episode 12 葉隠月葉

「……あ、目を覚ました!」 



 何じゃ、騒々しい。

 ここは……どこか? わらわはどうしたのじゃった?



 そういえば、最後に考えたのは「この怪物を倒せたら、もう思い残すことはない」ということじゃった。

 あの安倍夏芽とかいう陰陽師が言っておった。どこぞの誰かが、あの怪物を倒すとわらわが死ぬ、という「呪い」が仕掛けられている、と。長い時を生きてきたわらわの勘は、あやつはいい加減なことは言わぬ、信頼できるやつだと告げている。

 うっすらと目を開けたら、地球に来ていきなり世話になることになった水穂とかいう娘が、目を潤ませて騒いでおるのが見えた。

「やったぁ、やったぁ! 本当によかった」

 まことうるさいやつじゃ、悪気なく喜んでいるのは仕方がないが、今起きたこっちの身にもなってみろ。まったく、こっちははしゃぐ声で頭は痛いわ、体は節々悲鳴をあげているわで難儀しているというのに。



 ……ちょっと待て。頭が痛い? 体の中も、痛む?



 なぜ、わらわは「痛い」などという感覚が体験できておるのだ? 定命の者(限りある命をもつ者)は生身の体をもつゆえ、肉体が傷つけばそのような感覚がするらしい、と情報では知っている。じゃが、今それを神であるはずのわらわが身をもって体験している、だと?

 ……っちゅうか、頬ずりはよせ! 水穂。そのような馴れ合い(あとで言葉を勉強したが、『すきんしっぷ』とかいうやつかいの? 今でもまだ慣れぬわ)は好かん。

「こら南条。うれしいのは分かるが、こいつはまだ病み上がりの体だぞ。ちっとは労わってやれ」

 水穂を冷ややかに見やりながら、腕組みをしてわらわの足元に座っているもう一人の人物に気付いた。忘れもせぬ、あの陰陽師だ。彼女がなぜここにいるのか? それを考えると、なぜわらわがこのような状況にあるのか、という事情の見当がついた。



「おい。刀は……どうした」

「え~長いこと眠っていたくせにぃ、起きてすぐ言うことがそれぇ?」

 水穂のやつはブウブウ言いながらも、寝かされていた布団の脇に置いてあった聖剣を取ってくれた。水穂が何と言おうと、わらわはまず真っ先に、自分の分身とも言ってもいいこの剣の心配をする。そこはいわゆる「価値観」の違いじゃ、許せ。

 礼なら、あとで何度でも言ってやる。



 少々体に痛みを感じたが、わらわは「セイント・ソード」を腰に帯刀して、立ち上がった。でも、何だか違和感があるぞ。そういえば、わらわは今、何を着ておるのだ?

 いつもわらわがまとっている衣はどうしたのじゃ?

「ああ、あれ。この前の戦いで汚れたから、クリーニングに……」

 ちょっと待て。『くりーにんぐ』とは何だ? それに何じゃ、わらわが着せられているこの頼りない生地でできた召し物は!

「それ、私のパジャマ……」

 あり得ぬ。なんで、着物にブタの顔の模様など無数に散りばめられておるのだ? こんなものを着たままでは、恥ずかしゅうて外も出歩けぬ。

「ま、まぁよいではないか、剣の神。南条も確かに趣味が悪いが、お主を思ってやったことだからな。大目に見てやれ」

 陰陽師のやつ、水穂をかばうようなことを言っとるが、どう見ても目が笑っておるではないか! まったく、無礼千万じゃ。



「ふむ。これは……気に入ったぞ」

 紺色を基調に、赤のラインがところどころにあしらわれた、変わった形の服を水穂からもらった。生地もしっかりしているし、何より刀を帯刀したまま走りやすいのが気に入った。袴よりは足回りがスースーするが、これはこれで身軽でよい。この星では『セーラー服』と呼ぶものらしい。

「普段着は、おいおい用意しようね。元気になったら、とりあえず学校に通ってもらおうと思って、親に制服用意してもらったんだ。いつ月葉ちゃんが起きるか分からなかったし、とりあえず服はそれしか用意していないの」

「いや、これが気に入った。着るものはずっとこれでよいぞ」

「ちょっと! ずっとは……ダメでしよ」

 このあと、水穂から服はTPO(って、なんだ?)に合わせて着替えること、服は同じのを着続けないで、変えたり洗濯したりしないといけない……などということを延々と説明されるはめになって、閉口した。

 こんな目に遭うくらいなら、剣を取って敵と戦っているほうがマシじゃ。



 水穂は、さんざんしゃべったあと、わらわが今着ているのと同じ服を着て、「学校」と呼ばれるところへ行った。大丈夫だったら、明日からでも一緒に行こうと言っていた。

 いつもは学校というところへ行って、わらわのそばには帰ってきてからいたらしいのだが、陰陽師から「今日わらわが目覚める」と予言されて、今日に限っては目覚めるまではそばにいる心づもりだったようじゃ。真面目な水穂は、半日は過ぎてしまったが大幅に遅刻してでもなお、学校というところへ出かけて行った。

 そういうわけで、今は水穂の部屋に陰陽師と二人だけになった。

 この状況は願ってもない。どうしても、聞いておきたいことがある。



「こら陰陽師。お主一体、何を引き換えにした」

 陰陽師の眉が、ピクリと動いた。彼女の表情の動きはたったそれだけ。まるで、この質問を投げかけられるのを予想していたかのように冷静だ。

「引き換え、とは何のことやら」

 そうきたが。すっとぼけおって。

「グリフォンとかいう怪物を倒せば、わらわが死ぬと言ったお主の言葉、どう考えてもウソやハッタリの類ではない。たとえそうだったとしても、そんなウソなどついてもお主に何の利益もない。ならば、わらわがこうして目覚めたということは、間違いなくお主が助けるための何かをした、ということじゃ」

 陰陽師は腕組みをして、天井の木目を見つめていたが、本当に天井を見ようとしていたわけではないだろう。考えごとに集中している時にたまたま目線がそこにあったにすぎないだろう。



「……まぁ、ちょっとはバラしてもいいだろう。いかにも、私の独断で、お主を助けるために勝手に動いた。しかし、何をどうしたのか、詳しく言うことは禁じられている。そのことも、剣の神を助ける条件に入っているのだよ。

 だから、あまり根掘り葉掘り聞いて、いじめてくれるな」

「陰陽師。さては何か、この世ならざる者と交渉したな?」

「…………」

 こやつの沈黙は、おそらく肯定じゃろう。

「死ぬ命を戻そうなど、まさか『冥界』と交渉したんじゃあるまいな?」

「惜しい。『天界』だ」



 これは、一番意外な返答じゃった。

「天界じゃと? あんなお高くとまったようなところのやつが、この物理宇宙に住まう程度の神を救うのに、面倒を背負うなど信じられぬ。ましてや、陰陽師とはいえお主という人間風情に、あの天界の者が接触を許すなどということが……」

「今回は、運がよかったと言うべきかな」

 陰陽師は、私もそんなに暇人ではないのでこれで失礼する、と言って腰を浮かした。

「う~む、陰陽師、などと呼ばれるのも何だかこそばかゆい。今後は私のことは『夏芽』でいいからな、剣の神よ」

「ならばこっちも言わせてもらう。 わらわのことも剣の神、と呼ぶのはやめよ。月葉、でよいわ」



 帰るというのを引き止める理由もないので、家の玄関まで夏芽を見送った。

「夏芽とやら。お主が天界の者とどんな取引をしたのか、まだ聞いてないぞ」

「こら月葉。さっき、その話を詳しく他言しないということも約束のうちだと言うたばかりではないか。私の話を聞いてなかったのか?」

 二階から階段を降りるペースを崩さず、後ろも一切振り向かず夏芽はしゃべる。前を向いたままな上に声もそう大きくないのに、夏芽の声はどうしてだかよく聞き取れる。

「……しかし、天界のやつらに主導権を握られっぱなし、というのも面白くない。ここは遊び心で、余分に情報を漏らしてみるか」

 こやつ、危ないな。したたかで、裏表を使い分ける食えぬ奴じゃ。

 敵じゃなく、味方でよかったわい。



「ふたつほど条件を言われて、ひとつは飲んだが、ひとつはさすがに断った。よって、向こうも半分しか義務を果たそうとせぬ。だから月葉、お主はその存在が消えることだけは免れたが、神として助かったのではなく『肉体をもった、限られた命をもつ人間』となってしまったのだ」

 そうか。頭や体が「痛い」と感じるのも、巻かれた包帯から血が滲んでおるのも、わらわが「いつかは死ぬ人間」となったことの証拠、というわけか。しかし、天界もケチじゃのう。満額を受け取れなければ、助ける程度も半分、とな? 

「……天界のお情けで、お主の神がかった戦闘能力と身体能力はそのままなはずだ。ただし、無理をすれば、頭や心の臓を打ち抜かれれば……当然死ぬ」



 夏芽によれば、彼女が飲んだ「条件」とは……南条水穂とわらわのそばにいて、常に見守れということだったようだ。意味が分からぬ。わらわはともかく、何で天界の者が水穂のことを気にせねばならんのだ?

 水穂は、どうということのない大勢の人間の一人ではないのか?

「そんなわけだから、監視目的だが明日からお前たちと同じ学校に転校してくるんで、よろしく頼む」

 こうして、わらわと水穂、陰陽師の夏芽。この三人の腐れ縁は始まった。



 玄関のドアから去りかける夏芽に、わらわはどうしても聞いておきたい最後の質問をした。

「お主が交渉した、天界の者とは……何者じゃ?」

 夏芽は歩を止めて、やはりこちらに顔を向けることなく、一言だけつぶやいた。



『アマテラス』



「アマテラス? それはもしや——」

「天照大御神。天界では、もっとも位が高い神の一人だ。私は、よくて天界の住人の誰かと話せる程度だと思っていたからな。あやつが現れた時にはビックリした」

 ビックリしたと言うが、わらわには「鋼鉄の女」という言葉がふさわしいこの夏芽が、何かに「ビックリする」ところなど想像できぬ。

「もうひとつ聞きたい。お主が断ったという二つ目の条件、とは?」

「アマテラスの弟、スサノオ(須佐之男命)がその昔倒し損ねたヤマタノオロチ(八岐大蛇)を、今度こそ退治してくれ、と」



 断った、というからどんな難しい頼みかと思えば、簡単ではないか。どこぞの怪物を倒せばいいのだろう?

 そう聞くと、これまでこちらに背を向けたまま話していた夏芽は、こちらに向き直った。その表情は、真剣そのものであった。

「おい月葉。ヤマタノオロチは、ただの魔物の類ではないぞ。はっきり言って、かなり厄介な相手でな……まともにやり合って勝てる可能性はどう見積もっても低い」

「まさか、もともと神だった存在が魔物に変化した、とかか?」

 わらわの推測は的外れだったようで、夏芽は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「それならまだマシだ。よりによって、この二元性世界(宇宙全体)の、陰陽の陰の部分を司る根源的存在……それにかなり近い位置におる奴じゃ」

「何と! そんなやつが相手では……」

 その名を口にするだけでも相当覚悟がいるのか、夏芽はかなり慎重にそいつの名を告げた。



「ヤマタノオロチ、というのはあくまでもそいつが出現した時代、そいつを見た者によって付けられた名にすぎない。どの時代にも、どの場所にもやつは形を変えて現れている。その、ほとんどの時代や場所で、共通して呼ばれているそいつの通り名は……シャドー」




 ~episode 13へ続く~

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