episode 4 ケリー・バーグマン
【地球の存在する宇宙とも炎羅国の存在する宇宙とも違う、ある次元の狭間】
ここに足を踏み入れた者は、ここ千年で数人いるかどうかだろう。
そもそも、この場所を知る者がほとんどいない。
五つ国(以後、この名称を用いる時は炎羅国・氷水国・金郷国・風雷国・七波国の五国を指す)の各国王だけがその場所を伝承される。あとは、その王たちが「この者は信用できる」と考えた者に、王自身の裁量で教えられることがあるのみ。
現に、私がそうだ。国王でもないが、信頼してこの場所を教えられた。
だからやってきた。実は、来ることを上には報告してないんだけどね——
こりゃ、あとで怒られるな。でも、どうしても来なきゃいけないと自分で判断した。反対されても来る覚悟だったから、なら事後報告でいいやと腹をくくった。
それは、宇宙最強の『闘神』の眠る場所。
名を葉隠月葉といい、人の姿ではか弱い少女にしか見えないが、その正体は戦いの神。通常の手段で殺すことは不可能で、今だに無敗を誇っている。
え、何ですって?神様ってそもそも絶対者で死なないんじゃないの、って?
コラコラ、それが地球人たちの悪い癖だ。自分たちの常識が、遠い宇宙でも通用すると思ってる。
神様だって、途方もなく長いけど実は寿命があるし、殺すことも実はできる。まぁ人間を殺すことを考えたら数億倍難しいのは確かだけど、殺すこと自体は理論上は可能。
現に、実例がある。大昔の悪王、『黒死王』だ。あの、黒の帝国の初代の王。
そいつ、実は人間じゃなく「神」だったんだよね。
五つ国が力を合わせ、最強の武器「虹の杖」を使うというその手段でのみ、黒死王を葬れた。だから、「神殺し」は難しいが現実にやれる。
ただ、神を殺すのにひとつ大きな問題があってね……
完全に殺すことは不可能ってこと。黒死王という存在としては葬れたんだけど、神様ってのは厄介でね……その思念とか、意識エネルギーといったものはある程度残っちゃうんだよね。
そしてそれは宇宙をさまよい、取り込める魂を探す。実体をもつ者に取り憑いて肉体を得ないと、意志を行動に移して実現できないからね。
例えば、恨みをもって死んだ魂があったとして、それは今現に生きていて「同じように誰かを恨んでいる人物」を見つけて、取り憑く。要は「波長が合う」というのかな。だからさ、黒死王はやっつけたけど、その残った残留思念や意識エネルギーが、同じような何者かを取り込んだとしたら?
皆が善なる心を持ち、そんなものがつけ入る隙を見せなければいいんだけど……理屈はそうでもそんなこと無理でしょ。悲しいことにさ。
「……誰じゃ、我が眠りを邪魔するのは」
姿は見えないが、声だけが響く。周囲は地平線の果てまでどこまでも、乾いた砂とゴツゴツした岩だけだ。空は常に夜で、月がふたつ浮かんで見える。
「私は、炎羅国からの特使、ケリーと申します。眠りを妨げた無礼は重々承知の上で、それでもなおお願いしたきことがありまして参上しました。実は、あなた様のお力を借りてでも倒したい者がいるのです」
しばらく、返事がなかった。
やっぱり怒ってる? 神様を怒らせたら、私は万が一にも生き延びる確率はない。
地球人は、神様っていうとだいたい「善」だと思ってるでしょ。でも、月葉はあくまでも「戦いの神」であって、善良で正義を志向しているかどうかは関係ない。
私の知る限り、「善の神、優しいばかりの愛の神」というのは宇宙に数は少ない。ほとんどの神はニュートラル、つまり「中立」である。すべてはその時の気分次第で、偏った思想や行動上の法則性や指針を特に持たない。
だから、神様でも腹が立ったら人も殺すし、災害も起こすってこと。
もともと、命を捨てる覚悟でやってきたんだ。ここまでくればもうヤケだ。相手が神だろうが言いたいだけ言ってやれ。
「お返事がないようですが? 眠たいところを起こされてまだ頭が働かないのでしょうか? それとも、私の言う相手に負けるのが怖いのでしょうか?」
言いながら自分でも怖くなった。今私が挑発しているのは、こともあろうに宇宙最強の剣士様である。
「お主……面白いことを言うではないか」
今まで声だけだっだのが、空中にいきなり光の玉が現れ、そこから一人の少女がフワリと空中を降りてきた。
あなたたちに分かりやすく言えば、「羽衣を着た天女」って言えば、だいたいのイメージがつかんでもらえるかな?戦いの神どころか、華奢で可憐なただの娘にしか見えない。でも腰には、そのルックスに不釣り合いな日本刀、つまり「カタナ」をぶら下げていた。
「何だと、私に怖いものがあるだと?」
目は笑っているのに、月葉様は腰の刀を抜いて、刃先を私の顔に向けてきた。
ここで臆するものか。私が引けば、地球は、炎羅国はどうなる——
「黒死王です」
私の一言で、月葉の形のいい眉毛がピクリと吊り上がった。
「今、何と言った」
月葉様は、抜いた剣をもとの鞘に納めてくれた。ありがたい、剣を向けられたままでは、落ち着いて話もできない。
「あれは、死んだではないか。たかが数億年前に」
「ええ。でも私の言いたいのは、その黒死王の残った悪意がある人物に取り憑いて、再び野望を果たそうとしているようだ、ということです」
「そのある人物とは誰か、分かっておるのか」
「黒のリディア、という黒の帝国の現女王です」
「バカな——」
月葉の表情が歪んだ。そして黒かった瞳が火のような赤に変わった。
神様でも、動揺ってするのか。
「……神がただの人に取り憑くためには、その者に取り憑く神を宿してなお自己を律することのできる途方もない精神力が必要じゃ。そんな条件を満たす人物、宇宙でもまれにしか出んはず——」
「そのまれに、がとうとう現れてしまったのですよ!」
私は、無謀にも神様がまだしゃべっているのにそれを遮って声を荒げてしまった。その時は必死さのあまりのことだったが。あとで思い出して肝を冷やした。
「信じれぬなら、ご自身でお確かめくださいませ。我々も戦っておりますが、どう考えても我々だけでは勝てぬのです。悔しいですけど——」
少女の姿をした戦いの神は、腕組みをしてしばし考え込んだ。
その何とも言えない間が、私を緊張させた。さて、返答やいかに?
「……承知した」
月葉は私にくるっと背を向けた。腰まである長い黒髪が、さざ波のように揺れた。
「私が出張るのは、どれだけぶりじゃろう」
「ありがとうございます!」
この瞬間、緊張が解けてどっとそれまでの疲れが襲ってきた。
「そのリディアとやらを倒すのなら、黒の帝国に直接乗り込めばよいのか?」
「それはちょっと待ってください。色々事情が複雑でして……実は、リディアを倒す前に行っていただきたい場所があるのです」
「なんじゃ面倒な。して、その場所とは?」
「地球、と呼ばれる惑星なのですが」
「……ああ、地球か」
意外だった。かなり辺境の小惑星なのに、月葉様は知っておられるご様子だ。
「まさか、行かれたことがおありで?」
月葉様は、後ろを向いたまま顔を上げ、月を見上げた。
「思い出したぞ。我が出張るのは久しぶりなどではなかった。ちょっと前に、地球に行ってたぞ。寝ぼけてて忘れておった。確か三百年ほど前になるか」
何と、千年に一度起きるか起きないかの神様が、三百年前に一度起きていたとは……
「どうして、地球になど行かれたのですか?」
「助けを呼ばれたからじゃ!」
このあたりから、月葉様は挙動不審になった。何か顔が赤いし、声が上ずっている。
「あの男確か、名前を『天草四郎時貞』と言うたかの——」
「ああ、『島原の乱』の」
それなら、私も知っている。日本語の勉強をする時に、日本史も少しかじった。しかし意外だ、地球に来たことがあって、しかもそれが江戸時代の日本……
「ではその者が、ここまであなたを起こしに?」
「いや、来てない。ただ、願いがここまで届いた」
「……嘘」
直接願いに行かずに、寝たままの神様を動かせるなんて話聞いたこともない。もしそれが本当なら、天草四郎という人間はただ者ではなかったということになる。
「貧しい者、弱い者が権力者に虐げられておる、って涙ながらに訴えてきての。何が正義かとか正しいかとか、我には興味がない。ただ、戦いが面白そうじゃったから加勢してやった」
「でも、変ですね。歴史上島原の乱は天草四郎が負けて討ち取られ、幕府が乱を鎮圧したことになってますが?月葉様が加勢したのに負けるとは、どういうことで?」
そこで、月葉様は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「あのアホウ、心変わりしよったんじゃ」
「は?」
「我がちょっと朝飯前の運動で敵軍を千人ほど倒したあとでの、『やっぱり自分たちだけの力でやる』などと言いよった」
「……そりゃまたなんで」
「分かるものか! 勝てばいいのだろう? そうすれば、お前の望む世の中ができるんだろう? 大勢が救われるんだろう? と聞いたさ!そしたらあやつ、『身の丈に合わない他力で得た勝利や平和などに意味がないことに、今更ながら気付いてしまいました。ここまで頼っておいてすみません』だと」
「じゃあ、わざわざ負ける道を選んだんですか。月葉様に任せておれば勝てたものを——」
「そうじゃ。あいつの腹の中は全然分からん。かつて『悟りを得た』などと申したやつが似たようなことをほざいておったが、あの連中と四郎は同じになりよったんじゃ。ああなってはもう説得できぬ」
……ははん。
四郎、なんて呼び方しちゃって。このカミサマ、天草四郎に惚れたな。
今日の大発見、ひとつめ。神様も動揺する。そして今ふたつめ。神様も恋をする。
「そんなことがあったのですね。じゃあ、その四郎様がお亡くなりになってさぞお寂しいことでしょうね……」
「そんなことはない」
月葉様は、自分の胸をポンポン、と叩いた。
「ここにおる」
「エッ、ってことはまさか」
「あやつを取り込んだ。だから、アイツと我はいつも一緒におるようなものじゃ」
私は、唖然とした。いくら好きでも、惚れたただの人間の魂を?
「月葉様は、戦いの神。剣の腕前が特に優れた者の魂のみを取り込まれるはずでは?」
「お主は知らぬのだろう。あやつ、強いぞ。相当の使い手ぞ?折角その時代に来たのだからと宮本武蔵とか柳生十兵衛とやらの力も取り込んだが、その中で四郎が最強ぞ」
「は? あらまぁ、日本史の勉強では天草四郎が剣の達人だったなんてゼンゼン教えられませんでしたけど!」
今日はまぁ、びっくりする情報ばかりだ。
「……とりあえず、もし地球に着いたら最初に日本の『夕凪リリス』という人物をお探しください。そして、彼女の戦いを支えてやってください」
「分かった。じゃが、どうやってそいつが分かる?」
「行けば簡単に分かります。あなた様の目で見れば、誰よりも目立って見えるはずですから——」
~episode 5へ続く~
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