episode 2 安田梅乃
【東京都C区にある佐伯家の屋敷・クレアがメギドへ旅立つ前日】
「う~ん、やっぱり紅茶はグランボアシェリ・バニラに限るわね~」
そら、また始まった。先週までは、紅茶はプリンス・オブ・ウェールズに限る、って言ってたのはどこのどいつよドイツ人! お嬢様は、何にでもすぐに影響されやすいのが短所のひとつだ。
……あら、私としたことが。いくら性格に難があるとはいえ、お仕えしているお嬢様にこんなことを(心の中でとはいえ)言っちゃいけませんね。オホホホ。
「安田~おかわりちょうだい」
これで何杯目だと思っているのか。お嬢様の胃袋は大型のペットボトルか何かか?
私は桓武天皇にまで血筋を辿れる名門中の名門、佐伯家にメイドとして仕えてもう五十年になる。十六歳の頃から見習いの下働きとして入り、四十歳の頃にはメイド頭として、数十人の使用人を抱える広大なお屋敷の家事全般を取り仕切っている。
もう老齢の域だが、なんのまだまだ。元気で体が動く限り、私は現役でいるつもりだ。
佐伯家の当主・佐伯壮一朗は、巨大企業集団『佐伯グループ』の会長。戦前は『佐伯財閥』と呼ばれ、規模としては恐らく日本で一番。平たく言えば、『日本一の金持ちの家』ってとこさ。
奥様は、若くして病死なされて独り身なのだが、今だに再婚話のひとつもない。それだけ旦那様は前の奥様を愛しておられたのか、それとも他に理由があるのか…は、一介の使用人としては知る由もない。
旦那様は多忙で、滅多に屋敷には帰ってこない。だから、実質私がお世話しているのは会長の子どもだ。
長男、長女と次女の三人のお子さんがいらっしゃるが、今年二十七歳の長男は会長の後継ぎとなるべく、家を離れ遠くの関連会社へ出向し修行の身。二十二歳の次女は親の薦める縁談(もちろん政略結婚)を蹴り、現在家出中。旦那様は佐伯グループの力を使ってあらゆるところを探させているようだが、半年経った今でも見つかっていない。
次女の貴子様は無茶苦茶頭がいいからねぇ。その辺の探偵の頭脳のその上を行っているんだろうさ。だから、私が専らお世話しているのが残っている一人、長女の麗子様だ。
二十五歳になる麗子様は生まれた頃から、広大な佐伯家の敷地からほとんど出たことがない。
お父上の海外出張に、旅行も兼ねて時々ついて行く以外、外に出かけたことがない。教育はすべて、勉強もスポーツも一流の人材が講師として屋敷までやってきて済むので、外の学校になど行かない。
箱入り娘にもほどがある、って思いません? いくら元貴族の家柄だからって、家の敷地から滅多と出ないなんて、時代錯誤も甚だしい、って? そうですわね。いくら金持ちの子だからって、そこまで自由がないのも不思議ですよねぇ。
実は、そこには深いわけがあるんざます。
麗子様には、「下手にお屋敷の外に出してはならない」事情がありまして……ま、あなたにもそのうち嫌でもわかります。
東京では恐らく皇居の次に大きいと言われる大邸宅。その、日当たりのよい一室で、麗子様は午後の紅茶を楽しんでいる。
麗子様は、持っていたマイセンのカップを優雅な手つきでテーブルに置いた。
そして満足気に、窓外の手入れの行き届いた庭を眺める。もし、うっかりカップを落として割ってしまえば、軽く100万は飛ぶはず。
「安田! 紅茶にプラスしてケーキのお代わりもお願い~」
「お嬢様、いい加減になさいませ! これでもう8杯目でございますよっ。ケーキも5つ目じゃあありませんか。まったく、お嬢様のお食べになったエネルギーは一体どこへ行くのやら」
麗子様は大の紅茶狂であり、底なしのスィーツ好きである。なのに、不思議なことに彼女は一向に太らない。それどころか、均整の取れた見事なプロポーションをしており、ひいき目に見ずとも『美人』だと言えるだろうね。
そこへもって巨大企業の会長の娘で秀才、とくればまったく非の打ち所のない女性のように思えるじゃありません?ところがところが、残念なことに麗子様には大きな欠点があるんですの。
さっきもちらっと言いましたけど…『性格が悪い』んです!
それだけじゃなく、麗子様には常人とは決定的に違う所がひとつ……
「安田のケチっ。もういいわよ!」
麗子様の瞳がグリーンに光ったのを見て、私はあわててキッチンにダッシュした。
「お嬢様、なりませぬ! こんなくだらないことに『お力』を使うとは、なんたることですかっ」
私がキッチンに着くよりも先に、奥から恐ろしいスピードでケーキと新しい紅茶のセットが宙を飛んできた。私はそれをつかまえようと涙ぐましい努力はしてみたが、老齢の身でのジャンプ力では触れることすらできなかった。
「ち、力を使うとは、卑怯ですぞっ、お嬢様!」
頭に来た私は、立てかけていたほうきをひっつかんで、宙に浮く紅茶ポットやケーキを落としにかかった。そうはさせまい、と意識を集中させ必死にコントロールする麗子様の緑の瞳が、さらに輝きを増す。
「ヒキョーもノーキョーもあるものですか! 私はおかわりをしなければ気が済まないのですっ」
麗子お嬢様が農協の世話になることは、まずないと思う。
このお屋敷では日常茶飯事となった私と麗子様との戦いは、当然のように麗子様の勝ちとなるのが常であった。老齢の私がついに体力尽きて倒れたところで、麗子様はせしめた紅茶とケーキを無事テーブルに着地させた。
「オーッホッホッホッ! それ見なさい、正義は勝つ、最後に愛は勝つのです。あなたいい歳なのにそんなにハッスルして、寿命が縮まっても知りませんことよ」
わがままで血も涙も無い麗子様は、地面に這いつくばる私を尻目に、おいしそうにおやつのおかわりを頬張るのであった……
皆さんも分かったでしょう。麗子様の外出が『禁止されている』理由が。
それは、麗子様の持つ不思議な能力。これを見られたらマズいから。
私の目には、何かの『超能力』に見えますわね。手も触れずに、モノを動かすことができるところなど、『サイコキネシス(念動力)』っていうやつじゃないですかね?
さかのぼれば奈良時代にまでたどれる佐伯家の血統では、数は少ないが『異能力者』が時々輩出されるのだそうな。伝承によると、それらの者はやはり現代で言う超能力のようなものを駆使できたようなのです。
麗子様は、たまたまその当たりのケースなんでしょう。麗子様の前に佐伯家に異能力者が出たのは、江戸時代に生きていた『佐伯栖瀬里守(サエキスセリノカミ)』。そしてなぜだか分からないが、佐伯家の代々の異能力者の8割までが「女性」。
もちろん、そのスセリ様も女性だったそうな。彼女について書かれた古文書が残っていて、何でも古代の「ヤマタノオロチ」という怪物の蘇りと戦って、死闘の末これを倒した、という伝説が記録されてある。まぁ「マユツバもん」だけど。
もちろん、たとえ特殊能力を持っていても人前では使わないという『配慮』が麗子様にできたら、そこまで行動を規制しなくてもよかったのだけど…麗子様はいい意味でも悪い意味でも(いや、悪い意味合いのほうが強い)無邪気すぎるのだ。
そう言っている先から、背後でイヤな音がした。バリバリ、というまるで電気が爆ぜるような……まさかっ!?
ライトニング・ブラスター!
振り向くと、麗子様の指から派手な電気スパークが飛び散っている。
指の差す先を見ると、そばの壁にかかった巨大な絵画の隅に黒焦げの穴が空き、ブスブスといやな音と煙を立てている。
「お嬢様あああああ 何てことおおおおおぅ!」
私は真っ青になって声を荒げた。
ちょっとは済まなさそうな顔をしていた麗子様だったが、憎たらしいことに目は笑っていた。
「……だってぇ、そこにハエがとまっていたんですもん!」
私は絵画の前にガックリと膝をついて、頭をかきむしった。
「あああ、時価数億円のシャガールの絵が、絵があああ!!」
これが、麗子様を外に出せない二つ目の理由。
思ったことをすぐ口にし、したいと思ったことは何であろうとすぐする。お屋敷の中で何不自由なく、純粋培養で育ってきたお嬢様の問題点は、簡単に能力を使ってしまうという点だ。それを見た他人がどう思うか、など全く考えないし気にもしない。
与えられた能力の意味と自分の使命など考えないので、力を使う上での『責任感』というものが欠落している。私の目を盗んでケーキを横取りするというくだらないことに平気で能力を使うのも、その現れだ。
その能力を世界の平和を守るためとか、地球を脅かす悪と戦うとかに使うのなら、まるで映画のお話みたいにカッコイイのに…とこの時思った。
そんな麗子お嬢様が、冗談ではなく本当に「地球を守るために戦う」日が来ることになるとは、この時は考えもしなかった。
~episode 3へ続く~
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