STORIA 47

「ほんと? ありがとう。じゃあ苺ミルクを……」

「うん、分かった。少し待ってて」

「私が手術の間、右京さん大丈夫かなあ……。急に具合が悪くなったりしないかしら」

お姉さんは僕が買ったジュースを片手に、相変わらず同室で眠る老婆の心配している。

自分の手術日が目前だという事もそっち退けで。

「お姉さんはどうしてそんなに右京さんが心配なの?」

「この間、面会に来てくれていた私の両親ね……。実は本当の両親じゃないの」

「そうなんだ……」

そうか、だから僕の身内の話に対して、あんなに懸命な言葉を返していたのか。

僕は彼女が今まで吐いて来た言葉の重みを今更ながら感じてしまっていた。

「右京さんは私が五歳の頃から自宅の向かいに住んでいて、子供が好きな凄く面倒見の好い人だったの。でも中学二年の時、自分があの家の本当の子供じゃない事を知って私、ショックで立ち直れなくて……。そんな時、普段以上に親身になって接してくれたのが右京さんだったんだ。胆石で何度も入院を繰り返していた私に頑張れって励ましてもくれた。まるで本当の肉親の様に第一に私の事を気に掛けてくれていたから。だから恩があるの」

「でも血は繋がってないんでしょ。そんな他人なんかに何でそこまで……。ごめん、僕には分からないよ」

「でも大切なの。凄く御世話になった人だから。少しでも力になりたいの」




僕は自分のベッドを離れ、右京さんの寝姿をその際から見降ろした。

お姉さんが右京さんを心配する純粋な気持ちも分からない訳ではないけれど。

僕は右京さんの弱く痩せ細った手を取った。

その何とも言い様のない感覚に少しばかり怖くなる。

強く浮き上がった血管に衰えを感じさせる凝縮された皮膚の表面。

人の手に触れているというよりは、まるで幾つかの骨を握り締めているという感じだった。

「僕にとって、彼女は映し鏡かな……」

「え……?」

お姉さんが不思議そうに僕を見つめる。

「ごめん、何でもないんだ。忘れて」

右京さんは僕の行く先を映し出す鏡だ。

行き場のない心を見事に露にしている。

現実はそんなに綺麗な事ばかりではないという事。

弱さに埋もれた者は自分を苦しめる黒い渦に巻き込まれながらも、慣れて行くしか仕方がないという事を彼女の体から感じていたんだ。




翌日、お姉さんは右京さんを気遣う心を充分過ぎる位、部屋に残したまま手術当日を迎えた。

看護婦がお姉さんをベッドごと室内から取り外し、集中治療室へと運び始める。

「歩けるのに何だか変な感じね」

彼女は相変わらず元気な様子だった。

手術を終えると彼女は暫くの間、個室で夜を迎える事になる。

そして僕にも右京さんと過ごす最初の一日が訪れる。

お姉さんの居ない空間は想像以上に静かな物で、普段より病室独特の香りがやけに鼻にも付いて離れなかった。

職場や家庭で取り残された、あの時と同じ気持ちを僕は再び味わい、何だか物悲しい気持ちにもなっていたんだ。








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