STORIA 87
悲しいよ。
こんな事しか想えない自分が。
初めて僕の描く物に与えられた純粋な想いを忘れない様にと、記憶が何度も彼の言葉を染み込ませて来る。
その度に胸が苦しくなる。
蘭の事に関して彼が僕に意思を譲らないのはともかく、折角 僕の描いた物に素直な心を寄せてくれていたのに。
親切心を踏み躙る様な真似をして、僕は少し頑固さが過ぎていたのかな……。
だけど、蘭の兄という彼の責任行為に、僕はその優しさにどうしても心許してはいけない気がしていたんだ。
結果、傷付くのは僕なのだから。
それにもう、今度こそ彼とは逢う事もないだろうと想っていたし。
僕はお得意の思考で終えた過去を引き摺り出し、悶々と考え詰めていた。
そんな矢先に、僕は想いも因らぬ事態に巻き込まれてしまう。
僕はブックストアへと足を運んでいた。
後、数分で着くという処に慌ただしく駆けて来る足音を耳にする。
騒がしいな……、そう考えている余裕もなく、僕の体に一人の人物が激しく衝突して来た。
加速していた足元に突然歯止めが掛かってしまった男性は重心を崩し、そのまま地面に横倒しになってしまった。
引き摺られ、巻き添えを喰らった僕も地に掌を滑らせる。
「痛……」
僕が自分の体を庇うと、彼は不機嫌そうに舌打ちをした。
併し、その手は鞄で顔を覆う様に隠している。
何やら背後ばかりを気に掛けているみたいだ。
彼が様子を窺う、見えない角の奥に押し寄せる人声が近付いて来るのを感じ取る。
咄嗟に彼は体を起こし、衣服に纏い付く砂埃を払い除けると、手にしていたもう一つの鞄を強引に僕に押し付け、その場を去った。
「一体、何だったんだ……」
事態を把握しようとしたのも束の間、数人の人集りが一斉に僕を目がけて押し寄せて来ようとしていた。
「あんたね、私の鞄を盗ったの! 貴重品を奪い取るつもりだったんでしょ。返してよ!」
際に居た女性が、僕の腕にあった鞄を引き千切る様に取り返す。
「違う、僕は……」
「嘘言わないでよ。私達、ちゃんと見てたんだから。背格好も服の色も、はっきり覚えているもの」
彼女の言葉に、僕は想わず視線を胸元に落とす。
そうだ、さっき衝突した男性も僕と同じ様な格好をしていたな。
女性は明らかに僕と彼を見間違えているんだ。
「誤解ですよ、僕は……」
「目撃者を前に堂々と言い訳するつもり!?」
女性が息み立つと、周囲もその感情の起伏に乗る様に騒ぎ始めた。
これでは何を言っても信じて貰えないかも知れない。
そう感じた僕は首を落とし、誤解を解こうと積極的に意思を働かせる気も徐々に失っていった。
こういう厄介な事態に巻き込まれるのは、いつも僕ばかりだ。
自分が望まない程、面倒な事に遭遇する確率は高くなってしまう。
女性は痺れを切らしていた。
ただ僕は濡衣にあっさり頷いてしまう程、御人好しでもない。
併し、このままじゃ身動きが取れない。
「その子は物取りなんかじゃない」
僕の不安を取り除く様に現れた声が、周囲の騒がしさを一瞬にして静める。
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