黒閾のダークブレイズ re;fire
星住
プロローグ
“戦わずに敵に打ち勝つ”
武術の極意。
不殺の理。
活人技の心髄。
自らや守るべき者のために発展した護身術。
致死性を極めた暗殺術。
究極の先の一撃。
敵を倒す事に特化した戦闘技能。
力には数々の違いがあれど、“戦わずに敵に打ち勝つ”とは到達すべき極限の境地の一つにあたる。
戦わずに勝利する。
ある意味理想であり、不可能とされる領域。
達人は達人の力量を識ると言う。
圧倒的な武力による戦闘回避。
遥か高みにいる地位と名声による、世論通念の拘束力。
力には数々の違いがあれど、その領域に踏み込める人間は少ない。
そして、彼は……
そのどれにも属さない感情と言うモノで、その領域に足を踏み込んだ。
◇
グラルカンタ公国の辺境北方軍・第二連隊長カルレイン・バロックは悪夢に苛まれていた。
辺境ディスティニとの国境砦を守護する事になって一週間。
与えられた一個連隊の兵力に胡座を掻いていないと言えば嘘になる。
侮っていたと言うべきなのだろう。
砦に攻め入って来た相手はたった一人なのだから。
「なんだアレは……?」
眼下に拡がる戦火を理解できない。
砦の城壁、城門は魔道士三十人による多重結界と呪印障壁により硬く閉ざされていた。
それが粉々に打ち砕かれている。
それも物理攻撃で。
辺境に出したニ個中隊とも連絡が取れない。
砦内に配置した鎧で身を固めた兵士達が、あっさりと次々と倒れていく。
問題は誰も斬られてはいない事だ。
炎にたかる羽虫の様に突っ込み。
焦がされもせずに、その周辺でバタバタ倒れる様は喜劇のようだ。
悠々と正面通路を歩く黒い幽鬼には見覚えがある。
全身黒ずくめの異様な出で立ちに。
頭部のヘッドギアも黒。
ヘッドギアから覗く逆立った髪も黒。
その身を包むボディアーマーも黒。
片手持ちしている異様な邪気を放っている大剣も黒だ。
体のあちこちから吹きこぼれている“炎”も黒。 全てが黒い。
一番不自然なのは鎧の節々、剣から溢れ出ている黒い焔だ。
“黒き戦鬼”ガルン・ヴァーミリオン。
西方大陸に起こった最悪の戦争、冥魔大戦の英雄。
外世界からこの世界に進攻してきた外敵・冥魔族と近隣諸国との戦争は一年に及んだとされる。
十万の死者を出した最終決戦地、“冥夢の幻域”から唯一帰還した人間。
帰途のその姿は全身に被った返り血が黒ずみ、黒い悪鬼の様だったと言う。
そこから、ついた通り名が『黒き戦鬼』だ。
現在はこの東方大陸で流れの傭兵をしていると噂されており、数日前の小隊長とのいざこざの報告でその存在を確認。
一日前に届いた宣戦布告の手紙は部下のジョークと思っていた。
それがバロックの知る全ての事柄だった。
「たった一人でこの砦を……三個大隊の兵力を相手に本気で立ち向かう気なのか?」
わなわなと震える身体は、何故か冷汗でびっしょりだった。
あの男が現れてから心臓の動悸が治まらない。
まるで死刑執行の日取りを言い渡された死刑囚のようだ。
「報告します!」
走り込んで来た伝令兵の顔は蒼白である。
まるで氷風呂に放り込まれた直後の様に顔色が悪い。
「正面から侵入してきた賊は一名。自らを“黒き戦鬼”ガルン・ヴァーミリオンと名乗り進攻中。その者を討ち取るために近付いた兵士は剣を交える事なく絶命。切り結んだ兵は数名いた様ですが消し炭にされたとの事です」
バロックは絶句した。
近寄る事も出来ずに絶命?
そんな話は聞いた事も無い。
バロックの居る執務室にけたたましい音と共に、同じ様に生気を抜かれたような男が入って来た。
副連隊長ダルムである。
「連隊長、愚信いたします!」
「なんだダルム?」
平静に答えた筈の声は震えていた。
理由は謎だ。
「砦を放棄しましょう」
ダルムの表情には一点の曇りも……いや、焦燥に囚われた緊張した顔しかない。
たった一人の賊に砦を明け渡す。
前代未聞の珍事を、しかし、彼は本気で進言していた。
「何を馬鹿なことを? 英雄と言えど奴は一人。奇妙な術を使うようだが、部隊を連携させ後方から弓兵と魔法師団で攻撃させよ。所詮奴は剣士でしかない!」
精一杯の虚勢。
それを知ってか副連隊長は首を振った。
何か悔やんでも悔やみ切れない表情だ。
「私は奴の戦いを……クラナクタ峡谷戦で見たことがあります……あれは、あれは人間ではありません。あれは化け物。戦場の死神です。奴と戦うのは高位竜種と戦うのに等しい。同じ戦場にいれば皆殺しにされます。奴は危険過ぎる」
頭を押さえながら歯がガチガチと震え出す。
記憶と共に、悪夢が甦るような錯覚に恐慌状態に陥っていく。
「奴は竜種の咆哮と同じ、何か
「?」
「そうだ、俺はこの危機をアルイック卿に報告しにいこう。私自ら赴けばこの切迫した事態が分かる筈だ……俺は報告しに砦を離れなければ、そう俺は逃げる訳では無い」
副連隊長は不気味な笑いを始めると、そのまま部屋を出ていってしまった。
その様子を見た伝令も逃げるように退室する。
「何だと言うのだ一体!」
机に拳を荒々しく叩きつけると、廃棄処分用のゴミ箱をあさりだす。
そこからくしゃくしゃの紙を取り出した。
ただの紙に走り書きでこう記されていた。
『ナバシの村の護衛を請け負った。
だが、俺は護るのは性に合わない。
ナバシの村に手を出さないと言う公国印つきの誓約書を書け。一日待つ。
返答が無い場合は貴様らを駆逐する。
ガルン・ヴァーミリオン』
手紙の記述日は昨日だ。
続いて報告書箱から、三日前の廃棄処分リストをとり出す。
ぞんざいに机の上に拡げると、そこから黒い出で立ちの男の姿――ガルンの姿絵を発見した。
「こいつか」
第二中隊、威力偵察小隊零四連絡事項と書かれている。
辺境区域北K四四にて、ケト族の集落を発見。
接収領土に認定。
接収作業中、そこに居合わせた黒衣の男と小競り合いになる。
無駄な戦いを回避するため撤退。
接収物はリストに。
被害。
小隊長死亡。
部下四名死亡。
男の身元調査は添付ファイルへ。
「こんな村に、何故奴が?」
それは、ただの偶然でしかなかった。
村から略奪の限りを尽くしていた場所に偶然、死神が歩いていたに過ぎない。
部下の勝手な惨奪行為。
これから搾取するつもりの蛮族の村などと、見て見ぬ振りをしただけの無意な行動。
それがバロックの悪夢開始の引き金になっていたのだが、そんな事を考えている時間さえ彼には残されていなかった。
ガルン・ヴァーミリオンの調査書を食い入るように眺める。
バロックに出来た事はそんな陳腐な事だけだった。
砦内部で起こっている悪夢のような惨状は、沈黙によって包まれていた。
黒い戦鬼は悠々と歩を進めるが、周りを囲む兵士は誰一人動けない。
何故ならば、誰もガルンに斬り掛かれないからだ。
近づく人間はバタバタと倒れ、唯一近づけた人間は、ガルンの一振りで斬り伏せられ……火だるまになる。
ガルンの剣から出ている黒い焔に注目が集中するが、真に恐ろしいのは兵士を一撃で葬り去る剣捌きの方だ。
これでは、近付く者は無意味に死にに行くようなものだ。
誰しも多々良を踏む。
既に床下に転がる人間の数は五十を超える。
遠距離部隊から放たれる矢と魔術は、ガルンの体から出る妙な焔によって全て遮られていた。
「くそ! 何故、あいつがここに?!」
大隊長の一人、サワード・グラハムは震える拳を握りしめてそう呟いた。
ガルン・ヴァーミリオン。黒い戦鬼を知る、この砦の最後の不幸な一人は、運悪くこの時間の守備長を任されていた。
「改魔騎士、精神防衛術を使える
グラハムの声が静まり帰った大広間に響く。
その声にガルンは不敵な笑みを浮かべた。
「ほーう。俺の力を知っているのか? これは珍しいな」
そう言うと足を止める。
まるで相手の出方を待つかの様に。
グラハムの近くにいる兵士が恐る恐る声をかける。
「大隊長。あれが何か知っているのですか?」
黒い剣士から出ている黒い焔を指差す。
グラハムは顔を引き攣らせながら笑みを浮かべた。
「アレは何だと思う?」
質問に質問で返され困惑する兵士をよそに、ぼそぼそと言葉を続ける。
「あれは魔法を帯びた鎧や剣でも、炎術士の炎でもない……。アレは……」
「アレは……?」
兵士が生唾を飲み込む。
グラハムの顔から引き攣った笑みは消えていた。
死相が張り付いている。
「アレはただの『殺意』だ」
それがグラハムの放った最後の言葉だった。
砦はそれから僅か一刻で陥落した。
黒閾のダークブレイズ re;fire 星住 @hoshizumi
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