episode 5 田中良枝

 私はつくづく、幸せ者だと思う。



 一時期、どうしても子どもが授からなかった時期に、女としての自分の運命を呪ったこともあった。私は信心がないので、カミサマなどという存在のことは考えたこともないが、もしそういうものがいるとして、私は感謝したいと思っている。

 クレアとリリスのことだ。

 結婚後子どもが欲しい一心で、それでも願いかなわず、不妊治療にも踏み切って疲れ果てていた時。夫がある日、思いもかけない提案をしてきた。

「仕事でお世話になっている人が、里親になって子どもを引き取ってみたらどうか、と提案してくれたんだがね。いや、私もその発想はなかったよ。いきなりな話ですぐに決められるようなことではないだろうから、じっくり考えてみてくれ」

 優しい夫は、自分のお腹を痛めたのではない他人の子を、自分の子ができないからとはいえ引き取って責任を持つことに、私が抵抗がないかを心配してくれたのだ。長年連れ添っていると、それくらいのことは分かる。



 一週間くらい考えたと思う。

 実は、夫の話を聞いてすぐ、私の心は定まっていた。その後の一週間は、自分の胸の奥底がすぐさま下した結論を、私の自意識が「本当にそれでいいか」を考え続けた時期だった。

 あえて不安要素や最悪の「もしも」を、私なりに色々と想定してみた。もし、子どもが愛せなかったら? 子育てで行き詰った時、我が子ならセーブできるところでも、血のつながりがないことで自分を抑えられなくなることだってないかしら? 虐待やネグレクトに走らない、と絶対言いきれる?

 でも、ムダだった。どんなにリスクのことを考えても、「引き取りたい」という思いのほうがまさった。あと、ムシの知らせのようなものもあった。理屈抜きで「これは来るべくして来た絶好の機会だ」と、私の中の何かが告げていた。



 振り返ると、平凡だった私の人生でこれほどドラマチックだった出来事はない。

 この私が身寄りのない子どもの母親代わりになる、ということだけでも、ものすごい人生の転機だというのに! 縁のあった子どもがなんと普通の日本の子どもではなく外国の子、しかも「双子」だというのには、正直私もビックリした。

 その情報を知って、実際にクレアとリリスが家に届く(この言い方は、宅急便かなにかみたいでヘンかしら)までの待っている時間は、色々な妄想が頭を駆け巡った。

 どんな顔かしら? お母さん初心者に他人の、しかも外国人の子どもの母親なんて本当に務まるかしら? 海外にいたといっても3歳だからそう染まっていないとはいえ、環境が激変するのは大丈夫かしら? こちらのいうことを聞いてくれなかったり、カナダに帰りたがったらどう対応したらいいの——?



 でも二人を見たら、そんな心配はどこかへ吹き飛んでしまった。

 ホントに、かわいい子たち。

 クレアは活発で明るく、社交的。

 リリスは健康面で不安があり、内向的だけどものすごい豊かな情的世界を持っているの。読書や想像力の賜物だと思うけど、あの子が想像の翼をはためかせて物語を語ったら、それはそれは引きこまれるような物語ができるのよ。将来は、小説家になったらいいんじゃないかしら。

 ……アラ、軽々しく小説家なんて。本当になれるのは一握りの人だけなのに、私って親バカね。厳密には親じゃないけど!

 とにかく、この二人の天使たちと一緒に始まった親子生活は、心配した以上に楽しいものだった。リリスのぜんそくのことでは心を痛めた時期もあったけど、それでもみんなで乗り越えて来たその時間は、私の宝物だ。

 ケリーさんには、本当に感謝している。



 我が田中家は、総じて幸せの中にあると言える。

 たった三つの心配事を除いて。あ、今たったじゃないじゃん! って思った?

 みっつ、って多いのかしら? アフリカあたりで、3より上の数は「たくさん」ってことにしちゃうそうじゃない? それならギリギリの線ってこと?

 まぁ、そんなことはこの際どうでもいいわよね……



 ひとつ目。クレアとリリスの姉妹関係ね。

 本人たちは私たち夫婦を心配させまいとしてか、頑張って仲良そうに振る舞ってはいるけど、私だって伊達に二人の母親役をやってきたんじゃない。特殊な生い立ちや立場の違いからくる感情のもつれが二人の間にあることくらい、まるっとお見通し。

 友達の絢音ちゃんからも、色々と情報収集している。彼女からは「私が言ったってことは、内緒ですよ」と重々クギを刺されている。

 当事者の二人にあんまり正攻法で言っても、この問題は解決しないことは分かっている。歯がゆいが、私には見守ることしかできない。



 ふたつ目。お隣に住む吉岡初江よしおかはつえさん、という初老の女性。

 あれは双子が小学4年の時だったかしらね? それまでお隣に住んでいた一家が、ご主人の転勤の都合で引っ越していったあと、一か月もたたないうちに吉岡さんが越して来たと記憶してる。

 一人暮らしのようだけど、独身でずっときたのか、それとも離婚歴があったり、結婚したけど旦那が亡くなったりしたのか……そこは情報がまったくないので、何を想像しても憶測の域を出ない。

 なぜなら、彼女は人付き合いがキライなようで、その手の話を聞けたご近所さんがまったくいないのだ。

 私は初めて吉岡さんをお見かけした時、第一印象で「きれいな歳の取り方をしている」と思った。人嫌いと聞いたけど、私個人ではそれほど偏屈な感じも受けなかった。確かに「きつい性格」を思わせる鋭さが表情に刻まれている感じはしたけど、芯は「優しい」人なんじゃないかな、と思った。

 髪はいわゆる銀髪で、顔だちは日本人なのに鼻だけが外国人みたいに異様に「高い」。ああいうのを鷲鼻、って言うのかしら? 魔法使いのおばあさん、といえばちょうどこんな感じ、っていう。



 見た目はとりあえず好印象だったのだけど、しばらくして色んなうわさがご近所さんから耳に入ってくるようになった。

 仕事は、自営で骨董商をやっているようだ。最寄りの駅近くのビルの一階で、アンティークショップ『灯羅どうら』といういかにもな名前のお店を開いている。

 店の中は、私たちが普段見慣れない不思議なモノであふれている。決して高級そうなアンティークばかりで華やか、というのではなく……ちょっと「怪しい雰囲気」のものも多く、足を踏み入れるのを多少ためらってしまう。

「一見さんお断り」の役割をそのお店の存在自体が見事に果たしている、と言えるかしらね。絵本に出て来る魔法使いのおばあさんの魔法品店、なんてのがあればきっとこんな感じじゃない? っていう。



 で、そのお隣さんがなぜ我が家の心配の種なのかというと——

 クレアとリリスが、なぜかお隣さんと仲がいいのよ。

 これには私だけじゃなく、ご近所さんもビックリ。誰とも付き合わないあの人が、うちの双子とだけはなぜか気が合うようなの。

 あれは、吉岡さんが隣に越してきてからちょうど1年が過ぎた頃だったかしら? 双子が小学校5年生の時ね。ある日、二人の帰りが遅く、夕ご飯時なのにどこほつき歩いてるのかしら? とちょっと心配になった頃……我が家のインターホンが鳴ったの。

 出てみたら、なんと隣の吉岡さんが、クレアとリリスを連れていたの!

「すみません、ウチで遊んでいたんですけど、ついつい時間を忘れてしまって……気付いたら、もうこんな時間でしたの。悪いのは私ですから、どうかこの子たちを叱らないでやってくださいな」

 それが最初で、双子は同年代の子と遊ぶかたわら、たまにこの吉岡さんのところへも行くようになった。吉岡さんの家だけじゃなく、駅の方の怪しい店にも行ってることがあるらしいわ。



 悪い人じゃないとは思うの。

 だから、吉岡さんと付き合うな、とか二人に言う気にはならない。

 それでもねぇ。何と言うのか……あの人何だか「わけあり」な感じがするの。これって、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎ?

 でも私のこの手の勘って、結構当たるのよね!



 三つ目。これが一番深刻なんだけど……一番人に言えない。

 ケリーさんのこと。私たち夫婦に双子姉妹を紹介してくれた。恩人中の恩人。

 昨日、久しぶりにウチに来たの。おいしいケーキもお土産にくださって、クレアもリリスも久しぶりに楽しい時間を過ごせたみたい。だって、ケリーさんったら言うことがいちいち面白いから。

 でもね、私見ちゃったの。

 ケリーさんが「ちょっとお手洗い、行きますネ」と席を立った時があった。

 その数分後、私は紅茶のお代わりを作るのにお湯を取りにいこうと席を立ったのだけど、ふと廊下の奥にケリーさんがいるのが見えたの。

 お手洗いが終わったなら、こっちへ来ればいいのに。そう思って声をかけようとしたら、手にスマホを持っているのが目に入ったから、仕事のメールか電話かが入ったんだろうと、声をかけずにリビングへ戻ろうとしたその時……



 スマホの表面から、人の形をしたものが飛び出したの。

 目をこすってよく見たけど、やっぱり人間だった。

 その姿がうっすら透明がかっている感じから、そこに実際に何かがいるわけじゃなく、SF映画なんかにありそうな「立体映像」なんじゃないかと思った。

 何言ってるか聞き取れなかったけど、どうもその映像と会話をしているようだった。NTTだろうがAUだろうが、スマホにそんな最新技術が備わったなんて聞いてない。立体映像と会話できるなど、今のこの世界では知ってる限りあり得ない。

 国家機密レベルなら、そんな装置を極秘で持っている人がいるかもしれないが、まさかケリーさんが? 表向き食品会社の社長秘書が、実はFBIとかCIAのエージェント、とか?


 

 ケリーさんはどうやら、私が目撃しているとは気付かなかったようで(もし仮に裏の顔が諜報部員なら、どんくさすぎて失格)、その場は無難に終わった。

 で、こういうのって誰に相談すればいいわけ?

 夫に相談しても、一笑に付されそうだし。お前、熱でもあるんじゃないか? って。

 さぁ困った。あんなものさえ目撃しなければ、すべてが平和なままだったのに。



 ケリーさんは、一体何者?




 ~第二章へ続く~

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