episode 3 安田梅乃

 次の日。

 屋敷に一本の電話がかかってきた。

 ここにかかってくる電話は、主に使用人の長である私が(私がいないときは、調理部・清掃部・備品管理部という三部門の三人のチーフメイドが交替で)電話の応対をする。

「佐伯麗子様、いらっしゃいますか?」

 電話の主は、大学院生時代の麗子様のご友人だった。学校教育に関して、小中高は学校へ行かずすべて屋敷で済まされた麗子様だったが、大学だけは『流石に行かないわけにはいかないだろう』ということで、時々は授業のためにお屋敷を出ていた。もちろん、完全送迎な上にSP付きである。

 言うまでもないが、麗子様の友達ともなれば相当の資産家であるか、由緒ある家柄の者に限られる。現にこのお友達も、大手都市銀行の頭取の娘だ。



 私は、メイド頭として麗子様の日々のスケジュールは完璧に把握している。本日の午前は、特に何もないはずだ。夕方からは、佐伯グループと関わりの深い大手食品会社の会長一家との夕食会に呼ばれている。これには旦那様が参加するだけのはずだったが、理由は分からないが『麗子も出席しなさい』という指示が旦那様から出た。

 今はまだ午前十一時。麗子様は自室にいらっしゃるか、テラスでお茶と読書をしていらっしゃるかだろうと踏んだ。

「……お取次ぎいたしますので、少々お待ちくださいね」

 私は回線を保留にし、内線でお嬢様のお部屋へかけた。

 


 トゥルルルルル… トゥルルルルル…



 間違いなく、麗子様の部屋では呼び出し音が鳴っているはずである。なのに、いくら待っても電話口に出る様子がない。

 仕方がないので、とりあえず電話の相手には折り返しかけ直させると約束して、電話を切った。先方は『大事な用件なので、できれば早めに電話をいただきたい』と言っていた。

「さてと」

 麗子様に一番長くお仕えしている使用人としての「勘」が、これは何かあるぞ、と警告音を発している。部屋にいないならまずはテラスに行って、お嬢様がくつろいでいないかどうか調べなくては。




「……いない、か」

 何だか、妙な胸騒ぎがする。

 普通に考えて、在宅時にお嬢様がいる可能性の高いのは、このテラスとご自分のお部屋だけだ。屋敷にはビリヤードやダーツのある遊戯室や図書室、スポーツジムなどの設備が充実しているが、麗子様はそれらをほとんど使わない。本は好きだが、麗子様は図書室から外へ持ちだして自室やテラスでの読書を好むため、図書室で長時間を過ごすことはまずない。

 かくなる上は、麗子様の部屋へ行って、本当に留守かどうか確かめねばなるまい。

 万が一、自室にもいないとなると大問題だ。私の監督責任も問われかねないことを思うと、心臓に悪い。



 テラスから廊下を曲がること3回。階段を上がること3階分。その間およそ5分でやっと麗子様のお部屋に着く。巨大迷宮のようなこの屋敷内を五十年も歩き回っているおかげで、この老齢になっても足腰は丈夫だ。

 エヘン、と咳ばらいして私はお部屋のドアをノックした。

「お嬢様、大学時代のご友人の足立様からお電話ですよ——」



「安田、今読書に集中しているところだから、もう少しあとにしてくださる?」



 ……何だ、いるんじゃないさ。



 今までにも、麗子様はこれと同じ言い訳で何度も私を追い返している。たいがい我慢をしてきたが、今回は珍しいご友人からの連絡だし、先方に失礼のないように対応いただくためにも、今回ばかりは読書など後回しにしていただかねば。

「お嬢様。お言葉ですが、今回ばかりは読書は言い訳になりませぬ。目が離せないほど面白いのかもしれませんが、先方様はできるだけ早く連絡を欲しい、ということでしたので、どうかお電話を——」



「……安田、今読書に集中しているところだから、もう少しあとにしてくださる?」



 ん?



 私は、麗子様の返事に違和感を感じた。なぜなら、一回目に聞いた麗子様の返事と、一言一句違わない言葉だったからだ。これはもしかして……

「麗子様、いるんでしょ? でしたら、このドアのカギを開けて姿をお見せなさい!」



「安田、今読書に集中しているところだから、もう少しあとにしてくださる?」



 私は腰に下げている鍵束の中から、麗子様のお部屋のものをピックアップして、鍵穴に差し込んだ。そして、ドアノブをひねって中に入ると——

 麗子様は、部屋のどこにもいなかった。

 中央の広いテーブルの上に、何やら音響機器のように見える機械がデンと置かれてあった。試しに、その機械に向かって「麗子様?」と声をかけてみた。

 やはり、機械はさっき聞いたのと同じ文句を繰り返した。この機械はどうやら、私が用事でやってきたら声かけに反応して『代返』をするためのものらしい。

 音質はかなりのものだ。音声は録音されたものと分からないほど、リアルな生の声を再現している。

「おのれ、麗子様め~」

 麗子様は化学の博士号をもつ天才だが、機械工学には疎いはずだ。だとしたら、このような装置を作ることができるのは、この屋敷にただ一人——



「ひいいい、お許しを!」

 私が背中の肉をつねり上げると、土橋は悲鳴を上げた。

 土橋高雄は、このお屋敷の使用人組織内で『備品管理部』に所属する男だ。

 手先の器用な男で、アメリカの有名工科大学を首席で卒業後、佐伯グループに引き抜かれた。何をどう間違ったのかは分からないが、彼は佐伯グループ内企業の研究チームや開発部に配属されることなく、なぜか会長一家の使用人となった。

「アンタでしょ、麗子様にあんな装置をこしらえたのは! 責任を問われるのはこの私なんですよ? 同じ使用人として、これは裏切り行為ってやつじゃございませんこと?」

「あっ、あっ、すべて話しますからぁ! どうかその…背中の肉をつねる手を離してもらえませんかね?」

 優しい性格の私は、彼の希望通り手を引っ込めてさしあげた。でも、答えが満足のいく内容でなかった場合には、「優しい」私としては大変心苦しいことだが、もう一度キツくつねり上げる必要があるかもしれない。



「れっ、麗子様はとても大事な用があるそうでして。心苦しいがどうしても屋敷の外に出ないと、ということで……その……代返マシーンを作れと迫られまして」



 何……ですと?



 水臭いじゃありませんか! 私だって分からず屋じゃない。お嬢様がお屋敷を出るのに十分な理由があれば、協力することにはやぶさかではない。

 確かに、特殊な能力をもった上に世間の怖さを知らないお嬢様が、好きに外出なさることに慎重にならざるを得ないのは確かだけれど。それでも、一言くらい相談があってもいいじゃありません?

 私と麗子様は、彼女がオギャアと産声を上げた時からの付き合いだというのに! しかも、代返マシーンなどという小細工までして……麗子様と私との信頼関係がその程度のものだったのかと思うと、何だか情けなくなってきた。



「もしかしてだけど、麗子様はこれが初犯ではないんじゃなくて? これで何度目?」

「あたたたたたっ」

 私は、たっぷりある土橋の背中のぜい肉を、指を構え直してひねりあげた。もちろん、彼が憎くてこうするんじゃありませんのよ? あくまでも麗子様をお守りするために、必要な情報を聞き出すためですからね!

「言います言いますっ! これで何度目……というより、もう二年ほど前から時々お屋敷を抜け出してますよ、麗子様は」

 それを聞いて、私は目が点になった。

「に、二年前とおっしゃいましたか?」

「はい。代返マシーンもその時麗子様のご依頼で作りまして。それにしても、よく今まで安田様にバレなかったものですねぇ。まったく、いつ気付かれるかとヒヤヒヤものでしたが、まぁ作った私の腕がいいんでしょうかね! 録音の音声には聞こえませんでしょ?」

 私は、寄る年波で頼りなくなってきた記憶力を呼び覚ました。そういえば…麗子様がときどき部屋を出られない理由をおっしゃるとき、何度か言葉が不自然だなぁと思ったことがあったような? それでもまさか、『機械』にだまされていたとは!

 思わず、土橋をつねる手の指にさらに力が入った。

「うゎたたたたたたたたたぁっ! 安田様、もう勘弁してくださいよ……正直に全部言ったじゃありませんか!」

 土橋は、まるで宿題を忘れた小学生が先生に許しを請うように、目を潤ませて懇願してきた。いや、まだだ。まだ、肝心な情報を聞いてない。



「で、麗子様の行き先は……どこ?」

「とっ、とっ、とっ…『特殊科学捜査研究所(SSRI)ですっ』

「なっ、な……」

 私はただの使用人なので噂しか知らないが、何でも警察の手に余るような不可解な怪奇現象や難事件などを、高度な科学力で分析、からくりを暴くスペシャリスト組織を、佐伯会長が政府直々の依頼で設立したと聞く。

 ただその全貌は極秘で、施設の住所はおろか、構成員の数や組織のリーダーの名前まですべてが謎に包まれている。



 土橋の言うことが本当だとして、分からないことがひとつある。

 私は会長から直々に、麗子様の安全を守るように仰せつかっている。

 だからこそ、私は今日まで会長の願い通り、麗子様の身辺に気を使ってきたのだ。お嬢様が悪気なく外で能力を使わぬよう、外出に関してはすべて把握してきたつもりだったのに……

 でも、麗子様のエスケープ先が、会長の息のかかった施設だということは、もしかして『麗子様のエスケープを会長が知っている』可能性があるのではないか? 知っているどころか、会長はそれを容認すらしている可能性も……?



 私は、何だかわけが分からなくなってきた。

 父である会長が、SSRIに麗子様が来ることをお認めなのだとしたら、なぜ堂々と来させない? ちゃんと事情を説明してくれさえすれば、何も代返装置で私をだましたりしなくても、大手を振って外出できるのに。

 なのに会長からも麗子様当人からも、私に何の説明もない。一体、なぜ私に隠すのか? 私に知られたくない事情でもあるのだろうか?

 佐伯会長は雲の上の方なのでそう簡単に会うことはできないだろうが、必ず機会を見つけて会長に直接問い正すとしよう。そうでもしないと、私の気が済まない。




 ~episode 4へ続く~

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