episode 3 中畑先生
雲が切れて、眼下に豆粒のような民家の集まりが見えた。
飛行機は、間もなく着陸する。
シートベルトをお締めください、というアナウンスが英語とあと良く分からない数か国語で流れた。中東の言葉は、僕にはまったくもって理解できない。
決してお気楽な観光旅行ではない。それどころか、これから降り立つ先は治安が良いとは言えない。世界的な宗教であるキリスト教の発祥地、さらにはイエス・キリストが生きて活動したその場所が日本より危険だというのも、何とも皮肉である。
ここイスラエルまでは日本からの直行便などなく、飛行機を二回乗り換える必要があった。
飛行機を降りた後はさらにレンタカーを借りて、目的地まで数百キロを激走しないといけない。
もしや我々には当たり前の「カーナビ」がこちらにはないかもと心配したが、立派に付いていると聞いた。もちろん画面も操作もすべて言語は英語だそうだが、大丈夫。物理担当とはいえ、腐っても高校教師だ。多少の英語は操れる。
目的地は、メギド。イスラエルにある丘の名前。
古代より幾多の戦いの舞台となり、現代では遺跡群となっている。
学校には、二週間分の休暇願を出してこちらに飛んできた。なぜよりによってこんな場所に旅行に来たのかというと、観光などではなく調査のためだ。
お人好しな僕は、お気に入りの生徒の役に立ちたいがために、本業もそっちのけでやってきた。クレアという教え子の女子生徒のために。
いやいや、こういう言い方では誤解を受けるな! 断じて、僕にはおかしな下心などない。断じてロリコンなどではない。本当にただの師弟関係だけだ。
僕は生徒に人気のある教師ではない。でも、クレア君とだけは気が合い、話も弾んだ。ナルニア国物語や指輪物語など、ファンタジー文学が好きだという点でも意気投合している。
そんな彼女がある日、相談事をしてきた。彼女ならではのいつもの明るさと元気良さがすっかりなりを潜めていて、思い詰めた表情をしていた。
クレア君の話は、最初彼女なりに書いたファンタジー小説を披露してくれているのかと思ってしまうほど、摩訶不思議であった。にわかには信じ難い内容だった。
確かに空想の話は大好物だが、「それが現実にある」となると、そこは話が別だ。私も一応『科学者』のはしくれである。いかにファンタジー好きでも、基本的に僕は現実主義者である。
地球上のものではない武器と身体能力。魔法か超能力か、判別に困る特殊能力。それだけでも、普通なら信じられる話ではない。
でも、あり得ない存在の証明という難しい部分を除けば、作り話にしては実に筋が通っている。よっぽど高度で緻密な思考の持ち主でもなければ、即興で考えつける作り話ではない。
……あ、クレア君がそんな秀才ではない、と言わねばならないのはちと心苦しいが。
だから、クレア君に僕が抱いている信頼感と、お話自体の整合性や合理性などを鑑みた結果、ぼくは「クレア君はウソをついていない」という結論に達した。
一度そう納得すれば、行動が早いのが僕のいい所だ。自画自賛ですまないが。
僕は、ファンタジー好きとしての勘から、クレア君の言っていた『メギド』という言葉がキーワードなのでは、とピンときた。
もっと、情報を集める必要がある。メギドに関しては、日本に居ながら百科事典を読んだり、ネットで調べたりして得られる情報など圧倒的に少ない。
大げさに聞こえるかもしれないが、これは現地へ飛ぶのが一番だ。
僕は社交的な人物ほど友達は多くない。でも、学術分野やファンタジー小説愛好家の間でだけは、誰にも負けない人脈がある。僕は早速それを利用して、メギドという地に住んでいる親戚がいる友人がいることが分かり、紹介してもらった。
一応は観光目的と、聖書関連の古代遺跡の研究が趣味なのだということで、滞在中の宿と多少の道案内に関してお世話になることとなった。
その約束が取れてから、メギドへ旅行する手はずを整えた。こういう時は、何を言われようと溜まった有給休暇を使ってやるのだ。
そこまで実際に行動して、気付いた。そんなことをしてメギドへ行ったところで、クレア君の秘密を解くカギがつかめる保証はどこにもない、ということに。
しかも僕の行動は、クレア君と相談した上で、本人に頼まれて行くわけでもなんでもなく、僕の勝手な独断による、単独行動だ。これといった手がかりもなく、ただ「メギド」という言葉だけでそこへ行こうとしてるにすぎず、そこで具体的にどうするかなどまったく見通しが立っていない。
理屈屋で、利益があると確信できないと動かないこの僕が…? 改めて、理論などというものを超えた人と人との間に生じる『情』の力のすごさを感じた。この僕が、情であてずっぽうに動くなんてね!
でも、それだけじゃない。ムシの知らせ、というのも僕が好きではない言葉だが、この場合はそう言うしかない。何か、大きな運命の歯車が動いていて、自分はそこに行かねば、という説明できないチカラに動かされている……そんな感じもするのだ。
とにかく、メギドへ行きさえすればきっと何かある、というおかしな確信のようなものが僕を動かしていた。
空港を降りると、ラジニという現地人のおじさんが僕を待っていた。
言うまでもなく、友人から紹介されお世話になることになった人物である。
「オオ、中畑サン。コッチコッチ」
僕の顔を知らないはずなのに、入国ロビーを出た瞬間に声をかけてきた。よく考えたら、こちらの顔など知らなくても日本人の旅行者など珍しい中、それらしいのに声をかければまず人違いしないだろうな、と思い至った。
言葉の心配は、さほど必要なかった。日本の友人の繋がりなだけあって、ラジニさんは日本という国とは浅からぬ縁があるようで、難しい話はムリでも日常会話程度なら日本語もオッケーらしい。
「どうも。お世話になります」
僕はとりあえずラジニさんに荷物を預けて、旅行中自分の足となるジープをレンタカーで借りた。それに乗って、ラジニさんの車の後ろをついて行き、とりあえず旅行中は厄介なる宿、つまりラジニさんのお宅の場所を確認した。
「ご案内いただこうかとも考えたのですが、まずは一人で見ておきたくて」
ラジニさんとメールでやり取りする中で、「良かったら行きたい場所を案内しましょうか?」とご提案いただいていた。せっかくのご厚意なのだが、やはり問題が問題なだけに、とりあえずは自分一人で見、そして考えたかった。
「分かりマシタ。じゃあ、お帰りは夜になりマスナ。その時は、ディナーをご一緒シマショウ」
ラジニさん宅からメギドの遺跡群までは、片道百五十キロある。日本でそう聞けば遠く感じるが、その間に信号も少なく、道もひたすらまっすぐで空いていることを考えたら、半日で往復できない距離ではない。
「……ここか」
砂と岩だらけ。時折巻き上がる土煙がうっとうしい。こりゃ、マスク必須だな。
それが、メギドの遺跡群に足を踏み入れた時の感想である。
特に、何かの造形が美しいとか荘厳だとか、そういう見どころがあるわけではない。ただ武骨な岩肌と、かろうじて何かの建物だったらしい壁や柱の名残があるだけで、他には何も見るべきものもない。まさに「岩の廃墟」だ。
そりゃ、観光としては人気がないはずだ。オカルト好きや聖書研究家でもないと、来たいとは思えないだろう。
このメギドでは、古代の昔多くの戦いの戦場となり、多くの命が失われてきた。
もうその名残など目には見えないが、何かその場の空気の重みのようなものが感じられ、多少背筋がゾッとした。
でも別に幽霊が出て来るわけでも怪奇現象が起きるわけでもなく、三十分も歩き回ればもう見るべき場所もなくなり、これで終わりかと途方に暮れた。
……思いつきと勢いだけで出てきたのが、バカみたいだったかな?
きっと何かある、と思ったんだけどな。
いや、最初から頭では分かっていたじゃないか。行ったからって、何か分かる可能性は低いって。でも、久しぶりに確率とか現実的可能性とか、そんなものを越えた何かに賭けてみたい、って思ったんだから仕方がない。
まぁ、言ってみればこれは「男のロマン」みたいなものでさ。成果よりも、「ロマンを追うこと」そのものに意義があるのさ。
そう自分を納得させながら、僕は車を走らせた。今から平均時速六十キロ以上をキープできれば、夕食時には十分にラジニさんの家に着ける。
メギドでの滞在はあと一週間と少し残ってはいるが、居ても意味があるのかと懐疑的になってきた。この先、何かつかめるとも思えない。
ラジニさんは実に気さくで、愉快な人物だ。
メギド遺跡を見ても何も有用な情報を得られず、ネガティブな気持ちになっていた僕だが、夕食をいただいているだけで嫌な気分が吹き飛んだ。
彼は実に話題が豊富で、会話のセンスも抜群だった。その辺の下手な学者連中よりも、本当の意味で「頭がいい」と感じた。
二人のお子さんはもう成人し、独立して遠方に家庭を持っていた。だから僕を迎えてくれたのは、ラジニさんともう25年連れ添っているという奥さん。
お二人とも実に温かい人物で、大学生時代のホームステイ先がここだったら、と思わずにはいられない。あの時は実に愛想のない一家で(自分も人のことを言えないが)、もうホームステイなどこりごりだ、と思ったものだ。
「中畑さん、メギド遺跡はどうデシタカ?」
食後のお茶を用意しながら、奥さんのほうが尋ねてきた。夫婦そろって、日本語ができるらしい。
「ええ、実物は写真で見るよりすごかったです。心を動かされましたよ」
まさか、期待していたような何かがつかめずガッカリでした、などと本当のことを言うわけにもいかず…ここは無難な答えをしておいた。
すると、ソファーに深く身を沈めてリラックスしていたラジニさんが、口を開いた。
「もっとメギドのことで色々知りたいのでしタラ、近所に名物のばあさんがいまスヨ。メギドじゃずいぶん昔から先祖代々住み続けている家系デ、観光や表向きに出ているような情報では分からないこと、いっぱい知ってますカラ」
「そうですか。じゃあ一度話を聞いてみたいですね」
それで明日、二人でそのおばあさんの家を訪問することになった。
その時にはまさか、あのような衝撃的な情報をつかめるとは思っていなかった。
「ようこそ、いらっしゃいました。さぁ、中へどうぞ」
顔に深いしわのきざまれた老婆が、僕らを迎え入れてくれた。結構な名家らしく、家もそれなりの豪邸である。
なぜか日本人としゃべっているのかと思えるほど、日本語が上手だった。いや、上手というレベルを超えて、日本語が母国語なのかと思えるくらい。
老婆はラキアさんという名だったが、若い頃はさぞ美人だったろうと思われた。
一瞬、誰かに似てるなぁ…と思ったけど、その誰かがすぐに思いだせない。
まぁ、そんな思考に集中しているのも失礼なので、意識の焦点を目の前の状況に戻した。
「お茶を用意してまいりますので、しばらくこちらの部屋でお待ちください」
案内された部屋は応接間らしく、ソファーとほどよい高さのテーブルが置かれていた。ラジニさんは勝手知ったる親友の家、のような感じですでにくつろいでいる。
「まぁ、すごい量の本ですね」
壁一面が書架になっており、天井高くまで本がギッシリ。高いところの本を取るための脚立まで置いてあった。
「ああ、全部ヘブライ語かギリシャ語だヨ。時々古代アラム語のとか」
それを聞いて、手に取って見るのをやめた。英語は読めるのに、役に立たないとは悲しい。
ラキアさんが戻るまでソファーで落ち着こうか、と思って腰を下ろしかけた時。
「…………!」
僕の目は、飾り棚の上に置かれた写真立てに釘付けになった。
「ちょっとラジニさん。この写真は、誰を撮ったものですか…?」
「はい?ああ、そりゃラキアさんの若い頃の写真ダヨ。確か、二十歳頃の結婚式直後のモンだと思いマス」
その写真は、かろうじてカラー写真だったが、実に古そうなものだった。その横には一目で白黒写真と分かるものが飾られていたが、それも僕を驚かせた。
「こ、これもお顔がそっくりですが、やっぱりラキアさんを撮ったものですか?」
「いんや。似ておるんで皆びっくりするけどモ、そりゃラキアのおばあちゃんの写真なんジャ。当時は写真なんぞ、身分の高いモンしか撮れんかッタ。だから、この頃の写真は希少で文化的にも価値あるモンだから、博物館に寄贈セイ!と言われたことがあるトカ……でも、家族の大事な思い出の品だから譲れん、言うて頑張っタラ、もう何も言うてこんようになったらしいガ」
ラキアさんの若い頃の写真は、クレア君そっくりだった。
それだけでも驚きなのに、そのおばあちゃんに当たる方のモノクロ写真まで、やっぱりクレア君の顔だった。いったいいつ撮影されたものか…?と裏を見たら——
『1892・4・24』
メギドと私は何か関係がある、と言ったクレア君。
そして、若い頃がクレア君そっくりなメギド在住のラキアさん、そしてやはりクレア君にそっくりなラキアさんのおばあさん。もう1世紀以上も前に生きた人。
この事実を、一体どう考えればいいのだろうか?
~episode 4へ続く~
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