かつての幸せと、その崩壊

幸せな兄妹




 走る。疾駆する。駆け抜ける。まるで、涼やかに吹き抜けていく風のように。


 十五歳になったばかりの若く、しなやかな肉体が躍動する。ウタク・カムイは、この上なく急いで村はずれにある自分の家を目指していた。


 今日はいいことがあった。

 村の子供達と山に蜂蜜を採りに行って、誰も怪我をしなかった。その上、収穫できた巣には極上の蜂蜜がそれはもうたっぷりとためこまれていたのだ。

 ウタクは仲間たちとの『味見会』もそこそこに、自分の分け前を小さな壺に詰めると、自分の家へと戻る。


「ただいま戻りました!」

 野生のコスモスに囲まれた村はずれの小さなカムイ家の戸を、勢いよく開けた。

 もどかしく履き物を脱いでいると、奥の部屋から藍染めの着物姿の妹が咳をしながら出てくる。

「けほっ……おかえりなさい、兄さん。ずいぶん早かったのね……けほっ、けほっ……」

「今日は運良く誰も蜂に刺されませんでしたからね。それにたくさん採れたんです。レッラ、一緒に食べましょう」

「……いいの? 兄さんが採ってきたもの、なのに」

 ウタクが差し出した壺を見て、妹のレッラ・カムイはもじもじしながらも微笑んだ。

「あなたに食べさせたいと思って採ってきたものなんですから、レッラも食べてください」

「……うん、わかった。手を洗ったら食べようね」

「えぇ」



 囲炉裏端に座って、二人して小さな壺をのぞき込む。中には、とろりとしてきらきらと光を照り返す金色の蜂蜜が半分ほど満たされている。

 水で溶いた蕎麦粉を焼いたものと食べてもいいし、山で採れる酸っぱい木の実を漬け込んでおくのもいいのだが、やはりまずはそのまま味わいたい。

「「……ごくり」」

 ウタクは壺に木匙を入れて、ゆっくりと蜂蜜をすくい上げる。とろりとろりとした金色のしずくを指先でひとすくいして――妹に差し出した。

「あー……ん」

 妹は小さな口をこれでもかと大きく開けて、ぱくりとその指に食らいついた。

 温かい舌が、ウタクの指から蜂蜜をゆっくり舐め取っていく。

「美味しいですか?」

「もちろん……とっても甘くて、とけちゃいそう……」

 自分の両頬を手で押さえて、レッラはうっとりと幸せそうな表情だ。そんな顔をしてもらえるなら採ってきた甲斐があるというものだ。

「レッラ、もっと食べてくださいね。栄養をつけるんですよ」

「……うん。ありがとう、兄さん。兄さんも蜂蜜食べよう」

 そう言って、一つ年下の妹レッラは指先ですくった金色の蜜をウタクの口元に持ってきてくれた。

「ふふ。いただきます、レッラ」

「えぇ。どうぞ兄さん」


 冷たき月の世界コンル・クンネテュフの辺境で、平凡に平和に生きる兄ウタクと妹レッラ。

 ……二人とも、いつまでもいつまでもこんな幸せな日々が続くのだと、当たり前に信じていたのだ。





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