前編第六章『青と赤』

episode 1 仁藤絢音

 早いもので、私が自分の『青い眼』に驚愕してから、一週間が経った。



 最初のあの夜は、本当にどうしようかと思った。

 私にそれを指摘した弟は、「私が小遣いを貯めて買った色付きコンタクトでオシャレをしている」と思い込んでくれている。私は視力がいいことも運動神経と並ぶ取り柄のひとつで、視力検査で両眼ともに今まで2.0を下ったことはない。そんな私がコンタクトをしていることを、弟はヘンだと思ってないようだ。

 誤解してくれるのは助かるが、伊達眼鏡ならぬ『伊達コンタクト』なんてあるの? 私はそんなことゼンゼン知らないんだけど。

 あったとして、普段色気のない私が急にそんなものしだしたら、不自然極まりないと思う。



 影男との戦いの夜は、弟に見られただけで両親には遭わずに済んだ。

 シャワーを浴びた後、すぐさま自室に飛び込んで布団に飛び込んで明かりを消した。ドア越しに母が「こんな早い時間に寝るなんて、珍しいわね。どうしたの?」と聞いてきた。

「うん。ちょっと熱っぽくて……風邪ひいたかも」

 それを聞いた母は、目を丸くしていた。

「へぇ、この元気のかたまりみたいな子が、カゼねぇ! 一体何年ぶりかしらね?」

 まぁお大事に、と言い残し部屋までは入って来ず引き返していった。

 ……仮病だけど、これがホントにカゼだったとしたら十年ぶりです! 小学校1年の時。私が記憶する限り、カゼなどというものにかかった覚えがあるのはその一度だけ。



 次の日の朝、母は「念のため体温を計っとけ」と言ってきた。おとなしく計っておいたが、もちろん熱などあろうはずもなく。体温計は平熱だということを表す、いかにもな代表的数字である『36・5』度を表示した。

 母は、ただ「まぁ、治りの早いことで」と言ったきり、もうその話題に触れてくることはなかった。



 学校では、嫌でもクレアと会う。同じクラスだから。

 まずお互い近寄ることもなく、休み時間に話すこともない。

 でも少しは気になるのも確かなので、無視はしつつ時々目の端でこっそり観察をしていて、ひとつ分かったことがあった。

 彼女が何か、重大なことで悩んでいるか、考えるかをしている、ということ。

 昨日までのクレアは、私のことを気にしながらも、なかなか話しかけられないという感じだった。それが今日は、私の方などまったく気にすることもなく心ここにあらず、といった様子だ。

 ……ということは、私との仲など気にするよりももっと大きな「問題」が新たに持ち上がった、ということだと思う。

 ま、私はクレアがどんな問題を抱えようが、知ったことではないけど。私は私で、自分の力で目の前の問題にぶつかっていくだけ。力を合わせて乗り越えようとか、なぜかちっともそういう気にはならなかった。



 実は朝、私は鏡の前である発見をした。

 起きてすぐ、自分が青い目のままかどうかを確認した。鏡を覗き込んだ私は絶望しかかった。やっぱり青い目のままだったからだ。

 家族に何と説明するのか。そのまま学校へ行ったりしたら、どんな反応をされるか。何か、生活上面倒なことにならないか……

 そう考えると、やっぱり元の目の色に戻ってほしかった。コンタクトだと言い張るのにも限界があるし、学校だと「じゃあ外しなさい」と言われるに決まっている。そうなったら、打つ手なしだ。

 無理だと分かっていても何とかしたいあまり、私は鏡の自分に向かって「目よ、元に戻れ!」と念じてみたり、口に出して言ってみたり、色々試してみた。もちろん、そんなことをしても最初は何も起きなかったが、試行錯誤のある時点で、いきなり目の青色が消えた。



 ……えっ、一体何したから消えたんだろ?



 記憶する限り、直前に私がしたことと言えば「お腹に力を入れた」という行動だ。

 ちょうど、へそ下の『丹田(たんでん)』と言われるあたりだ。東洋医学や気功、座禅などの世界で使われる言葉で、非常に重要な部分らしい。スポーツをやる上でも結構重要で、私も個人的に「丹田」を意識はしている。



 で、その後面白いことが分かった。

 もう一度、丹田と思われる辺りに力を込め、そこにエネルギーが満ちるようなイメージをしてみると、目の青が戻った。また繰り返すと、消えた。

 私は、朝食のテーブルにつく前には、自分の目の色をコントロールする術を完全にマスターしていた。もちろん、家族に顔を見られる前には青でないことを確認してね。



 そうなると、次に関心が行くのは……「じゃあ目の青い状態の時は、普通の時と自分がどう違うのか」のである。

 いつもなら、お昼食べたあとの休み時間は部活の友達とつるんで騒ぐんだけど(一週間前までは、相手はクレアばっかりだった)、その日はさりげなく一人になって、体育館の裏へ行った。

 そこは学校の塀と体育館の壁に挟まれた、雑草が生えている以外何もないスペースだ。よっぽどの用事でもないと、こんな隙間に誰も来ない。



 私は、不審者のようにキョロキョロと周囲を見回した。

 誰もいない。塀は高いので、外の通行人からもこちらは見えない。

「よし」

 朝やってみたように、私は両足を少し開いて、丹田に力を入れてみた。

 制服のブレザーのポケットから手鏡を取り出し、覗き見る。やはり、目の色は青に変化していた。

「さて、何が変わったやら」

 深く考えもせず、私はその場でジャンプしてみた。



「ちょちょちょちょ」

 心臓が凍り付くかと思った。私の体は、体育館の天井の高さを超えて、空中に踊っていた。はるか下に、私がさっき立っていたであろう体育館裏の路地が、鉛筆のような細さに見える。

 この時怖かったのは、この高さから落ちて、無事に着地できるのか、ということ。物理は苦手だけど、この高さから普通に重力で落下したとして、私の足が地面に着いた時に受ける衝撃に耐え切れないことは何となく想像できる。



 だけど、そんな心配は無用だった。

 常識的にモノが落下する速度を無視するかのごとく、私の体は羽根でも生えているかのようにフワリ、とゆっくり下に降りていった。

 一応は女の子らしく、スカートの裾は押さえた。いくら色気ない私でも、丸見えはやはり抵抗がある。

 ストン、ともとの地面に足が着いた時、まったくと言っていいほど足に負担がかからなかった。無重力で、例えば月面なんかで高くジャンプして着地したらこんな感じなのかな?と思った。



 無事だったという安心感のあとに襲ってきたのは、今のを誰かに見られていなかったか?という心配だった。見られてないことを願おう。最悪見られたとしても、その人には「目の錯覚」「疲れのせい」だと思ってほしいもんだ。

 この時はそれ以上の実験をする気にはならず、まっすぐ教室へ帰って午後の授業を受けた。放課後まで、校内で「ヘンなものを見た」とかいう噂はまったく聞こえて来なかったので、まずはひと安心した。

 部活をして帰宅が遅くなったが、最後の最後までおかしなものを見たという話は誰からも聞かなかった。

 とりあえず分かったことは、目が青いうちは普段とは違う能力が使えるようだということ。驚くべき跳躍力が備わるのはひとつ分かったが、その他はおいおい試して確認する必要がある。もちろん、誰にも見られてはダメだ。



 私は、その日の昼休みの空へのジャンプは、もう誰にも見られずに済んだものと信じて安心しきっていたが、それが実は甘かったことを後日知ることになる。





  ~episode 2へ続く~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る