episode 6 クレア

「そんな……」

 私はつい一週間ほど前まで、生まれた時親がいなくて里子に出された、という点以外はどこにでもいる普通の高校生だった。けど、もうそれが何だかずいぶん昔のことのような気がしだしていた。



「もう、時間がありません」

 厳しい声で吉岡のおばさんはそう言った。いや、もうアークメイジ・アレッシアと呼ぶべきか。おばさんの長い長い独白を聞いているうちに、もう夜の9時になっていたが、まったく時間の感覚が分からなくなっていた。

「あなたがた二人を、明日から訓練します。これからも、影法師はあきらめず襲撃してきます。今は逃げるのが精一杯でも、一日でも早く対等に戦えるように強くなる必要があります。幸い、あなたたち双子にはその資質が十分にあります。だから、あとは努力するかしないかだけです」

 もちろん、リリスと私に異存があろうはずもなく、私たちは頑張ります、と言うしかなかった。いくらバカな私でも、ここで「イヤです」とダダをこねても仕方がないことは分かっていた。

 敵は、こちらの事情とは関係なく襲い来る。死にたくなかったら、戦うしかない。戦って死にたくなかったら、次の襲撃までに一時間でも多く特訓を積むしかない。



 二人で家に帰り着くと、良枝ママが出迎えてくれた。ママも一応の事情をもう知っているみたいで、遅くなったことを怒ることはなかった。

「……色々考えたいこともあると思うけど、疲れているでしょうから今日はもうお休みなさいな」

 私たちはママの気遣いに感謝し、手早くシャワーだけ浴びて素直にベッドに入った。窓のカーテンは閉めず、向かいの建物の隙間からかろうじて見える月を眺めていた。

 体はものすごく疲れているのに、寝付けない。

 意識の中がキンキン冷えたように研ぎ澄まされていて、次々に考え事が浮かんでくる。これじゃ、良枝ママのアドバイスを生かせそうにない。きっと、隣の部屋のリリスも同じなんじゃないかな。



 本当に、信じられないような話だった。いや、ここまで来たらもう信じるしかないけど。

 私とリリスが、遠い宇宙にある『炎羅国』という星の王女として生まれていたなんて。それがある時、『黒の帝国』という星に攻め込まれ、何とか私たち双子は逃げおおせた——

 機転を利かせてとっさに私らを逃がしてくれたのが、吉岡のおばさん。私たちの家庭教師のようなものになるはずだった人。先に私たちを脱出艇で逃がし、そのあとで自身も脱出に成功したと聞いた。 

 この地球に流れ着いた時、私たちとおばさんは全然別の場所に着いたみたいで、おばさんは十五年も私たちを探したんですって。で、やっと去年、日本のこの地で、私たちと出会った。最初はただ近所で仲が良かっただけだけど、もしやこの子たちじゃ?と疑いだしたのはつい最近だったんですって。



 私たち王女を無事に保護し、一人前に育てていつの日か正当な王位継承者として擁立し、黒の帝国から母国を奪還し炎羅国を再興するのが、アレッシアの悲願なのだと聞かされた。

 それを達成する上でもっとも障害となる敵国の『黒のリディア』という女王のことを、おばさんは恐れていた。

 執念深いから、遠い星へ逃げたから諦めるとかそういうタイプじゃないと分かっていたから、女王側よりも早く私たちを見つけないと危ないと思って、起きてる時間のほぼすべてを王女探しに捧げていたそうだ。

「影法師は、リディアに雇われて差し向けられた追っ手です。あなたがたから聞いた情報も加味すると、どうやらもう一人、別の敵もいるようですね。それならなおのこと、一刻の猶予もなりません。明日からクレアとリリス、一日交替で順番にうちに来なさい」

「どうして、一人ずつ一日交替なんですか? 二人一緒に毎日訓練とかのほうがよかったりしないんですか?」



「あなたたち二人は、才能のタイプがまったく違うのです。だから訓練メニューがまったく違ってきます」

 吉岡のおばさんは首を振りながら、姉妹そろってで同時に特訓を受けられない理由を説明した。

「クレア、あなたには体術……つまりは体を使った戦い方を教えます。主に剣術ですが、少しだけ魔術も教えます。『付呪(ふじゅ)』といって、使用する武器の刃に、ただ相手を斬るだけでなく炎上・感電・凍結・与毒などの効果を状況に応じて宿すことができ、より多くのダメージを与える魔技です。

 それとは違ってリリス、あなたは体を使った戦い方は向かない。その代わり、弱い体を補って余りある潜在的精神エネルギーがあなたにはある。だから、莫大な精霊エネルギーを扱って一気に敵を畳みかける魔術の大技を教え込んでいきます。

 簡単に言えば、クレアには剣士としての、リリスには魔法使いとしての戦い方をしてもらうわけです。自分の訓練のない日は、前回学んだことを復習する時間にあてなさい。そうでないと、覚えることが多すぎるでしょうから」

 吉岡さんは、さすがにもう「仲良しのご近所さん」モードをとっくにやめた雰囲気だ。私らを呼ぶ時にもうちゃん付けせず、呼び捨てになっている。



「ああ、ひとつだけ言っておかないと。リリスの訓練は全部私がやりますが、クレアの特訓だけは、私ではムリです。魔法は教えられても、剣術は教えられません。それでは、クレアの剣の先生になる者を紹介しましょう」

 おばさんが右手を挙げると、突然部屋の天井に雲のような煙った気体が現れた。その中から、一匹の蛇が躍り出た。羽根もないくせに、空中をクネクネ自在に飛んでいる。

 ちょっと前の私ならこの状況に腰を抜かすところだが、もう今では空飛ぶ蛇が出てきても別に驚かない。この蛇は飛ぶだけじゃなく、人語もしゃべりだした。

「コイツか、オレ様が特訓してやらなきゃならんガキは。ああ、また弱そうなヤツだなぁ。こりゃかなりしごいてやらないと」

 影法師とかいう敵(勝手に影男って呼んでたけど)の相手になるには弱すぎることは認めるけど、初対面のヘビにこういう言われ方するとなんかムカツク。

 それでも一応、おばさんの手前空気を読んで「よろしくお願いします」とおとなしく頭を下げておいた。師弟の立場上、ケンカしてもこっちが不利だ。

「いい心がけだ。まぁ、オレ様の言う通りやれば、影法師くらいには勝てるようになるさ。まぁ、その前にお前が音を上げなければ、だけどな!」

 つくづく腹立つ言い方をする蛇だ。だったら、あんた代わりに戦ってくれない?と言いかけたが黙っておいた。

「今夜はよく寝ておけよ。睡眠不足で、オレ様のしごきには耐えられんからな。そん時は、思いっきり笑ってやるからな」

 あの蛇の腹立つ一言を思い出して。私は意地でも寝ようと思った。ゼッタイ、あんなヤツに負けるもんか!

 普通、寝よう寝ようと思うほど眠れなくなるものらしいが、ようやく眠れそうな感じになった。それほど、私の負けん気はすごいのだろうな。



 眠りに落ちる前に、ひとつだけ考えごとをした。

 吉岡さんによると、あの蛇の名前は『ヴァイスリッター』というらしい。

 人間でもなく、神さまとかでもなく、妖怪や幽霊でも怪物でもなく『精霊』だとおばさんは言っていたが、そう言われても何だかピンと来ない。

 精霊って、妖精に近いんだろうか。イメージとしてはピーターパンに出てくる『ティンカーベル』みたいなもの? あの蛇に、そんな可愛げがあればよかったのに。

 童話には、「風の精」とか「水の精」「火の精」とか出てくるけど、あの蛇も「何か」の精なんだろうか?



 そこまで考えて、私の顕在意識はブラックアウトした。




 ~第六章に続く~

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