episode 3 リリス
アレッシアの訓練が始まって、今日が三回目。
吉岡のおあばさんのことをそう呼ぶには、まだ違和感がある。でも、正体が明らかになってからのおばさんはそれまでの「ご近所さんモード」をすっかりやめて、まさに私ら双子の『教育係』としての顔になった。
こちらが縮み上がりそうなドスの効いた声で「これからは私のことはちゃんとアレッシアと呼ぶように。これは、とても大事なけじめです」と言われたもんだから。違和感があろうがどうだろうが、こちらは必死に守るしかない。
アレッシアの「鬼教官」としての徹底ぶりは脱帽もので、もうかつての吉岡のおばさんはそこにはおらず、これまでみたく私らにニコリともしなくなった。もう今後、前みたく馴れ馴れしくできないと思うと、ちょっぴり寂しい。
私が今モノにしようとしているのは、『自然魔法』である。
火、水、風、土、光。その五つの特性を利用した魔法のことである。自然エネルギーをヒーリングエネルギーや破壊エネルギーに変化させることで、何かを攻撃したり、味方を治癒したりすることができる。
でもそれは誰にでもできることではなく、生まれつきその能力を備えた者にしかできない。そのような者のことを「魔法使い」と呼ぶ。生まれつきの才能のない者が、訓練や努力によって後天的に魔法使いになれるなどということはないらしい。
今必死でやってるのは、まずは魔法の基本となるエレメント(火・水・風・土・光)に意識してなじむこと。例えば火なら、ろうそくの炎をじっと見る。たき火に当たりながら、炎の動きを見る。
アレッシア曰く、本当に魔法の能力に開花したら「火は火でなく、自分」のようなものらしいのだ。火と自分、これが別々でなくてどちらも自分。自分なんだから熱いとか怖いとか、そういうのを超えるんだそうだ。もちろん、自分自身が「火」なので、当然触ろうがやけどをしない。熱いとかも感じないらしい。
水も土も光も同じ。全部、「自分自身がそれそのもの」と本気で思えるまで、それらに触れ続け、語り続けることが必要らしい。
まだやりはじめなので、語りかけるってのはこっぱずかしい。火や水に話しかけるなんて、傍から見れば「ちょっとアブナイ人」みたいじゃない?
アレッシアは言う。「別に、声に出して語りかけるばかりじゃなくてもいいのですよ。特に最初は、心の中で語りかけるだけでもいいでしょう」
今日の訓練では、何とか「水」が分かりかけた気がする。
訓練の初日は、火とか水にしゃべりかける、というのは自分でも「なんだか変なことをしてる」としか思えず、こんなことが一体何になるのだろう?なんて考えてしまった。自分の置かれた厳しい現実のことは、身に染みて分かってるというのに。
でも今日、何だか分かった気がするのだ。
水にも命がある。
意識がある。
そしてその意識と私の意識とは、別々などではない。
水の意志こそ私の意思。私の意思こそ水の意思。
そう、私は水。
命の源を同じくする私は、手足のように水を使役できる——
バケツの中の水で訓練していた時に、何とはなしにそういう思いが自然に湧き出てきて、一瞬私の心は一点の曇りもない状態になった。水に話しかけてバカらしいとか、何になるのかという現実的な思考や疑いが一切消え、水面のかすかな動きに自分の精神がシンクロする感覚がした。
「おいで」
私が声をかけると、太さ十五センチ、高さ一メートルほどの水柱がバケツから勢いよく立った。柱をよく見て触れてみると、ただ水が柱状になってるのではなく、水が上下に流れて循環していた。中に流れがあるようなのだ。
私が手を差し伸べると、その水柱はぐぐっと曲がって、私の手にその先端をあてがってきた。ちょうど、生きた水の柱と私が握手したような感じだ。
「よくできました」
いつの間にか、アレッシアが私の後ろに来ていた。
「まずは、第一関門突破です。さらに慣れれば、その水に命じてどんな形にも動かすことができるようになれます。最終的には、敵を倒す武器として使うことが目標です」
先生が言うには、魔法使いにも人によって「個性」があるのだそうだ。人によって得手不得手はあり、私の場合最初に水と通じ合えたのは、やはり「水魔法」が特に得意なタイプの魔法使いだからではないか、と。
次のレッスンまでの宿題として、「水を氷に変える」ことと「冷たい水を熱湯に変える」ことを達成するように言われた。氷もお湯も、ただ水がその在り方をかえただけのもの。水を使役できる者なら、コツさえつかめば簡単なことだ、とアレッシアは言うのだけど——
……簡単に言ってくれるわ。
むずかしいやん!
その訓練時間の終わりまでには、結局モノにできなかった。あーでもないこーでもないと試行錯誤の末、「一体どうやれっていうの?」とイラッとしたところで、訓練はおひらきとなった。
今訓練に使っている場所は、アレッシアが地球人としての顔で経営しているお店『アンティークショップ・灯羅』。店内のものをすべて一角に寄せて、広いスペースを開けてそこで魔法を学んでいる。お店は休んで大丈夫なのか、と心配したら「もうそんなことしている場合じゃない」のだそうで……
格闘術を学ぶお姉ちゃんの訓練は、いくら広くてもお店の中なんかじゃダメらしく、最寄りの電車の駅を二つ分超えたところにある山の中でやっているらしい。
交通費がかかるね、って姉ちゃんに言ったら「あんたねぇ、それくらい走れば済むわよ」って当たり前のように言われちゃった。病気がちの私には、二駅分走って当たり前、というお姉ちゃんの感覚がゼンゼンッ分からない。
私の訓練も、今は魔法の初歩だから狭い場所でも住んでいるけど、「威力が出せてくると、森ひとつ燃やしたり津波を操ったりする大魔法もやるから、ここじゃダメね」とアレッシアは言っていた。さすがに森ひとつ燃やしちゃうのは心苦しいので、自然愛護の観点からその訓練だけは別のことで振り替えてほしい、とお願いしておいた。
「う~ん、どうやるのかねぇ……」
帰宅の道すがら、私は頭の中でイメージトレーニングしてみた。
歩いているすぐ横に小さな川がある。その水でやってみよう。
水を熱湯に……えっと、普通ガスとか電気で沸かすよね?ああ、もっと自然には水を「火にかける」んだよね。ということは…水を火で温める想像をしてみたらどうかな?
訓練のある日は、いつも帰宅が夜8時以降になる。体が引き締まる、ほど良い寒さの夜風を頬に受けながら、私はしゃかりきに川の水が火で温まってお湯になる想像をしまくった。
「ああっもう!」
悲しいことに、何も起きない。水の形を自由に変えるところまではできたのに…これでは水の魔法使いどころか、ただ「水芸」という見世物ができるに過ぎない。
「ん? 何か言いたいことがあるの?」
さっきから、水が騒がしい。
水と通じ合えた気がする、今日の訓練の時間以降、何かの瞬間に水が何か私に教えようとしている感覚が、とぎれとぎれなんだけどしている。
「えっ、後ろ?」
背中の神経が一気にざわついた。そのざわつきは、私の無意識領域に働きかけ、自分の頭の中とは関係のない、勝手な行動をさせた。
右手が上がると、勝手にこう口走っていた。
『高硬化双水壁』
突然、私の歩いている後ろの路面のアスファルトが裂け、その裂け目から水が噴き出した。その水流は幅の長い壁となって、高さ十メートル以上に及んだ。
私は今一体、何をしたんだろうか?
「……もう魔法で防御までできるのか」
5秒ほどして水の壁が消えたところに、宿敵『影法師』がいた。
壁が、やつの攻撃を防いだようだ。
お姉ちゃんは二度もこいつに襲われているが、私は初めて見る。でも、知らなくても間違いなくこいつがあの影法師だと本能的に察した。
今の私が訓練しているのも、まさにこいつに勝つためだ。もちろん、いつかは対峙して撃破しないといけない敵なんだけど、今来られても…迎え撃つ私がまだ未熟だ。
勝てないかもしれない。
でも、せっかくさっき水とお友達になったんだ。
運命のせいで仕方がないとはいえ、魔法を覚えるって、ちょっぴり楽しいこともあるんだよ。だから、今死んでやるわけにはいかない。私はまだまだ、この魔法とやらを生きて極めてみたいから——
影法師は、腰を落として鈍い光を放つ剣を構えた。あれが絢音ちゃんが言っていたライトセーバーみたいな剣か。昨日お姉ちゃんと話していてそのことを話題にしたら、知らなかったみたい。どうやらお姉ちゃんは、絢音ちゃんには口をきいてもらえてないみたいだ。
どうしてだか、二人の間に何があったのか理由は知らない。お姉ちゃんも絢音ちゃんも、二人ともそのことは言いたがらない。
次の瞬間には、やつはきっとあの剣を振り上げてこちらに斬りかかってくる。
私、どうすれば?
どうすればだって? いや、本当は分かっている。どうするのか——
私の精神世界の、普段の自意識とはまったく別のどこかが、またうごめきだした。
心に何か、突き上げてくる。
怒りだ。いや、言い換えれば「火」だ。
このままむざむざ殺されてなるか、という激しい感情がメラメラ燃える炎の渦となった。その意識を、私は道路脇の川に向けた。
『烈火赤溶弾』
川の水が全部空中に集まり、いったん球状になった後蛇のような形になった。
ああ、蛇じゃないや。よく見たら、「龍」という伝説上の生き物に近い。
私の口が勝手に知るはずもない呪文を口にすると、その水の龍は真っ赤になって、影法師に激突していった。
いや、水の龍からはシュウシュウとものすごい湯気が夜空に上がっているから、ありゃ正確には『熱湯の龍』だな。
「……ぐうっ!」
私の攻撃にダメージを受けた影法師は、地面に膝をついた。
彼に突進した水の龍は、また水に分解し砕けて散った。しかし、その水が降り注いだ周囲の地面からは、シュウシュウとものすごい量の湯気がたった。
…あ、お湯にするのできた。
そっか、コツが分かった。水を火で沸かすイメージを頭でするんじゃなくて、火のようにした激しい「感情」を水に向けたらよかったのか。
影法師のおかげで課題がひとつできた……とそんな悠長なことを言ってられる場面ではない。この場を乗りきるためには、もうひとがんばりだ。
『剛力招来 召還水雷神』
私は、もう影法師に勝つ! というただその一念だけを研ぎ澄ませた。
もうすっかり私の味方となった「水」を信頼して、両手を高く挙げた。すると足元の地面がせり上がり、巨大な水流が地面を突き破って現れ、私の体を二十メートルほどの高さに押し上げた。
私はバランスを崩すことなく、その水流の頂点に立っていた。私が自らの体をスピンさせると、大量の水が私の体の周りにまとわりついてきて、何かの形を作った。
見たところ、巨大な円錐形だ。それはまるで、空中から影法師を狙う『強大なドリル』に見えた。
『夕凪水神流呪言 轟天裂貫錐』
私の体は、いわゆる「きりもみ回転」というものをしながら、水製のドリルごと標的に激突していった。
私の攻撃は敵に当たるだけでは飽き足らず、地面にめり込んで半径十五メートルの穴をそこに開けた。恐らく埋め込まれた水道管が破裂したのだろうけど、道のあちこちで激しい水しぶきが上がった。
「……これじゃ、すぐ他の人間どもが来て騒ぎになるな」
驚くことに、今の攻撃を受けても影法師は生きていた。だが、相当なダメージを与えることには成功したようだ。
「どうやら、目覚める前にお前たちを倒さねば、こちらがやられると言ったリディア様のお言葉にウソはなかったようだ」
……リディア様?ああ、あの私の両親を、そして星を卑怯にも襲ったあのにっくき女王のことか。アレッシアから教わった。
「ふんっ」
一瞬ことで何が起きたのか分からなかったが、影法師の体のあった地面の下に、ぽっかり穴が開いている。土の中へ逃げたのだろうか?
「あんた、モグラかい!」
そんな一言が出てくる余裕があるなんて、私も強くなったのか。それとも、ただ人と戦うことに抵抗がなくなってきたのか?
この調子だと、残りの「水を氷に変える」課題も、すぐに達成できそうだ。
~episode 4へ続く~
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