せた根元は全て僕にあったのに、自分勝手な言葉と行動で彼から逃れ様と席を後にした。

「いいよ、俺が払うよ。今日は無理にこっちが誘ったんだから」

「いえ、結構です」

「でも……」

「じゃあ、僕と蘭の事を認めて下さい。僕があなたに望む事はそれだけです」

「だからそれは……」

彼が再び息を詰まらせ、言葉を控える。

僕は絲岐さんに背を向け、茶店を出た。




そうだよ、僕には蘭だけが居ればいい。

他には何も要らない。

なのに、彼のくれた優しい言葉だけが頭から離れない。

飾りない素直な想いが嬉しかったと、正直に言ってしまえばそれまでだけれど、彼の音吐に込められた何かが僕の胸で波打っている。

でも彼は遠回しに言っているだけで、本当は僕と蘭の仲を切り裂きたくて堪らない筈だ。

だから彼の生み出した感情に優しさが住んでいても、僕の躰は拒絶しているんだ。











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