STORIA 10

僕を見付けてくれる瞳に。

ただ優しさが欲しいだけなんだ、温かく差し伸べてくれる手に。

そうして受ける事ばかりを望み続けていた。

人には与える事抔何一つせず。

癒やしも、幸福も、安らぎも。




「ね、生まれ来る前に戻ろうよ」

「生まれ来る前…?」

「そう。心をリセットするの。空白にしてあげるの。生まれる前の真っ新な気持ちに反るの。そうするとほら、少しだけ楽になれるでしょう?」

彼女の言葉に僕は母親の胎内に居る様な肉感を覚える。

その衒いのない言葉が不安に怯える僕の心を確かに解きほぐしていた。

彼女の吐息に甘える時間は僕にとって溜飲を下げてくれる大切な宝だった。

蘭はこの世界に居る他のどの女の子達とも違った。

彼女のそばに居る時は僕を取り囲む空気が優しく寝静まる。

そしてすぐに気付いてくれる。

僕が淋しさを抱えている時、辺りで幸せそうな笑顔が飛び交っていても空気の壁をせなに悲しみに涙翻す僕を。

誰かが何かを勝ち得る瞬間には僕はまた一つ大切な何かを失っているんだ。

どうしてその幸せは僕を見てはくれないんだろうと。




蘭、君を愛してる。

ただ純粋に。

君の心が欲しいと僕を見つめる明眸にこれ以上ない至福を抱きながらも彼女の心を強く縛り付けていたくて、君だけは僕の味方だとその感覚を実感し優しさをもっと近くに手繰り寄せたいと君を深く愛していて。

侘しさに爪痕を残したまま。

「あなたはもっと色々な人と触れ逢わなきゃいけないわ」

彼女の指が冷たく僕の頬に触れる。

「僕には蘭、君だけでいい。他には誰も必要としない……」

"それではあなたが淋し過ぎる"、と彼女の指先がこの心を哀れんだ。

「手、熱いね……。もう戻ろうよ。あなたの体、寒さでやられてしまうわ」

優しい彼女の言葉に僕はその場を一歩も譲る事なく、ただ細腕に橈垂れ掛かっていると、蘭は僕に自分のコートを羽織わせた。

そうして確りとこの体を抱き、"しょうがないわね" とその両手で僕の背中を冷気から守った。




朝陽に重い瞼を開け見る頃には僕の体に優しく馨る蘭の温もりは略、消え掛かっていた。

昨夜の雪は心に痛過ぎた。

あんなに歪んだ想いで見る極上の景色は僕にはもったいない位の物だった。

彼女の肌にも。双方に申し訳無いというべきなのかも知れない。

気が付いたら独り。

僕は自宅の寝室で再び寂しい朝を迎えていた。

ああ、そうか。

暁まえにこの足で確りと家まで戻って来ていたんだ。

体だけは自分の帰る場所を知っている。

どんなに僕がこの家を嫌っていようともね。

僕は目を閉じていてもきっとこの場所に辿り着く事が出来るのだろう。

ブランケットから体を起こすと凍て付いた空気が閑かに僕を包み込む。

昨日に引き続き外は雪。少し表情を変え細い槍の様に降り注いでいた。

部屋の扉を開け冷たい階段を音もなく跣で下りる。

リビングに入ると窓の外に近所の連中と話す母の姿が見られた。

相変わらず愛想がいい様で。

僕は気付かれない様にカーテンを八分程閉めて一人朝食を取り始める。







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