幕間その5 ケリーが重要な使命により地球を離れること

「事は、ずいぶんと予想外の方向に進んでおるようじゃな」



 場所は、不明。

 暗い部屋の中には、家具はおろか、椅子や机の類さえない。窓もないので、今が昼なのか夜なのか、それすらも分からない。時間を知ろうにも、部屋には時計というものもない。

 少なくともここは、人が普通に暮らすことを想定された場所ではない。何もない部屋だが、ただそれほど明るくはない電灯がひとつだけ、天井から吊り下がっていた。 しかしよく見るとそれは、部品のひとつひつが大変奇妙な形をしており、構造からして、地球で一般的に使われている照明器具とは、似ても似つかない。



 最初に言葉を発した人物の姿は、まったく見えない。その言葉の調子から、女性であることだけは分かる。部屋の唯一の明かりが、その見えない女性にひざまずいていると思われるもう一人の人物の姿を浮かび上がらせていた。

「はい。まさか、あの黒のリディアが、自身の抱える最強の戦力『帝国の三闘神』を三人とも地球に送り込んでくるとは!」

 顔は伏せたままだが、なんとか見える範囲で確認すると……その人物はクレアとリリスを日本で育てさせ、そばには青の闇である仁藤絢音を置いた謎の人物・ケリー・バーグマン。



「いいや、ある意味想像できたことだ。地球を脅かすシャドー……過去のヤマタノオロチの正体が、実は我が星系伝説の悪神『黒死王』だったのじゃからな。リディアからしたらもっとも古いご先祖様であり、味方につけることができればそれこそ、最強の力を得るのであるからな」

 会話から察するに、この二人は炎羅国と地球を巻き込む今回の事件に、深く関わっているように思える。でないと、このような情報を知っているはずがない。



 それにしても不思議なのは、これだけの事情を知っておきながら、ここまでの数々の戦いに、少なくともこの二人と思われる人物はまったく参戦していない、ということだ。たとえ戦わずとも、クレアやリリスたちに有用な助言を与えるなどの協力方法だってあるはずだ。なのに、まったく関わってくる様子もない。

 そこには何か、深い事情でもあるのだろうか?



 ケリーは、立場的に自分よりも上位に立つと思われる女性のいる方向へ向いたまま、話を続ける。

「しかし、リディアの考えが読めません。『帝国の三闘神』全員を地球に送り込んでくるなど。確かに、今我々に先んじてシャドーの力を制することに大きなメリットがあるとはいえ、そんなことをしては——」

「……自国の守りが薄くなる、と言いたいのじゃろう?」

 ケリーの言葉を引き継いだのは、謎の声であった。

「うむ。そこが怖いところでもあり、面白いところでもあるな。普通に考えれば、黒の帝国はその最強の力を遠い星に送り込んでしまったのだから、今が黒の帝国の『反乱軍』にとっては攻める絶好の好機、というわけだ。

 しかし、あの策士で頭の良いリディアが、そんな単純なミスを犯すはずがない。何か考え合ってのことのはず、とも考えられる」

「ええ、おっしゃるとおりです。だから、これは罠と捉え黒の帝国に攻め入るのは見送ろうか、とも考えるのですが……しかし、三闘神がいなくても大丈夫、とリディアが思えそうな代わりの戦力が、どんなに調べても出てこないのです」



 ケリーは、自ら育てた信頼できる密偵を、一定数黒の帝国に送り込んでおり、諜報活動をさせている。その全員が、三闘神が帝国を留守にしても女王が平気と判断できるような材料に関して、まったく調べがついていない。

 それは、リディアの情報統制が完璧で、完全に隠されていて分からないのか。それとも単純にそんなものはなく、こちらの買いかぶりすぎなのか——。

 もし後者だとするなら、深読みしすぎて挙兵のチャンスを失うのは、あまりにももったいない。



 謎の女性は、腕組みをして天井を見上げた。飾り気のない壁に映し出されたおぼろげなシルエットから、その動作が分かる。

「のう、ケリー。お主、炎羅国へ戻ってみるか」

「はぁ?」

 鳩が豆鉄砲でも喰らったような表情のまま、しばし固まったケリーだったが、すぐに首をブンブン振って主人の気まぐれな提案を否定した。

「こ、このわたくしが常におそばで仕え続けてきたあなた様から離れるなどと……か、考えられませんっ!」

「……どうも、お主に必要なのは子離れのようじゃな。いや、この場合は『親離れ』というのか? それとも『乳離れ』?」

「どれも違うような気がいたしますが?」



 しばらくの間、二人の会話は平行線だった。

 謎の女性は、この機会に炎羅国に戻り、黒の帝国の動向を近くから探るべきだ、と主張した。一方のケリーは、ご主人様を一人にしておくのは絶対ダメ、と言ってまったく譲らない。

「……お主も頑固よのう」

「……いいえ、あなた様ほどではないかと」

「もうよい。キリがない。ならば、こういう考え方はできぬか? もし、今が攻め時であったとしてじゃ。仮に放置して、リディアのやつに盤石の態勢を取り戻すことをゆるしてしまったとしたら? 今後のクレアとリリスの戦いが、かなり不利になるではないか?」

「まぁ、それはそうですが——」

「確かに、結局黒の帝国に付け入る隙がないという結果なら、お主が帰っても意味はないかもしれない。しかし、たとえ僅かな可能性であっても、黒の帝国の力を少しでも削いでおけるチャンスがあるなら、それに賭けるべきではないか? あの双子の今後の過酷な戦いを、少しでも減らしてやれるかもしれないなら……」

 クレアとリリスには裏でずいぶんと関わってきた分、ケリーには二人に対する思い入れがかなりあった。その二人のためだと言われては、さすがに超がつくほどの忠義者であるケリーも、折れざるを得なかった。 



 ……あ~あ、三笑堂のチーズ・スフレ、しばらく食べれないわねぇ、残念。



 忠義者なのか、それともただの食いしん坊なのか。



 一両日中には、地球を発つと約束したケリー。ただ、黒の帝国のように「ディメンション・ゲート」も持たない彼女が、どうやって遠い炎羅国のある星系へ帰るというのか? この二人の周囲は、まだ多くの謎に包まれている。



「ああ、しばし待て」

 二人の間で、必要な会話は終わりケリーが退室しようとしかけた時、謎の主人が思い出したように質問をした。

「お前の報告書には、帝国の三闘神が皆同じ目的で地球に来たわけではないようだ、と書いてあったが……あれはどういう意味じゃ?」

「ああ、それはまだ裏が取れていないので、絶対確実な情報としては報告できないのですが、お耳に入れておく価値はあるかと思いました。

 これは、信頼できるある情報筋から聞いたことですが……三人のうち『業火のガルド』が帝国を裏切って地球に来るようだ、と。それを残りの二人である空蝉と朧が追いかけて始末するらしい、と」

「なんだ? それは。今回、3人がこちらに来る裏にはそんな事情があるのか? まだよく全体像が見えて来ぬ……裏切ったことは分かったが、なぜガルドが地球に来る必要がある?」

「あの、紅陽炎です」

「ああ、そうか。そうだった」



 ケリーからの報告により、紅陽炎と業火のガルドがともに親がおらず、養護施設で育った仲間同士だ、ということは謎の女主人も承知していた。

 紅陽炎が積極的に黒の帝国の命令に従わなくなった今、リディアが紅陽炎を始末するだろうことは容易に想像できる。ならば、ガルドが帝国への忠誠と紅陽炎との絆を天秤にかけた結果、紅陽炎を救うほうを選ぶ可能性はある。

「黒の帝国の陣営にも、人間らしい血の通った者はいるということじゃな……ここでちょっと状況を整理しよう。ガルドがまず、ディメンション・ゲートを使って勝手に地球に来た。それを裏切りとして、今度は残り二人がそれをあとから追いかけた。でも、これは理屈として成り立たんな」



 ディメンション・ゲートを起動するには膨大なエネルギーが必要で、数年に一度しか起動できないことは周知の事実である。ゆえに、ガルドが勝手に使った一回だけでも、運ぶ人数の多寡に関係なくある程度のエネルギーは使ってしまう。だからガルドを追うために日を空けず連続でディメンション・ゲート使用というのはどう考えても不可能なのだ。

 どう少なく見積もっても、朧と空蝉がガルドを追いかけて来れるのはまだ半年以上先になるはずなのだ。

「……そう考えると、恐ろしい結果が導き出されぬか?」

 ケリーは、女主人にそう話を振られて青ざめた。

「空蝉と朧が来たのが事実だとして、結果としてディメンション・ゲートは一度しか作動しなかった、という条件を併せて考えてみると、その事実が導き出す結論は……ガルドだけでなく追手の二人も同時に、地球へ飛んだ。つまり、ガルドの裏切りは見破られていた?」



 女主人のため息が聞こえた。暗くて表情はうかがい知れないが、きっと「怖れ」が読み取れたことだろう。

 ただ単にガルドを捕らえるなり殺すなりするのが目的なら、黒の帝国で始末をつければいい話だ。それを、わざわざ地球に来るということは、『ガルドと紅陽炎を始末すること以外にも、地球で何か重要な作戦がある』ということではないか?

「恐ろしいな、あのリディアという女は。もし彼女がその能力を善なる方向に使ったなら、どれほどの偉業を成し遂げたことだろうか。それが悔やまれる」

「まったくですね。では、今一番危機が迫っているのは紅陽炎、ということになりますか。元は敵だったとはいえ、今は助けてやるべきでしょうか?」

 策士な割に、思ったことをすぐ口にするところは、やはり少々天然ボケなところがある。ケリーは、明日にでも地球を離れないといけないことが決まった直後なのに、紅陽炎を救う余裕があるわけがない。



「いや、もう手遅れかもしれぬぞ」

「……と、おっしゃいますと?」

「帝国の三闘神じゃが、朧のことは皆目わからぬ。何せ、まだ誰も戦闘するところを見た者がいないのじゃから、情報がない。ただ、空蝉のことは分かる。あやつを敵に回すとかなり厄介じゃ。それは、あやつがある恐ろしい特殊能力を使えるからなのじゃが——」

「そ、それは私ですらつかんでいない情報です。で、その特殊能力とは何なのですかっ?」

 ケリーが身を乗り出すようにして質問する。しかし、女主人はわざと焦らして、なかなか答えようとしない。

「もう! ご主人様の意地悪! いい加減教えてくださってもいいじゃないですか~!」

「ええ~どうしようかのう~」

 そうやって散々ケリーに気を揉ませ消耗させて満足してから、女主人はやっとその答えを口にした。

「あのな、その能力とはだな……」 




  ~幕間の章・完~

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