episode 10 戸渡沙紀
「あーっズルいぞ! その最後の一本、オレが食おうと思ってたのに!」
「うるさいわねぇ、男が細かいこと言わないの。私、まだ十本しか食べてないんだから、譲りなさいよ」
「十本しかって、オレなんかまだ六本だぜ? 姉さん食べ過ぎだっつーの」
私と歩美が、ショッピングモールで怪物との死闘に巻き込まれた日から、二週間が経った。
あのあと、刑事の遠藤亜希子お姉さんと、長坂弘亜紀っていう高校生のお兄ちゃんとは、仲の良い友達になった。今では、お互いに家に行き来もする間柄となった。
今日は、歩美の誕生日。歩美の家での誕生パーティに誘われてやって来ている。食いしん坊のアキお兄ちゃんと遠藤さんは、ファーストフードで買ってきたフライドチキンの取り合いをしている。二十数本あるパーティサイズの大分量を買ってきたはずなのだが、余るどころかそのほとんどがこの二人の胃袋に収まってしまった。
私や歩美は、二本食べただけでお腹いっぱい。それを十本って…それでもまだ食べようとしているんだから、遠藤刑事の胃袋っていったいどうなっているんだろう……
このあと、誕生ケーキもカットして配られるのに、大丈夫なのかな? やっぱり別腹?
「……ふぅ」
アキ兄ちゃんと遠藤刑事の食べ物争いの喧騒から離れて、私は歩美の家のベランダに出た。空ではもう夕日が傾きかけて、鮮烈なオレンジ色と深い藍色が天空のパレットで混ざりあい、幻想的な風情を醸し出していた。
バカ騒ぎもキライじゃないんだけど、今はなんだか静かなところに身を置きたい気分。頬に当たる優しい風が、心地よい。
「あら、沙紀もエスケープ?」
声にハッとして振り返ると、歩美がいた。
「はい。これ、飲む?」
パーティの主賓らしく、ちょっとお洒落な格好で、両手にジュース入りのグラスを手にしている。未成年なので、ワインやカクテル入りのグラスというような粋なものは当然ない。
「うん、ありがとう」
ちょうど喉も乾いていたので、ありがたく受け取っておく。
「誕生会の主役が、会場を離れちゃってていいの?」
「ちょっとだけよ。すぐ戻るけど」
私はジュースを数口飲んで喉を潤してから、最近気になっていることのひとつ目を歩美に聞くことにした。
「絢音センパイはあれから、全然姿を見せないまま?」
「うん。ということは、沙紀のところにも現れてないんだ……」
ケルベロスとの戦いが終わったあと、終盤戦で助っ人に現れた異星人っぽい男と絢音センパイとの間に、何かあったらしい。その時の私は、信じ難い現実を受け止めるのにいっぱいいっぱいで、他のことを気にする余裕なんかなかった。でも、何だか断片的に二人の会話が聴き取れたところをつなぎ合わせると……二人は「兄妹」だって内容だったような?
絢音センパイに後日お礼が言いたくて連絡しようと思ったけど、よく考えたらセンパイの住所はおろか、ケータイ番号もメルアドも知らないことに気付いた。そこで、すでに連絡を取り合っていたアキ兄ちゃんに聞いたら、驚くべき答えが返ってきた。
「絢音のヤツは……いなくなっちまった」
「いなくなったって、一体どういうことですか?」
「おそらくだけど、アイツは宇宙人の男と一緒に、人としての暮らしを捨てて、消えた」
アキ兄ちゃんの説明はこうだ。
お兄ちゃんもあの事件の次の日、絢音センパイに会いに行ったんだって。
学校も学年も同じだけど、二人はクラスが別々だから、お兄ちゃんはお昼休みに絢音センパイのクラスに出向いた。教室を一通り見回しても見つけられなかったので、近くの生徒を捕まえて「仁藤は今日休みか?」って尋ねてみた。
「仁藤……って誰? そんな子ウチのクラスにはいないけど」
最初、からかわれているのかと思ったらしい。
でも、他の誰を捕まえて聞いても答えは同じ。さらに担任の先生も知らないと言い、その証拠に学級名簿のどこにも名前がない。
おかしいと思ったアキ兄ちゃんは、学校を抜け出して絢音センパイの自宅へ走った。ちょうどお母さんが在宅だったらしいけど、「ウチは中学の男の子の一人っ子で、姉などいない」と言われてしまった。
どうやったのかはゼンゼン分からないけど、ハッキリしているのは「仁藤絢音という存在が、この世界から消された。ただ、ショッピングモール事件の関係者の記憶にだけ、彼女が存在した事実が残されている」ということ。
私の知っている範囲ではもう一人、ショッピングモールの事件の時その場にいなかったけど絢音センパイのことを忘れていない人物がいる。リリス、と呼ばれている絢音センパイの同級生だ。
彼女もやっぱり一連の事件のカギを握る関係者で、絢音センパイと同じように特殊な能力を持ち、同じ敵と戦っていると聞いている。まだ直接会ったことはないけれど、アキ兄ちゃんが片思い中の人らしく、私は密かに『対抗心』を燃やしている。
「センパイ、いつか戻ってきてくれるといいね」
歩美はベランダの柵にもたれかかって、風に揺れる長い髪を押さえながらポツリと言った。
「……そうだね」
私もまったく同感だが、絢音センパイが背負ってしまったものの大きさを考えたら、明日や明後日に戻って来れるような話ではない。ヘタをしたら数年、いやずっと帰ってこない可能性だってある。
でも、これはただの勘だけど、そう長くない先に、絢音センパイとは再会できる気がするんだ。別に根拠はないんだけど、ケルベロスとの戦いを経験してからというもの、私の中の何かがむっくり起き出した感じがしている。で、最近不思議と『妙な勘』が当たるようになったんだ。
「……それはそうと」
歩美とはしょっちゅう会っているのに、きっかけが難しくてどうしても聞けていなかったことを聞こうと思った。
「あの事件の時さ、どうしていじめていた私なんかのために、逃げずにショッピングモールに残っていたの? ケルベロスを撃つ時も、私をそばで支えてくれた。それまでひどいことをしてきたのに。その理由を聞けてないな、って思って」
「ああ、そのこと」
歩美は柔らかな夕日の光の筋の中で、ちょっと顔をほころばせて遠い眼をした。
「あれは、中学に入りたての頃かなぁ。私に友達がいなくて、教室でお昼休みに席で本を読んでいたら、みんなが『ネクラ』ってはやしたてた時、沙紀一人が『この子は暗いんじゃない、努力家なんだ』ってかばってくれたじゃない」
「え……そんなことあったっけ?」
「あ——、忘れてるし」
歩美は責めるようにそう言ったが、目は笑っていた。
「私の方はね、それがものすごくうれしくて、ずっと忘れられなかったんだ」
私は、あまり思いだしたくない苦い過去をあえて掘り起こした。
私が、「絶対に負ける側の人間にはならない」という考え方を強く持ちだしたのが、多分時期的に歩美をかばったあとくらいだ。多分、幼馴染みの歩美の味方をしたのはそれが最後で、その後はいじめる側に回ったのだ。
勝つ側でいるために、搾取されない側でいるために心の中の大事なものを封印して、歩美を傷付けて平気なフリをしてきた。それでも、歩美は私を守ってくれた。見捨てても当然なところを。
「そんな調子じゃ、もっとちっちゃい頃にした約束のことも忘れていそうね」
歩美は意地悪そうにそう言って、クスクス笑った。
「ゴメン、ゼンゼン覚えてない。どんな約束をしたんだっけ?」
「…あの頃は楽しかったなぁ。いっつも夕ご飯で呼ばれるまで、公園で遊んでいたっけ」
ねぇ、アユミちゃん
なぁに?サキちゃん
あたしたち、ずっとトモダチ、だよね?
うん
じゃあ、やくそくしようよ。アユミにつらいことがあったら、わたしが守ったげる
ありがと。じゃあ、わたしもサキがこまったときには、たすけたげるね
そ。ふたりはいつもいっしょ。こまったときには、たすけあうのね
いいよ。ゆーびきーりげんまんウソついたら……
知らないうちに、私の頬を涙が伝っていた。
すっかり忘れていたはずだが、私の中のどこかは覚えていたということか。胸が締め付けられるような感覚とともに、夕日に照らされた公園の砂場の情景が脳裏によみがえってきた。
「……私、ハリセンボン飲まなくちゃいけないよね」
泣いている顔を見られたくなかったので、歩美に抱きついて顔を交差させた。ピッタリ合わさったお互いの胸から、心臓の鼓動が共鳴しているのを感じる。歩美の肩に顎を載せ、頭の体重を預けていたらなんだか落ち着いて、胸のつかえがスウッと消えていくような気がした。
「別に飲まなくていいよ。次助けてさえくれれば」
その言葉にちょっと笑ったけど、今思えばその言葉にどれだけ救われたか。
私と歩美は、まるで時が止まったかのように抱き合っていた。
誕生パーティの主賓がいつまでも席を外しているので、心配したアキ兄ちゃんが探しに来るまで、そうしていた。
さて。少し前まで普通の中学生として生きていた私が、いきなり異星人と地球を巻き込んだとんでもない戦いに巻き込まれた物語は、これでいったん終わり。
でも半年ほど経って後、私は再びこの『戦い』に巻き込まれることになる。
ただ、それを語るべき時は、今じゃない。
時が来れば、再会することになる絢音センパイの新たなる戦いの物語とともに、すべてを明かすことを約束する。
それまでは、束の間だけれど中学生としての『日常』を、歩美と一緒に楽しむことにしたい。
私の話を聞いてくれてありがとう。とりあえずバイバイ。
~第8章へ続く~
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