前編第五章『魔を狩る者たち』

episode 1 仁藤絢音

 学校から帰ってから、部屋で宿題などしようと机に向かっているけど、ちっとも身が入らない。



 ここ数日間、生きた心地がしていない。

 私は、何の死ぬような苦労もくぐり抜けてきていない、ごくごく普通の高校生。

 この日本では、まれに交通事故や特別な病気にかかるとか犯罪に巻き込まれるとか、そういうことでもない限り子どもは基本的に命の心配などしなくていいでしょ? 安全が「当たり前」であるかのように思っている子どもがほとんどだろうし。

 私も、得体の知れない「敵」に襲われるまではそうだった。



 明らかに、普通の人間じゃない何かに襲われた。

 武器も、知る限り地球にあるとは思えないモノ。

 いくら同年代の子の中では運動神経がいいとは言っても、今まだ生きているのが不思議なくらい。途中、何か思いもよらない情報を知ることで、敵は戦意を失って帰っていったみたいだけど、その偶然に助けられていなかったら?

 相手が最後まで私たちを倒そうとしていたら……きっと死んでいたと思う。



 私は、言いようのない孤独感を感じていた。

 みんなからはいつも「明るい」とか「悩み無いんじゃない?」とか言われる能天気キャラの私が、そんなものに囚われる日が来るとはね!

 どうやら、その謎の敵が「クレア絡み」なことは分かった。彼女には「襲われる理由」に多少なりとも自覚があるようだったから。

 クレアの口ぶりによると、私はどうやら「巻き込まれただけ」みたい。たまたま、彼女の敵が襲ってきた時に、私が隣に歩いていたというだけのようだ。

 


 私は、クレアが恨めしかった。そんな重大な秘密を抱えているなら、なんで教えてくれなかったの? って。もちろん、仮に事前に教えられていたとしても、普通の高校生に何かできた、ってわけでもないんだけど。

 自分でも、何か筋が通らないと思うし、矛盾してると感じる。聞いたところで何もできないくせに、相談はしてほしかった、教えてほしかったっていう……

 クレアに悪気はなかったとは思うけど、理性は「ゆるしてあげてもいいのでは」と提案してくるのだけど……説明のつかない、どうしても抗えない感情がそれをゆるさない。

 私は、難しく考えたり正しくてもしんどい選択をするには神経が参り過ぎていたので、楽なほうを選ぶことにした。そう、「ゆるさない」というほうを。



 クレアと一緒に登下校しない日が三日も続いたことなどなかったから、違和感がある。彼女の方でも、何か言いたそうにはしているが、私を気遣ってか自分から寄っては来ない。

 それでいい、今の私には何を言ってくれてもきっと言い訳にしか聞こえないから。

 襲われたその当日の夜は、日常体験することもない「命の危険」にさらされ、食事ものどを通らなかった。両親には心配され、弟には「もしかして男にフラれたのか?」と冷やかされた。

 今だから言える。フラれることだったら百倍マシだったって。

 人間、生きてこそだ。フラれても死なないけど、殺されたらそれで終わりだから。

 でも人間不思議なもので、ひどい経験をしても二日も経てば部活も普通にできるし、お腹もすく。いや、人間がどうというより、もしかして私が特別図太くできているということなの?



 だから、突然部屋の窓の外に殺気を感じても、ああ来るものが来たか、くらいにしか感じなかった。自分でも説明がつかないくらい、冷静だった。

 私は、即座に玄関へ行き、靴を履いて表へ飛び出た。ぐずぐず部屋にいて、敵に部屋に乗り込まれでもしたら家族が巻き込まれるかもしれない。それを避ける意味でも、こちらから外へ出向くべきだろう。

 私が最後に家族にしてやれる気遣いは、それくらいだ。



 4月半ばの夜は夏にはまだ遠く、空気がひんやりとして少し寒い。でも、今の私は肌にその寒さを感じるほどの余裕はなかった。

 確かに落ち着きは欠いていたけど、命がかかっているという点で全神経を尖らせてはいたから…そんな私の鋭敏な観察眼からは、何人であっても逃れることはできない。たとえそれが異星人であろうと——



「……私が来たことが、よく分かったな」

 もう夕闇と呼ぶには限りなく藍色に近い夜の色になっていた街路の前方十メートルほどの距離に、あの男がいた。前回の時のように煙のような影はまとっておらず、最初からちゃんと人と分かる姿で現れた。

 宇宙人が、人間に近い姿をしているという発想は地球人の勝手な先入観だろうけど、偶然なのかこの場合は当たっていた。不思議な武器を使うという点、人間ではあり得ない身体能力をもつという点以外、私たちと変わりなかった。

 落ち着いて考えたら、言語まで通じているという点が不思議だった。相手は「宇宙語」を話すわけでもなく、日本語を話している。



 私は、クレアが「影男」と呼んでいたその相手に何か答えようと思ったが、むこうはもうこちらの返答などどうでもいいらしく、すぐさま何か投げつけてきた。

 あれだ、ブーメランもどきの武器。確か『リーパー』とか言ったっけ。

 独特の円弧を描いて、斜め左上から私を襲ってきたが、刃物の軌道をだいたい読んで私は身をかわした。前回数度技を受けた経験のお蔭で、今回はまだ余裕をもって回避できた。

「……なぜ、死なん。我が星でもこれを避けて生き延びた者は少ない。ましてや、地球人は我々よりも身体能力の劣る種族だというのに——」



 私は、影男が一体何の目的で私一人を狙ってきたのかを考えた。

 人違いであり、クレアとたまたま一緒にいて巻き添えを食っただけなら、もう私は関係ないはず。だから考えられるのは、無関係とはいえ存在を知られてしまった以上、口封じのために殺しに来た、ということ?

 でも、どうやら理由はそれだけじゃないみたい。



「確かめさせてもらおう」

 影男はリーパーを引っ込め、今度は剣のようなものを抜いた。

 確かめるって…何を?

 その刃先は、にぶい赤色の光を放っていた。ちょうど、スターウォーズっていう映画に出てくる『ライトセーバー』をもっと暗くしたような感じ。

「参る」

 その言葉とほぼ同時に、目のくらむ速さで相手は私に突進してきた。

 ものすごい前傾姿勢で、並みの人間ならそんなに体を傾けて走ればまず転ぶ。

 影男は剣道で言うと『面』を取りに来た。これが本当の剣道なら穏やかな話なんだけど、こっちは防具をかぶっていない上、相手の剣は竹刀ではなく『真剣』だ。嫌な表現をすると、私の顔を真っ二つにしにきたのだ。



 剣道の経験を生かせば、避けた上で同時に反撃も不可能じゃないけど、今の私は何も武器をもってないし、素手の状態。ここはとにかく、逃げるしかない。

 私は柔道の受け身の要領で路地を転がり、すぐ向かいの空き地に転がり込んだ。

 そこは近々何かを建設予定の空き地で、工事の準備のためか何かの資材が運び込まれていた。その中に、鉄パイプと思われるような棒状の物体があった。

 とっさにそれをつかみ、向こうの第二撃に備えた。 

 幸い、その鉄パイプは細くて軽く、女子高生の私の筋力でも何とか扱えそうだ。

「……また避けたか」

 影男はかかとを軸にして一瞬で向きを変え、剣を振りかぶって横薙ぎに払ってきた。これもえげつなく言うと、「胴体を上下真っ二つにしにきた」。

 鉄パイプで防御することで、この第二撃は防御できた。でも、絶望的な事態が生じた。 

 敵の剣を受けた鉄パイプが、いともあっさり真ん中からスッパリ折れたのだ。

 ソフトクリームのコーンだけを持ってるような頼りなさだった。こんな短いもの、持っていたところで何の役にも立たないので、影男めがけて思いっきり投げつけた。もちろん、そんなものに効き目があるとは期待していない。

 やはりというか、影男は何のダメージもこうむることなく、あり得ない速さでこちらに身を詰めてきた。距離を詰められれば、武器を持たない私は圧倒的に不利になる。



 影男はフェンシングの要領で、真正面から「突き」に来た。技としては単純なので普通なら怖くないが、今の場合その動作が「あり得ないほど速い」。

 一歩読み間違えれば、私は死ぬ。

 決して読み間違えることなどできないが、私はもう疲れた。

 人間離れした暗殺者の技を二度避けただけでも、地球の普通の女子高生としては上出来だと褒めてほしい。でも、三撃目はもうムリ——

 気力も反射神経も限界だった。何より、体中の筋肉が悲鳴を上げていた。

 そんな極限状態の中、私がとった無茶苦茶な行動は、とっさに棒切れを拾い上げたことだった。



 死ぬかどうかの瀬戸際なのに、私は何をしたんだろうと一瞬おかしくなった。

 避けるでも逃げるでもなく、棒切れを拾って構えるなんて。

 どうかしてるよ? 鉄パイプですら真っ二つにする剣なのにさ、木の棒なんて持ったところで、どうするのさ?

 相手が完璧すぎることが幸いした。私の行動があまりにも「あり得ないほどバカバカしい」ものだったお蔭で、影男がひるんだ。動きが止まった。

 ウソだろ? 何てバカなマネを? いや、何かこちらが思ってもないような作戦でもあるのか? 

 そんなふうに問いたげだ。そう顔に書いてある。



 ギリギリの極限状態で、私はアハハと笑いたい気分だった。

 その気分のお蔭か、何だか腹が据わった気がした。私の内側から、説明のつかないチカラがオーラのように、無尽蔵にあふれ出てくる感じ。

 ものの1秒に満たない間の出来事だと思うが、そのチカラが私の腕を伝って、握っている棒にビリビリ伝わった。まるで、「棒を持った私」ではなく、「棒と一体となった私」だった。もう棒を握っているという感覚は失せ、手の皮膚と木との境目ももう分からない。



 目の前に迫った影男の面前で、構えた木の棒が青く光った。

 ブィィィィーンという電子音にも似た音が、空気の振動とともに辺りに響いた。

 驚くことに、私が構えた棒が、影男の突きを横に薙ぎ払った。

 さっきの鉄パイプは敵の剣に触れて真っ二つだったのに、木の棒は攻撃を受け止めて折れなかった。相手の武器と全く対等に、「剣」として機能したのだ。

 勇気が出て欲も出たのか、私は影男に攻撃を加えた。これには自分でも驚いた。

 むこうは予想外の展開に動揺はしていたが、流石に付け焼刃の私の攻撃になど、当たってくれなかった。



「どうやら、ただの『人違い』ではなかったようだ」

 しばし剣を交えた後に影男は、そう言って自分から剣を引っ込めた。

「私、今一体何を……?」

「それを、今命を奪おうとした俺に聞くのか?」

 苦笑しながらも、影男は何だかその状況を楽しんでいるようにも見えた。

「まぁ、いずれ運命自身がお前にすべてを悟らせるだろう。いずれまた会うだろうが、次に出会う時までにはもっと腕を磨いておけよ」

 初めてあいつに会った時のように、影男は大きく跳躍して夜の街に溶け込んでいった。あいつは、最後にこうも言った。

「私に倒される前に、他のヤツに倒されるなよ——」



 影男のいなくなった空き地で、私はしばらく呆然と立ったまま動けなかった。

 でもだんだんいつもの皮膚感覚が戻ってきて、寒さを感じ始めた私は身を縮めて家に入った。服が泥と土だらけな理由を聞かれた時のために、あれこれ言い訳を考える。

 頭の中がグチャグチャで、整理すべき考えは山ほどあるが……

 まずは、お風呂に入らなきゃ。



 風呂場に行くまでに、親とは会わずに済んだが、中学生の弟と廊下ですれ違った。

 服や顔の汚れを突っ込まれるのかと思ったが、弟は意外なことを言った。

「姉ちゃん、オクテだと思っていたけど意外とそうでもないんだね……それ、流行りのコンタクト? 姉ちゃんみたいな運動バカでも、オトコができたらオシャレに目覚めるのか?」

「ちょっと、それどういう意味よ?」

「だって眼が……青いぜ?」



 私は大慌てで洗面所の鏡の前に駆け込んだ。

 それをのぞき込んだ私が見たものは…… 




  ~episode 2へ続く~





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