前編第八章『星(地球)の守り人 ~二人の超能力者~』
episode 1 田中良枝
【ショッピングモールでの対ケルベロス戦からさかのぼること2日前】
いつもなら、当たり前にあった毎朝の風景。
お父さんが新聞を読んでいて。いつも遅刻しがちなクレアが、大慌てで食パンをかじっていて。それをしっかり者のリリスが、あきれ顔で見ながらも笑っていて……
今日は、そこにリリスの姿はない。
訓練と用心を兼ねて、最近は駅前のビルにある吉岡のおばさんのお店(アレッシアという本当の名前は聞いたが、今更そうは呼びにくい)に寝泊りしていて、高校もそこから通っている。そのうち、事態の展開によっては学校など行っている場合ではなくなるかもしれない、と吉岡さんは言っていた。
事情が事情なので、私たち夫婦が『子どもを手元に置いておきたい』というわがままは我慢しなければならない、と分かっている。さみしいことだが、ケリーさんから双子にまつわるこれまでの経緯を聞いた時から、この子たちは私たちの子どもであるという以上に、もっと大勢の人に必要とされている運命を背負っているのだ、と自分に言い聞かせるようになった。
リリスがいないことを何とか耐えているのに、そこへもうひとつの苦痛が加わろうとしている。それは、今目の前で朝食を取っているクレアが、この食事を最後にこの家からいなくなること。
明日からは、家族の風景から双子が二人とも消えるのだ。
先日、何の知らせも前触れもなく、いきなりケリーさんが目の前に現れた。
「クレアが、アブナイです。助けてあげてクダサイ」
「クレアが……危ない?」
ケリーさんの日本語はちょっとおかしいので、文字通りに受け取るとだいたい失敗する。よくよく聞いてみると、危険なことに巻き込まれたとか何かと戦っているという意味ではなく『精神的な面で』辛い目に遭っているということらしい。
吉岡さんの骨董品店のあるビル周辺をウロウロしていると、ケリーさんに教わったとおり、暗い顔をしたクレアが体を引きずるようにして歩いていた。いつも明るくエネルギッシュで、まるで「ひまわり」のようという表現がピッタリなこの子の、こんな打ちひしがれた様子は初めて見た。
「ママ、私しばらく家を出る」
「…………」
「ああ、言い方が悪いよね。家がイヤとかそういうんじゃなくて、旅に出るってこと」
私もある程度は事情が分かっていたので、『旅に出る』ことのおおよその意味は理解できる。クレアは、知らなかった『自分という存在のルーツ』を辿るために行くのだ。
クレアは優しい子だから、おそらく私たち夫婦のもとを離れるということにきっと抵抗があったはずだ。随分悩んだだろうと思う。旅と言ったって、一週間で帰るのが決まっているとかそういうのじゃなく、展開によっては帰りがいつになるか分からないような、大変なものなはずだから。
子どもが悩んでそれでも「行く」という決断を下したのだから、私は何も言うまい。ただこの子が可哀想なのは、「このままここにいるのがいたたまれない」という気持ちがさらに、旅に出ようとするクレアの背中を後押しているということ。
吉岡さんとの間で色々と感情のこじれがあったらしいことは聞いた。私から見ても、吉岡さんを慕っていたのはリリスよりもクレアのほうだった。そこへ慕う相手からの拒絶に遭えば、そりゃ傷付くに決まっている。
私はケリーさんから双子の秘密や背負った役割のことは聞いているので、吉岡さんの対応が「ある程度仕方がない」ものなのは分かる。でも親としては、「クレアにもうちょっと優しくしてやれないのか」と思ってしまう。吉岡のおばさんは真面目で誠実そうな人柄だが、裏を返せば「いったん何かに取り組んだら、一途になるあまりそれ以外のことは目に入らなくなる」ということでもある。
おそらく、吉岡さんはクレアが嫌いになったわけじゃないが、その辺の配慮などしてられないほどに、リリスを一人前にすることにすべてを懸けているのだろう。
いや、もしかしたらその目的に障害になるようなら、クレアを邪魔者扱いするくらいのことはやりかねないな、あの人なら。
「飛行機の時間、何時だっけ?」
「お昼の十二時半だから、朝ごはんゆっくり食べても間に遭う。荷物の準備は昨日の夜しっかりやったし」
「どこまで行くんだっけ」
「何度も言ったじゃん。イスラエル!直行便はないから、何度か乗り換えなきゃだけど」
「乗り換えるって……どこで?」
「タイのバンコク。そのあと、イスラエルのテルアビブ空港に着いてからはさらに国内線でまた飛行機」
「……それは遠いわね」
メギドなんて、学校の地理でも聞いたこともない都市名だ。いくら使命があるとはいえ、我が娘がそんな手の届かない場所に行ってしまうなんて、覚悟はできていたつもりでもやっぱり寂しい。
「……行ってくるね」
大きなスーツケースを持ちあげて、玄関と外の段差を担ぎ上げ、我が娘は門の前に立って、こちらを振り返った。いつもならもうこの時間には仕事でいない主人も、今日は私と一緒にクレアの見送りに残っている。
「何があっても、おまえの目的をちゃんと果たして来いよ」
いかにもお父さんらしい激励の言葉ね。私には、そんな気の利いたことは言えない。それどころか、もう視界がぼやけて娘の姿が風景ににじんで見える。
「お弁当入れといたから、あとでちゃんと食べるのよ」
そんなことを言うのがやっとだった。
「うん。ありがと」
娘の姿は、すぐに住宅街の曲がり角に吸いこまれた。
なぁに、目的を果たしてきっと娘は戻ってくる。私が考え過ぎなのだ……といくら思っても、なぜだか娘とはこれで最後のような気がしてならない。
「……行ってしまったな」
そう言った主人は、娘が去って行った路地を見ていたが、心はそこにあらずといった感じで、本当はもっと遠いところを見ているような感じだった。
「ええ。行ってしまいましたね——」
主人の方はどうか分からないけど、私の胸の内では、クレアとの今までの思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。それはまるでクレアがと私たちがもう……
私は自分が囚われている負の感情に気付き、その流れを必死で断ち切った。
今はそんなことは考えまい。
何かの本で、『思考は現実化する』とか言っていた。本当かどうか分からないが、今は気にせずにはいられない。もし、強く思い描いたことが本当になることがあるのだとしたら、クレアに関することでネガティブなことは考えないほうがいい、ということだからだ。
物事は良い方に考えなきゃ。
あの子は、きっと無事に帰ってくる。
~episode 2へ続く~
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