episode 7 青の闇(仁藤絢音)
私を、助ける……?
一瞬、何かの聞き間違いかと思った。
「やはり、リディア様の予言した通りか」
紅陽炎はフンと鼻を鳴らして肩をすくめ、欧米人のように「お手上げ」のゼスチャーをした。お互い仲が良いかは別として、味方が寝返ったというのに、それほど意外というわけでもなさそうだ。
「アンタのことはまぁ、最初っから味方だとは期待してなかったけど」
……えっ、どういうこと?
敵側の事情はまったく分からないが、ひとつ解せないのは「リディアという指導者は、影法師が信頼できないと思っていたくせになぜ手下にしたのか」ということだ。でも今はそんなことをじっくり推理している場合じゃないので、次に周囲がどういう動きをするかに集中力を戻した。
次の瞬間、ケルベロスが動いた。
そりゃそうだ。影法師が乱入し、なおかつ敵を助ける宣言したことが驚きだとか、怪物にとっちゃそんなことゼンゼン関係ないもんね……
思わず忘れるところだったが、怪物が狙っているのが守らなきゃマズい一般人、中学生の沙紀ちゃんだということをギリギリのところで思い出した。
私は沙紀ちゃんを横に飛びながら脇に抱え、建物の壁に跳んだ。
頭からコンクリート製の壁に激突したが、割れたのは私の頭じゃなくて壁の方だった。超人モードの私は、めっちゃ頑丈な体に変化しているらしい。
沙紀ちゃんがケガしないように、頭部をしっかり腕と手の甲でガードし、瓦礫の破片が当たらないように気を遣った。その分、怪物を目で追うスピードが遅れたが、幸いその間の攻撃はなかった。
急に視界がまぶしくなった。
壁を突き破って、ショッピングモールの外側に出たらしい。時間は夕方に近いが、外ではまだ傾きかけた太陽がギラついている。
勢い余って着地した場所は、4車線もある国道のド真ん中だった。
私が跳び出てしまったことで、背後で数台の車が玉突き事故を起こした。ケルベロスも反対側に出てきたが、そちらにも停車しきれなかった車がヤツに激突し、炎上していた。
地球外の脅威から地球を守るヒロインとして駆けだしの私は、沙紀ちゃんという命を守ることが精一杯で、その他の被害を申し訳なく思ったり心を痛めたりする余裕はなかった。
怪物は自分のお尻に突っ込んできた車やガソリンの炎など痛くもかゆくもないらしく、そんなものには一瞬たりとも目をくれずまっすぐこちらに突進してきた。もちろん目的は、私が抱えている沙紀ちゃんだ。
何かを守りながら戦う、というのはかなり不利だ。しかも向こうにはそんなものはない。全力で戦えても、勝てるかどうか分からない相手だというのに!
かといって、沙紀ちゃんをあきらめて私が生きておくほうが「後々地球のために益となる」とか、そういう合理的な考え方が私にはできない。
普段から、「よくお前それでスポーツ部の主将が勤まるよな」とからかわれているものね。例え自分が死ぬとしても、今沙紀ちゃんをかばうのをやめるのは嫌だ。背に腹を代えてでも嫌だ。
「……にたくない」
私は、戦闘の騒音の中でも、腕の中に抱いている沙紀ちゃんのか細い声に気付いた。
「死にたくない」
聞こえにくいので絶対にそう言ったとは言いきれないが、少なくとも私にはそう聞こえた。それはもちろん、実は守っているこの私も同じ気持ちだ。
だから、生きて、一緒に帰ろう。
ケルベロスが十メートル目前に迫った時、矢のような影が目の前をよぎった。
同時に、怪物の頭からおびただしい出血があった。私の味方で、なおかつ私の動体視力でも捉えにくいほど速く動ける人物と言えば……
「今だ、狙われているヤツと一緒にいったん引け。さっきいた場所のそばに、電車の「駅」とかいうものがあっただろう? その駅の……何だ、開けた細長い場所にいろ。そこで体勢を立て直すんだ。オレもあとから行く」
「開けた細長い場所」とは、おそらく駅のプラットフォームのことを指しているのだろう。
影法師が味方してくれる理由は全然分からないが、ここはありがたく世話になっておこう。
駅は、完全に無人だった。
下り線のホームの一番隅っこに、私たちは固まって束の間の休憩を取っている。
今ここにいるのは、私と遠藤刑事、そしてアキに歩美ちゃん、そして私が守ってきた沙紀ちゃん。
ケルベロス出現から今まで、当事者である私らには永遠とも感じられるような苦しい時間だったけど、実際には十分くらいしか経っていない。その十分間に、さっきまでは戦闘の舞台でもなかった駅の中が無人だというのは、避難の手際が完璧すぎる。
「あら、この不肖警察官、亜希子お姉さんを見くびってもらっちゃ困るわ。絢音ちゃんが頑張っているのに、私がただ遊んでいるわけないでしょ? 日本の治安を守る者として、できるだけ犠牲者を減らさないとね」
アキのことも心配だったが、大丈夫そうだった。それどころか、遠藤さんと離ればなれになったのに、歩美ちゃんを無事この合流地点まで連れてきた。やっぱ、やるときはやるのね、頼もしいこと。
「……今のうち、仲直りしちゃいなさいな」
唐突に遠藤刑事がそう言った。同時に、歩美ちゃんと沙紀ちゃんの視線が合った。
「聞かなくても分かるわよ。沙紀ちゃんは万引きさせた側、歩美ちゃんはさせられた側。さっきまではそんな関係だったかもしれないけどさ、こんな生きるか死ぬかの目に遭ってそれどころじゃなくなったでしょ? 今仲直りしとかなきゃ、あとあと後悔するわよ」
「私はー」
歩美ちゃんが何か言いかけたが、影法師が目の前に現れたので、その件はそこまでとなった。
「戦況は?」
私は即座にそう聞いた。今最優先で議論されるべきはまずそれだ。まずは生きて帰らなきゃ。
「……オレがある程度ケルベロスにダメージを与えてきた。でも、あいつの細胞再生能力だと、もってあとせいぜい三分だな。おそらく三分後にはもう追ってくるだろう」
私は、さっきから気になっていたあることを、影法師に聞いてみた。
「紅陽炎は、ケルベロスを倒す方法はたったひとつしかないと言っていたじゃない? アンタ、そのことで何か知ってる?」
「……知っている」
あまりにあっさりそう言われたので、私は少々拍子抜けした。
「アハハハ」
遠藤刑事は、豪快に笑った。
「それなら話は早いじゃん。早いとこあのデカブツの弱点とか教えてよ」
「確かに、あの幻獣を倒す方法はある。しかし話はそう簡単ではない——」
「キャッ」
影法師は、沙紀ちゃんの腕をいきなりつかんで、グイと引き寄せた。
「倒すカギは、コイツだ」
その場にいた一同は、一瞬話が飲み込めずキョトンとした。しかし、影法師の次の一言で、やっと言っている意味が飲み込めた。
その方法とは、かなり残酷な内容だった。
「伝承が確かなら、ケルベロスを倒すことのできるのは、ケルベロスに狙われた者だけだ。つまりだ、私や青の闇がいくら攻撃したところで、命を奪うことはできない。唯一この女だけが、ケルベロスと戦って殺すことができるのだ」
「いやだようううう」
沙紀ちゃんは、斜陽がオレンジ色の影を落とす駅のホームを、寝っ転がったまま転げ回った。
「ムリよムリ私にはできないきっとできない私もみんなもきっと死ぬんだわ」
まるでダダをこねる子どものようだった。でも、一体誰が彼女を責めることができるだろう? 私はこうして戦っているが、勇気があるからじゃない。
たまたま怪物と渡り合えるチカラを与えられてしまったから。怖いけど、私がやらなきゃ仕方がないから。もし私に戦うチカラが与えられてなかったら、こんな戦いに巻き込まれた時きっと沙紀ちゃんとそう大差ない反応をするだろう。
ただただ、恐怖に怯えるだけだったと思う。
「……戸渡さん、いや沙紀ちゃん」
歩美ちゃんが沙紀ちゃんに歩み寄って、肩に手を回した。
「お願い、みんなのために戦って」
沙紀ちゃんはうつむいたまま、返事がない。
「影法師さんとやら。仮に沙紀ちゃんが戦うとして、私のように戦う訓練を受けたわけじゃなし、あなたや絢音ちゃんみたいに特別な力があるわけでもないし。実際どうしたらいいのかしら?」
遠藤刑事の質問は、実に的確だ。
「オレも伝承の話でしか知らないが、部外者がどんなに強い戦士でも、強力な武器を使っても勝てないが、ケルベロスが一度でも獲物として食欲が湧いた者であれば、それがたとえどんなに弱い攻撃でも有効だそうだ。要は、力よりも狙われた者の『勇気』がすべてだということだろう」
「……そっか」
遠藤刑事は人目もはばからず、タイトスカートをたくし上げ太もものあたりをゴソゴソいじり始めた。そうして取り出したのは一丁の拳銃だった。さっきから見てると、彼女が所持している拳銃はこれで五丁目となる。いったい、いくつ持ってるわけ?
「これ、使いな」
銀製のボディが鈍い光を放つ、少し大ぶりの銃を、沙紀ちゃんの目の前の床にカランと落とした。
「デザートイーグル50AE。マグナム弾仕様で口径の大きい銃だから、反動がすごいよ。小さめの銃は、今ちょうど切らしててね、ゴメン」
「何よ、これで私に撃て、ってこと……?」
沙紀ちゃんはペタリと床に座り込んだまま、恨めしそうな顔で遠藤刑事を見上げた。
「そうよ。だってあなたにしか倒せないんですもん。私も一緒に構えてあげるから——」
拳銃を拾い上げ、自発的に動けないでいる沙紀ちゃんの手に握らせた。
「……安全装置はここ。今外すよ? 怪物が来たら、トリガーをしぼるタイミングは私が指示する。銃口の向きも私が支えて調節するから、アンタはただ撃つことだけ考えたらいい」
「ヒィィヒィィヒィィヒィィ」
沙紀ちゃんの肩が、小刻みに上下し始めた。私には彼女が、いわゆる「過呼吸」という状態に見えた。この子は大丈夫だろうか? ここ一番の勇気を出し、限界をブレイクスルーできるだろうか?
「私も、ついてるよ」
歩美ちゃんが、遠藤刑事とは反対側から、沙紀ちゃんの肩を抱き、支える体勢に入った。
「あ、歩美……」
意識が飛びかけていた沙紀ちゃんの過呼吸が収まった。歩美ちゃんの声が、沙紀ちゃんの正気を取り戻した。
「私、死ぬのはもちろんイヤだけど、それよりもっとイヤなことがあるの」
拳銃を持ってブルブル震えているだけの沙紀ちゃんの手を握り、ささやくように言った。
「あなたと仲直りしないで、死ぬこと」
「歩美、何であんた……私はアンタをいじめてきたのに……」
「それそれ」
歩美ちゃんはにっこり答えた。
「いじめてる時の沙紀は、私を『篠原』って呼ぶけど、怪物に襲われてから私のことを昔みたいに『歩美』って呼んでくれてるじゃん。いつか、小さい頃みたいに元の友達に戻れるんじゃないか、ってムダかもしれなけどちょっとは期待してたんだ。もしかして、今がその時なんじゃないかって」
「ウッソー、二人は小さい頃からの知り合い……?」
意外な事実が判明して、私は思わず唸った。
「ええ。幼馴染みなんです」
幼馴染み、か。
一瞬、しばらくの間忘れていたクレアのことを思い出したよ。
時に楽しく、時に憎たらしく。もうもとの関係には戻れないかもしれないけど、おそらく私は一生、クレアのことを心から締め出すことはできないだろう。
いくら嫌っても、彼女の存在は私の心で永遠に生き続けるだろう。時に疎ましく、時に懐かしく、彼女のことを折に触れて思い出すことだろう。
私のとめどない思考も、ここで打ち切らざるを得なかった。
ついに、ヤツが来た。
幻獣ケルベロスだ。影法師の言っていた三分が、とうとう過ぎたのだろう。
地面を揺るがすような巨大な獣が駆ける足音。地震かと思えるほどの足元の振動。
線路の向こうから、電線もろとも電柱をなぎ倒しながら、こちらへ向かってくるのが見えた。あの速さなら、ここまで二十秒もかからないだろう。
「沙紀ちゃん、お願い! ここにいるみんなの命を救えるのは、今あなただけなの」
私は、両手に相棒のオリハルコン・ソードを構えた。例え倒すことができなくても、怪物がここへたどり着くまでの時間を遅らすことならばできる。私はホームの屋根に引っかからないように注意して、斜めに高く跳んだ。
マーシレス・トルネード(無慈悲な旋風)
私は剣を持った体を高速で回転させ、十分に練った『気』の塊を作り上げた。そしてそれを、小型の竜巻のようにしてケルベロスに向けて解き放った。
小型の竜巻はうなりを上げ、ケルベロスの体を飲み込んだ。ビルの二階ほどの背丈がある怪物ですら、空中に巻き上げた。
即席の竜巻は長くはもたないが、沙紀ちゃんが決意を固める時間稼ぎにはなる。
「ちょっと、アキ! アンタも沙紀ちゃんを後ろから支えなさいっ」
「お、おう」
アキは私の言葉に従って素直に、銃を構える沙紀ちゃんの背中を両手の手のひらで支えた。最初はスカート越しに腰を支えようとしたけど、慌てて手を引っ込めて背中に変えた。彼なりに年頃の女子に触れるのに気を遣ったんだろうけど、まったくヘンなところで純情なんだから。
「沙紀ちゃん、アンタはひとりじゃない。こんなに仲間がいるじゃない」
遠藤刑事が言った。
「私が5を数えたら撃って。十分引きつけるから、引き金を引きさえすれば外れることはないはず。たとえあなたが撃てなくても……私は運命を受け入れる。死んでも、あんたを恨みはしない」
沙紀ちゃんの体は恐怖のせいかガタガタ震えているけど、さっきまでの怯え切ったような目からは一転して、生気が戻ってきていた。
「さて。お前たちお得意の『友情』とか『絆』とやらの力を見せてもらうとするか——」
影法師は参戦せず、腕組みをして傍観の構えだ。ま、やつに高望みはしてない。最初に助けてくれただけでも儲けものだ。
「いくよ。5、4、3」
竜巻の強度が弱まってきた。
体を激しく揺らせて、竜巻の呪縛を解き放ったケルベロスは、咆哮を上げて沙紀ちゃん目がけて突進してきた。
銃(デザートイーグル50AEというらしい)を構えて待つ沙紀・歩美・遠藤刑事・アキの4人はさながら闘牛士のようだ。マントでヒラリとかわすんじゃなく、目の前で仕留めないといけないけど。
「2、1……」
さっきまでは、いじめっ子といじめられっ子、そして赤の他人という関係でしかなかった四人が、心をひとつに合わせている。
『気』というような、目に見えない不確かなものが分かる私だから言える。この四人は今、魂の波長が合うことですさまじいエネルギーの共鳴現象を起こしている。
これで私ははっきり確信した。ケルベロスの敗北を。
四人が構える銃口が、今まさにケルベロスを絶好の射程に捉えた。
~episode 8に続く~
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