episode 5 クレア

「ダメです。行ってはなりません」

 アレッシアの答えは、素っ気なかった。

「今のあなたには、王女としてやるべきことが山のようにあります。それより大事なことなど、今あろうはずがありません」

 私は、自分が何者であるかを知るためにメギドという地へ行ってみなければと思っている。これは自分が勝手にそう思っているだけじゃなく、私に会いたいと招いてくれているラキアさんという第三者もいることなのだ。決して、遊びとか観光とかじゃないし、ただの自己満足のためでもない。



「どうして……私と『メギド』という地がどう関係があるのか知るチャンスなのに?」

 どうしても諦めきれない私は、一度言ったことを覆すことはまずない頑固な師匠であることは百も承知の上で、それでも食い下がった。

「確かに、メギドという言葉や地名が、あなたに何らかの関わりがありそうだということは認めます。私も知りたい気持ちはあるし、興味がないと言えばウソになります。でも、今一番大事なことは——」

「……ハイハイ。訓練を積んで、一日も早く影法師に対抗できる力を身につけることでしょ。一日も早く、炎羅国の王女としてふさわしい能力に覚醒することでしょ」

 そりゃ分かってるよ。分かってるけど、でもやっぱり、メギドに行って私そっくりの女性が生まれる一族の末裔の話を聞かないと、私の気が済まない。



「そこまで分かっているなら、私から言うことはもう何もありません。メギド云々以前に、あなたはまず炎羅国の王女なのですよ。この話はもう終わりにしましょう」

 以後アレッシアは、この話題ではもう私の相手をしてくれなくなった。訓練の話以外の部分は、分かりやすく無視された。

 つい一か月前ほどまでの、あの優しかった吉岡のおばさんはもういない。アレッシアは、本当に訓練の鬼になった。もちろん、命がかかっていることなので仕方がないことは分かるが、気持ちがそこまでついて行かない。

 高校生なんて、しょせんまだガキなんだろうか。やっぱり、誰かに甘えたい年頃からまだ抜けきっていない、ということだろうか。私がおばさんの変化を寂しく思ってることは否定できない。



 今日は、リリスは休みで私の訓練の日だ。

 放課後、二駅分の距離を走って、隣町にある山の中腹にある神社まで行く。

 その神社はまさに「開店休業中」という言葉がお似合いで、神主さんどころか参拝客すら一人も見かけたことがない。常に無人っぽい。アレッシアは恐らくそこに目を付けて、この場所を私の「運動場」に選んだのだろう。

 神社の建物自体はとても小さいのに、平らな敷地だけはだだっぴろい。野球ですらできてしまいそうな広さがある。こんないい場所が寂れて打ち捨てられているなんて、なんだかもったいない。



「……遅かったじゃないか」

 やっぱり、コイツキライ。何度会っても、好きになれる気がしない。

 普通の人が見たら腰をぬかすだろうが、私はすっかりそのビジュアルに慣れた。

 アレッシアと一緒に待っていたのは、空中に浮遊する白い大蛇。その周囲には、青白い火の玉が数個浮いている。誰がどうひいき目に見ても、「妖怪」としか言いようがないそのルックス。

「遅くなんかない! 今日のここまでのタイム、また自己最高を記録しましたけど?」

「うるへぇ、口答えするな。そんな生意気な口はなぁ、一太刀でもオレに当ててから言うんだな! このひよっこ」

 ヴァイスリッター、という私の剣術の先生。口が悪くて品がなく(私も人のことは言えないけど)、先生として尊敬する気にもならないけど、一応「教えていただく」手前、あとアレッシアの手前、言うことを聞いている。

 


 私が訓練に来たらまずこなす日課は、ベタだが「ランニング」だ。

 学校でグラウンドのトラックをゆっくり何周もする、ああいうのを想像されると困る。ここの神社の敷地は、外側をぐるっと回れば五百メートルにはなる。だから、ここを二周したらだいたい一キロを走ったことになる。

 でも、私が特殊能力を使えば、その1キロを5秒で走れる。

 もし、私の訓練風景を覗き見れる人がいるなら、その人は自分が夢でも見ているのではと思うだろう。1キロを5秒で駆ける私の姿は、他人には真っ赤な弾丸にしか見えないはず。

 じゃあ、さっそく50周ほどしてみるかな。



『光弾駿砲脚』



 私が訓練の初日に習ったのが、この技だ。

 1キロを5秒ということは、時速にすると720キロ。F1レースなんかよりも、私が走るほうがはるかに速いってことよね?

 そんなに速く走ったら、何かにつまづいてコケたりしないのか、障害物をよける余裕があるのか、なんて疑問が湧くかもしれない。

 どうやら、走っている私の視界と、実際の周囲との「時間の流れ方」が違うみたいなのだ。時速720キロ出てるよと言われても、その間私にはちゃんと周囲の風景がハッキリ見えているし、足元に落ちている大きな石ころや穴、段差なんかにもちゃんと気付ける。



 まあ、これも王族の能力のうちなんだろうね。えっ、そんなことがどうしてこの短期間でできるようになったの、って?ああ、その話は思い出したくもない。

 ヴァイスリッターのバカ……いや、先生のスパルタ教育の賜物だよ。

 一応、私が王女ならできて当たり前であること、その技を発動させる呪言(呪文のこと。つまり能力を発動させるトリガーとなる言葉のことね)が『光弾駿砲脚』だということをポンと教えられただけで、次の瞬間「さぁやってみせろ」ですからね! これって、チョー乱暴じゃない?

 できるわけないっつうの! って私が反抗したら、この蛇は失礼にも私の体に巻きついてきてさ!(これってセクハラじゃん?)神社の敷地をグルグル回り出した。もちろん、1キロ5秒で。

 その時はまだ技を習得できてなかったからさ、私の目に周囲の視界が恐ろしいスピードで流れるから、めちゃめちゃ怖かったわけよ。私が叫び声を上げたらさ、いつも一言多い先生が言うわけよ。

「これでも、まだ自分の能力を思い出さんのかぁ、このボンクラがぁ!」



「ボンクラ……」

 怖かったけどさ、あたしゃムッときたね。その一言で。

 悔しすぎ! ウスラトンカチの白ヘビごときに、好き放題言わせておくもんですか! 私は意地でも、できるようになってやろうじゃないのとマジで思った。

 次の瞬間、目頭が熱くなった。

 それは、泣いて涙が出たからじゃなく、文字通り「熱くなった」のだった。目が真っ赤になり、炎の熱がそこに宿った。

 神社を20周したあたりから、私は体が奇妙な感覚にシフトする感覚を覚えた。今まで怖かった時速720キロのスピードが、急に何でもなくなった。それでいて体に力がみなぎり、万能感っていうのか……「私には何だってできる」「怖いものなんかない」っていう、そんな感覚が私を乗っ取った。



 これが、本当の私? 私の中の「血」のせい?

 気が付いたら、自力で時速720キロを走っていた。

「ふぅん。少しはやるじゃないか。そうか、お前は怒らせて追い詰めると力を発揮するタイプなんだな? じゃあ今後もどんどん怒らせるとしよう」

 ……冗談じゃない。



 今日の訓練は、駿足移動はそこそこに、剣術の稽古。

 まだ未熟なので、真剣はまだ持たせてもらえない。1メートルほどの長さがある棒を使って、レッスンを受けている。

 先生は、蛇で手足もないくせに、腹が立つほど自由自在に棒を操る。

「そらそらどうした!」

 腹立つけど、先生はやっぱり強い。どう打ち込んでもかわされ受け流される。

 反撃も容赦なく、私はバシバシ叩かれる。

「……痛い」

 か弱い女子高生に何すんのよ! とは口が裂けても言えないのが辛い。命がかかった訓練だ。そこは私もわきまえている。



「今日は特別に、剣の腕が早く上達する方法を教えてやろうか」

「ぜひぜひ!」

 ヴァイスリッターが珍しく親切なことを言うなぁと思ったら、そのあとのオチはやっぱり、って感じだった。

「いっぱい負けて、傷を受けてボロボロになることだ」

「……なんで」

「やられると痛いだろ? 中途半端ならただの苦痛で終わるが、あまりにも痛すぎる上に上達もせず恥ずかしすぎたら、さすがに『どうしたら負けないのか』って真剣に考えるだろ?」

「……はぁ」

「だから、気の済むまで負け続けろ。もっと痛がれ。そして悔しがれ」

「ひぃ~~」



 家に帰る頃には、体がボロボロだった。

 でも、これも最近のことだが、疲労回復や傷の治りが、これまでより異様に速くなったような気がする。切り傷を作って血が出ても、まるで録画を早回しするみたいに、みるみる体が治癒していく。

「それが、王家の戦士がもつ能力ですよ」

 アレッシアは言っていた。「だからこそ気を付けないといけないのは、セルフヒーリング能力のキャパシティを超えたダメージ量を受けることです。そうなれば、回復が追いつかず、反撃のエネルギーを確保する前に畳みかけられるという最悪の展開になってしまいます」

 あの影法師なら、そこを分かっていて挑んでくるはずだ、と。

 そのアレッシアの言葉に、気が引き締まると同時に「なんでそばで見ているのにヴァイスリッターをいさめてくれないのか」と寂しくもあった。

 あんな口が悪い、意地悪な指導に対し全然口を挟まないアレッシアが、ちょっと恨めしかった。あんなので、いいと思ってるわけ?



 近いうちのメギド行きを、アレッシアが許可してくれなかったこともショックだった。きっとゆるしてもらえると楽観視していただけに、私の落胆は大きかった。

 この分からず屋、って言葉が出かかったけど……その時、吉岡のおばさんとして出会ってからの楽しかった日々のことが急に思い出されて、そんな恩知らずな言葉はどこかに追いやられた。

 ……まぁ確かに訓練、大事だしね。一日も早く、腕を上げなきゃ。



 この時の私は、まさか自分がアレッシアの意見を無視して「黙って勝手に行く」ことになるなんて、夢にも思っていなかった。




  ~episode 6に続く~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る