幕間その4 佐伯栖瀬里守が、名もなき老人とヤマタノオロチに挑んだこと

 寛永十四年 (1637年)六月二十一日。江戸幕府・徳川家光の治世。

 因幡(鳥取県)の国に、権佐(ごんざ)という名の老人がいた。

 彼は腕の良い漁師だったが、ある日を境に漁をやめてしまった。



 息子と漁に出ていたのだが、大しけに遭い息子が海に放り出され、死んでしまった。それは、超常的な異常気象が原因であった。

 海の天候を見極めることに関してはエキスパートである権佐が、まったく予期できなかったのだ。仕方がなかったこととはいえ、息子のことで権佐は己を責めた。

 その悲劇の日を境に、権佐は海に出ることはなくなり、毎日漁に出て行く他の船を浜から見送る日々を送った。

 ただ岩に座り、日に焼けて深いしわの刻まれた顔を海に向ける。そして、漁から帰ってきた漁師の仕事 (魚の下処理など) を手伝って、何とか日々の生活の糧を得て暮らしていた。



 ……かわいそうになぁ。



 漁師達は権佐の事情を知っているだけに、船から岸辺にぽつんと見える権佐の姿を見ては深く同情するのであった。



 そんなある日のこと。

 権佐がいつものように岸から海を眺めていると、浜の向こうから誰かが歩いて近づいてくる。この地の見知った人間ではない。

 年の頃は二十歳になる少し前くらいだろうか。身なりの良い、身分の高そうな家の娘が歩いてくる。

 その娘は、権佐のすぐそばまでやってきて、ピタッと立ち止まった。

「もしご老人。毎日海を眺めておられるようですが、差し支えなければその理由を教えてはいただけませんか?」



「……そうか。あんたは佐伯の一族か」

 権佐は、聞いたことがあった。大昔より、自然や地の神々と自由に対話し、不思議な力を持つ者を輩出する血統、『佐伯』の姓を持つ一族がいると。

「はい。名を佐伯栖瀬里守と申しますが、面倒なので私のことはスセリとお呼びくださいませ」

 権佐は、忌まわしい思い出である、息子を失った最後の漁について語った。

「……なるほど、そんなことがあったのですね」

 スセリは、髪の長い美しい娘であった。しかしその目の鋭い輝きは、彼女の並々ならぬ意志の強さを物語っていた。



 ……この者、確かにただの娘っ子ではないわい。



「わしにはな、できれば死ぬ前にやっておきたいことがある」

 権佐は、不思議な感覚に囚われた。今まで漁師仲間にさえも言ったことない心の内を、今会ったばかりの娘に話したくなるとは、意外であった。

「この海の沖外れにな、化けもんのような魚が棲んどる、と聞いたことがある。どんなに天候の良い日でもそこだけいつも霧と雲に覆われとって、退治に行って戻ってきた者はおらん、ということだ。そのせいで、この沖合いに流れてくる魚の数が少なくての、ここらの漁師は貧乏でみなその日暮らしじゃ。

 だからと言ってそんな怪物、人間の力じゃどうしようもない」

 スセリは視線を沖合いに向け、厳しい表情で話を聞いている。

「……でもな、わしも息子を失い、唯一の生きがいを失った身じゃ。今更この命、何の惜しいこともない。息子を取られた恨みもある。漁民の生活のためもある。退治に行ってみようか、と最近思うようになってきたのじゃ」



「……実は、陰陽師である私の偉大な先祖、安倍晴明様は、その怪物に挑んで敗れたのです」

「何と」

 スセリにはスセリの、ここへ来た事情があったのだ。

「あなたの言っている化け物のような魚の正体は、その昔八岐大蛇(やまたのおろち)として恐れられた魔神です。太古の昔、スサノオノミコトが退治したという言い伝えがありますが、実は倒せてなどいなかった。平安の世に現れたオロチに対し、晴明様は陰陽師として秘術の限りを尽くして戦いましたが、残念ながらどうにもなりませんでした……」

 ところで、船はまだ動かせますか? とスセリは権左に尋ねてきた。ああもちろん、と権佐が答えると彼女は驚くべき提案をしてきた。

「それではこれより、沖へ出ましょう。我らはどうも同じ目的、同じ望みを持っているようですから。私の見たところ、息子さんの死の原因は、多分にあの怪物にあると考えて間違いはありません。

 あなたは息子さんの仇のため、私は先祖の成しえなかった使命を引き継ぎ全うするために。さぁ、参りましょう——」 



 権佐は、鋭い矢じりのついた愛用の銛を船に積むと、スセリを乗せて船を漕ぎ出した。小船程度のものであったが、操舵の名人・権佐とこの船のコンビは最高の機動力を発揮するのだ。

 風は多少あるが、海はまだ今のところ静かに凪いでいる。

「娘さん。いくらあんたが佐伯の血統とはいえ、まだ歳若い。しかも戦う相手は、にわかには信じがたい話だが、かの高名な安倍晴明でも歯が立たなかった相手なのであろう? 命を落とすやもしれん戦いですぞ、本当にお覚悟はよろしいのか?」

 そんな権左の心配などどこ吹く風で、スセリはすでに戦う気満々で準備をすすめていた。巫女の装束に着替え、奇妙な光を放つ短剣を腰に帯び、胸元には不思議な文字を書いた札が何枚も差してあった。

「もちろんです。この日のために、私も死ぬ思いで力をつけてまいりましたから」

 そう言って船の先端に進んだスセリの目の色が変わり、光を放つ。



 賢視透破眼!(賢者の眼)



「庚午・申酉・癸巳・丙丑——」

 スセリの口から、意味の分からない独り言が漏れ聞こえてくる。どうも、陰陽道の術で船が進むべき正確な方角を割り出しているらしい。

「北東に進路をとってくださいな」

 権佐は言われた通りに、舵を引く。

「噂には聞いとったが、さすがじゃな」

 権左が感心して漏らした言葉を聞いた一瞬、スセリの顔が若い娘相応の柔らかい笑顔になる。

「いえいえ。まだこれからですよ」 



 それは、突然だった。

「……来る」

 スセリの体から、バチバチと雷のような光線が無数にはじける。

「何事だ?」

 何かが来る、らしい。

 それは、権左が漁師としてもつ海を読む眼では見抜けなかった。



 ……風の声、大地の唄。 

 空の眷族、万物の理を司る精霊よ。今こそ、我が声に耳を傾けよ——



 スセリの足が数尺ほど、船の床からゆっくり浮き上がる。 



 金剛念動力・雷破極斬閃



 驚くべき異能力者のひと声の叫びは、まるで雲の上から轟くかのように天地を揺るがした。どこからともなく、上空には黒雲が集まり、その直後天から垂直に叩き落されたメガトン級の落雷は、海のある一点目がけて突き刺さった。

「権佐さんっ 大波がきますっ 備えてください——」

 海のことは知り尽くしているはずの権佐も、一瞬はひるみ恐れた。

 彼は、確かに見た。

「……何なんだ、あれは!」



 キエエエエエエエエエエ



 海面が、恐ろしい高さまで盛り上がる。

 激しい水しぶきを振りほどいたその巨大な黒い塊は、鯨ほどもあろうかという、見たこともない異形の魚類だった。無数の白い泡波を振りかざして、大波が船を呑み込もうと迫る。

 鯨に見えたが、よく見ると違う。図体はでかいが、首が龍のように長細く、しかも複数あるようだ。見るのは初めてだが、聞いていた話からするに、あれの正体は……ヤマタノオロチ、か。

 権佐は船体を斜めにし、大波の直撃を避け転覆を免れようとした。

「危ないぞスセリ殿、つかまれい!」

 叫んでしまってから、権佐はいらぬ一言を言ってしまったと思った。なぜなら、スセリが先ほどから宙に浮いていたことを忘れていたから——



 天に仇なす闇の使者よ、堕落の使いよ。

 今こそ光の軍門に降りて、膝を折れ。

 さもなくば我かしこより下りたる陰陽五行の精霊たる御力をもって、お前のかしらを粉砕するのみ!



 臨・兵・闘・者——



 スセリの目が、火を噴いた。

 もうそれは、十六そこそこの小娘の姿ではない。天から遣わされた闘神であった。



 皆・陣・裂・在……前!



 一瞬にして、高温の火の雷(いかずち)が無数に下った。

 海上は、比喩ではなく文字通り火の海と化した。踊る炎にチリチリと皮膚をあぶられ、権佐は熱さにうめいた。

 オロチはその巨体を宙に躍らせると、一声高く叫んで頭からまた水面に突っ込んでゆく。そのあおりを食らった権佐の小さな船は、今にも破壊されてしまいそうであった。しかし、次第に操舵のカンを取り戻しつつあった権佐は、何とか操縦以外のことも考える余裕が出てきた。



 ……一体、あの怪物の急所はどこだ?



 オロチの複数の頭がは二十尺はあろうかという口を開き、スセリを噛み砕かんとして迫った。



 暗夜幻影縛呪布陣!



 目を開けていられないほどの光が、カッと権佐の目を射た。

 それは怪物にとっても同じことだったらしく、苦痛をにじませたような甲高い泣き声が周囲にこだました。

 スセリは宙に浮いたまま、後方へ飛び下がる。怪物はスセリによって周囲に結界を張られ、どうやら身動きがとりにくいようである。

 しかし。

 何の前触れもなく、気丈に宙に浮いていたスセリの体が、ザブンと海に落ちた。

「オオイッ スセリ殿、大丈夫なのか!」

 権左は絶妙な操舵で荒れ狂う波をかいくぐり、スセリの落ちた海面へ急ぐ。



 スセリの体が海底に沈んでしまう前に、権佐は何とか彼女の体をつかみ船に引き上げることに成功した。

 不思議なことに、オロチに次の攻撃を仕掛けてくる様子はなく、金縛りにでもあったかのようにジッとしている。辛うじて、スセリが最後に放った術が効いたようだ。

「私の力は、そろそろ限界です。あやつの力がこれほどとは……」

 スセリの息遣いが荒い。彼女は華奢な背中をハァハァと上下させながら、何とか言葉を絞り出す。

「今、あれの動きを何とか封じましたが、そこまでが精一杯です。怪物とは言っても、元は神々の一人。やはり人間の力をもってしては、勝てないのでしょうか——」

 あれだけ勇敢だったスセリの目に、もとの力強い眼光はなかった。



「……お前さん、一人で戦ってたろ」

 権佐は、弱気になったスセリに優しく言い含める。

「俺なんか大して役に立たないジジイ、程度に思ってるだろ。まぁ、確かにその通りかもしれん。じゃがな、わしにも武器がある。わしは力ではお前さんに負けるがの、お前さんより長い人生を生きておる。その中で学んだ事も多い——」

 そう言いながら、権左は船に積んできた大事な銛を手にする。極限にまで鋭く磨きぬかれた銀の銛の先端が、激しい戦闘を物語るそこかしこの炎の光を反射する。

「あれがこの自然界に存在すること自体が、そもそも間違っとる。調和を乱しておる。そうじゃな?」

 スセリは、首を縦に振る。

「ええ」

 返答を聞いた権三は、ニヤリと笑う。

「相手が間違っているんなら、例え相手が神だろうが、勝てる」



 金剛力招来 破邪牽征 

 白陣、文壬、三焦 これを烈鳳と成し 六気これを帝稟と化す——



 スセリは、最後の力を使う覚悟を決めた。

「我ら二人の攻撃のタイミングを合わせましょう。晴明様の残した伝承が確かならば、オロチは喉元が弱点のはず。私が火炎球を放ちますから、それが命中した瞬間を狙って、銛を投げてください」

「……よしきた。わしにはもう思い残すことはねぇ」

 再び空中に昇っていったスセリも、笑顔でこう言い残していった。

「ええ。私もです」



 炎呪雷爆瞬迅反動陽子砲 念動超力最大収束——



 巨大な溶岩の塊のようなものが、スセリの頭上でみるみる膨らんでいく。

 権佐は、愛用の銛を構えた。



 ……息子よ、待っとれよ。



 勝つ。

 絶対に勝つ。

 力の差は、この際関係ない。

 間違ってるもんは、間違っている。

 その一点で、すでに勝負はついているのだ。

 だから、あとは挑むだけなのだ。



「権佐さん、行きますよ!」

 スセリの叫びが、ゴウゴウと吹きすさぶ突風の狭間にもハッキリと聞こえた。

「……おうともさ!」

 権佐は、構えた銛の先をオロチの頭の中央のひとつに向ける。そのために、怪物の正面へと船の舵を切った。

 時は満ちた。

「てええええええええええい!」

 煮えたぎった溶岩の火球は、ついにスセリの手によって放たれた。それはブスブスと音を立て、激しい水蒸気の尾を引きながらオロチの首目がけて突っ込んでいった。

 そして、敵の体に衝突した瞬間に四散した火だるまの破片は、周囲の海を紅く染め上げた。



 ……今か!



 権佐が、銛を投げつけようとしたその時——



 ……待ちなさい



 天から声がした。それはスセリではなかった。

 彼女自身も、何が起こったのか分からず驚愕の表情を浮かべている。



 ……残念ながらあなた方だけの力では、それにとどめをさすことはできません。

 さぁ今こそ、我が力を用いて天に仇なす魑魅魍魎を黄泉に帰しなさい。



 空がパックリと裂けた。

 真っ黒なその裂け目から、不思議な赤い玉が降りてきた。

「エッ?」

 それは、スセリの口の中にスルリと浸入してきた。

「いやあああああああああああ」

 異物の浸入に、空中でもがき苦しんでいたスセリだったが……驚くべき変化が、彼女に現れ始めた。

 髪の毛の一本一本が、燃え盛る火になった。目の色が変わり、宝石のような輝きを放ちだした。

 そして何より、背丈が杉の木ほどの高さもある巨人になった。見た目も日本人というよりは西洋の騎士に似た装束を着ており、顔もスセリというより全くの別人であった。



 巨大化したスセリと相対したオロチは、この時初めて言葉を発した。ただ暴れるだけの怪獣ではなく、人間並みの知性はあるとみえる。

 


 ……誰かと思えば、アマテラスか。余計なとこにしゃしゃり出てきやがって



 ……もう、これ以上お前を野放しにはしておけません。

 人間界には極力干渉すまいと力を封印してきましたが、この者たちの勇気に免じて今その誓いを破ります——



 スセリであってスセリでない巨人は、そう叫んで腰の剣を抜いた。これはどうやら、アマテラスがスセリに憑依し、実体化したもののようだ。

 巨人は輝く剣先を天に向けると、大声で呼ばわった。



 天上魔神 不死霊火炎超竜召還



 オロチも巨大だが、それでも比べ物にならないほどの巨大な翼竜が、空中に現れた。体中が炎で出来ており、それは一声鳴くと巨大な翼を振った。

 恐ろしい風圧が、オロチの体を海の波ごと吹き飛ばした。明らかに、オロチはスセリの体を乗っ取った何者かと、この火炎竜を恐れている。 

 


 ……今だ、権佐殿。銛を投げられい。



 権佐の頭に、何者かが語りかける。さきほどの「アマテラス」とも違う、力強い男の声。

「ちょっと待て。ここから投げても、わしの力では届かぬぞ。それより、あんたは?」



 ……私はあの魔物とは腐れ縁の、スサノオと申す者。

 あれはそもそも私の獲物だ。姉とはいえ、アマテラスに先を越されるのは癪なのだ。ゆえに今、惜しまずに我が力を託そうぞ。

 だから、私を信じて銛を投げられよ!



 この瞬間。

 東洋の神々の中でも最強と恐れられたスサノオの剛力が、権佐に宿った。

 力と、勝利への確信が体中に満ち満ちる。内なる声が叫ぶ。さぁ投げるのだ!

 権佐は、銛を投擲した。

 それは風圧も空気抵抗もまったく無視して、一直線に突き進んだ。

 


 ……スサノオ、我が弟よ。今こそお前の悲願を果たしましょうぞ



 スセリの目が光った。



 天上神秘術・断空光燐速影弾



 巨大な火竜は、権佐の投げた銛に追いつき、飛び込んだ。

 そしてひとつになり、真っ赤に燃え盛る火の槍と化した。

 目にも止まらぬ速度で、オロチ中央の頭、その喉元に深々と突き刺さる。

 しかしそれは突き刺さる、などという生易しいものではなかった。オロチの肉を裂き、めり込み、そして最終的には内臓部深くで大爆発を起こし、粉微塵に粉砕した。あまりの高温で焼き尽くされたため、肉片すら残らなかった。

 すべてが灰になり、周囲の海に降り注いだ。



 こうして、かつてスサノオや安倍晴明を倒し、権佐の息子を奪った恐るべき魔神、ヤマタノオロチは、その存在を大いなる天界の神々の力、そして人間の陰陽師と名もなき老人の勇気とによって消し去られたのだった。 



 勝利の直後、アマテラスもスサノオも二人の体から抜けた。同時に、嘘のように一気に黒雲が引き、荒れていた海面は凪ぎに戻った。

 再び、因幡の海に太陽の光が降り注いだ。



「……このボロ舟が、よく持ちこたえたもんじゃ」

 権佐は、いとおしそうに持ち船の船体を撫でていた。

 スセリはもう巨大でもなく宙に浮いてもおらず、浜辺に立っていた。今ではどこから見ても、年相応の普通の若い娘であった。

「権左殿、本当にありがとうございました。あなたが一緒でなかったら、絶対に勝てな——」

 駆け寄ったスセリは言葉をみなまで言えずに、喉を詰まらせた。

 権佐は、眠るようにして死んでいた。

 きっと、スサノオの剛力を宿すには老齢過ぎて、肉体が耐え切れず悲鳴を上げた結果なのだろう。でも、不思議とその死に顔は、満ち足りたものだった。

 スセリは大変悲しんだが、そのショックを乗り越え気丈に振舞い、地元の漁師たちと一緒に権佐を丁寧に葬った。



 その日からは、因幡の国では今まで以上に魚が獲れるようになり、権左の漁村もたいそう栄えるようになった。

 土地の者は、みな亡くなった英雄・権佐に感謝の墓参りをしたのだった。

 スセリは、命を懸けてまで共に戦ってくれた権佐のために、何かできないかと必死に考えた。

「権佐さんには、奥さんや他の子どもはいないのですか?」

 そう土地の者に尋ねてみた。

「ああ、あいつの奥さんはかなり早くに亡くなってねぇ。あの人さ、息子さんが死んでから毎日海を眺めて嘆くばっかりの生活だっただろ? 息子さんとは年の離れたちっちゃい娘さんもいたんだけどね、育てれる状態じゃなかったから遠い親戚に預けたとか何とか聞いたことが——」



 スセリは、何とか備前の国(現在の岡山県)でその娘を探し出した。

 親戚に預けられた頃は四歳だったその女の子は、今では十二歳の娘に成長していた。彼女は名を葵(あおい)といった。権左の血筋は武家や貴族ではないが、実は代々伝わる名字があるのだという。

 つまり彼女の名は 『藤岡 葵』。

「そうですか。お父さん、亡くなったんですか」

 彼女の兄の無念を晴らすために最後まで戦った権佐の、いかに素晴らしかったかをスセリは葵に語って聞かせた。

「寂しいことですけど、そのお話を聞けて良かったです——」

 そう言った葵の目を見た瞬間。スセリは驚愕した。

 異能の者の血を引くスセリは、焔の揺らめく葵の眼を見て見抜いた。



 ……彼女には、火神が宿っている。



 佐伯の一族だけではなかったのだ。この「藤岡」の一族もまた、炎を自在に操る能力者を輩出する家系だったのである。



 スセリは、その後この葵と関りをもつことは生涯なかった。

 さすがのスセリも訪問時に気付けなかったが、この葵のそばには、人の眼には見えないが「フレイア」という天使が常にいて、話し相手になり、また異能力の先生ともなっていた。この天使は、藤岡の血統でレッド・アイの才能の開花の可能性が少しでもある者に、代々仕え続けているのだ。

 そしてそれ以来、藤岡の血統は歴史を通してまれに火を自在に操る者、すなわち『レッド・アイ』を輩出することとなっていったのである——。



 江戸中期に、佐伯栖瀬里守とスサノオ対ヤマタノオロチの戦いがあった事実は後世に伝わっているが、権左という老人が大きな役割を果たしたこと、またスサノオとアマテラスは全面的には戦闘をせず、あくまでもサポート的な役割であったことなど、本当のところは伝わっていない。もちろん、子孫に当たる佐伯麗子や安倍夏芽にさえも、である。

 そして、この時完全にヤマタノオロチを倒したように見えたが、実はそのコア(核)の部分は生き残っていて、やがてまた活動を開始するようになる。ただ、オロチが完全復活するにはまた長い時間を経なければならず、その決着はついに現代……クレアとリリスの生きる時代に持ち越されることになる。



 また、江戸時代のオロチ戦に残念ながら参戦できなかった藤岡の血統は、この現代においてやっとその宿敵と相まみえることとなった。

 藤岡美奈子対シャドー。ヤマタノオロチ時代に比べ、知性も狡猾さもさらに増したシャドーと美奈子の戦いの行方は、地球のみならず遠い炎羅国を含む『五つ国』の運命すらも左右していくことになる。




 ~幕間章その5へ続く~




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