episode 4 リリス

「やっほ——、元気にしてた?」

 呼び鈴が鳴った時、家には私以外誰もいなかった。

 私は体調が悪く、パジャマ姿のままだったが、カメラ付きインターホンで相手の姿を確認したら「自分がまだパジャマ姿であることをまったく気にしなくていい人物」だと判明したため、私は着替えもせず抵抗なく玄関のドアを開けた。

「よっ。学校、まだ来れない感じ?」

 客人は仁藤絢音というお姉ちゃんのクラスメイトであり、長年の親友だ。



 お姉ちゃんの同級生、と言っても双子なんだから同い年だ。でも、「姉の親友」というイメージでなぜか絢音ちゃんが年上というか「目上」に見えてしまうのだから、そこは自分でもおかしくなる。

 ちなみに、高校では姉と絢音ちゃんが同じクラスで、私は二人とは別だ。

 その昔、私たち姉妹がまだ3歳の時に、日本の田中さん夫妻のもとへやってきてすぐの頃。姉妹がまだお互い同士以外に遊び相手がなくて、公園でいつも二人であそんでいた。そんな中、やはりその公園によく遊びに来ていて、そのうちに一緒に遊ぶようになったのが絢音ちゃんだ。

 そこからの付き合いだから、クレアと私にとって彼女は共通の「幼馴染み」だということになる。

 幼いころは、三人の互いの心の距離はまったく同じだと言ってよかったけど、小学校低学年の頃から私にぜんそくの気が出てからは、三人で遊ぶ頻度はめっきり減った。結果、二人だけになった絢音ちゃんとクレアの距離がさらに縮まるのはまぁ当然のことだ。誰が悪いわけでもないから、そこに嫉妬しても仕方ない。

 そこに勝手にこだわっているのは私だけで、絢音ちゃんの方では知り合った当時と今までで私との関係はずっと変わってないよ、一緒だよと言う。実際、その通りなんだろう。



 小学校高学年になって、二年という長さで調子の悪い時期があって、退院したら中学生になっていた。もちろん、学校へ行っていない間でも絢音ちゃんはお見舞いに訪れてくれていたので会ってはいた。でも、成長期にあって顔も雰囲気もぐんぐん大人びてきつつある彼女に学校で初めて会った時、思わず「絢音さん」とさん付けで呼んでしまい、大爆笑された。

 何度も指摘され矯正され、数か月でやっと「絢音ちゃん」と呼べるようになったが、実は今でも心の中で彼女は「絢音さん」だ。

 なぜなら、今の私にはハッキリ言って姉よりも心を開ける相手だからだ。



 いったい、いつの頃からこうなったのだろう。

 多分、姉が孤独な妹の相手をするのに「疲れた」頃からだろうか。

 私がせっかくの気遣いにそれなりの感謝で反応しなかったから、燃え尽きたのだろう。姉は私に構わなくなり、それと入れ替わるように絢音ちゃんが時々私の遊び相手兼相談相手となった。

 三人そろうことはない。私が絢音ちゃんといる時、姉は決まっていない。姉と絢音ちゃんが一緒にいる時、私は混ざるのを避ける。

 そんな不思議な、ビミョーな関係がもう何年も続いている。



「休んでいた分のノート、持ってきたよ」

 絢音ちゃんは、バレーボール部の部長のはずだ。だから、忙しいだろうしヒマができても疲れているだろうに。貴重なプライベートをもっと大事なことに使えるだろうに……それでも、こうして私を訪ねてきてくれる。

 なので私の中で彼女は、ある意味姉よりも「姉らしい」存在になりつつあった。

「でも、こうしてノートを持ってくる私よりも、あとから追っかけるリリスのほうが結果として成績優秀なんだから、参るよね! まったく」

 そう言って絢音ちゃんはカラカラ笑う。でも数秒後には私を気遣うような真顔に戻った。その表情の変化のすさまじさは、まるで百面相だ。



「……お姉ちゃんとは、相変わらず?」

 私は無言だった。長年の付き合いである絢音ちゃんには、それが肯定だということが分かっていて、小さく「そっか」とつぶやいた。

「あんたがクレアと仲直りしてくれたら、どんだけいいかと思っちゃうけど……私にはこれ以上口出しする権利もないし。あんたたちを信頼して待つことにするよ」

 紅茶を飲んでしばらく歓談した後、絢音ちゃんは帰っていった。

 別れ際に、彼女は私のか細い体をぎゅっと抱きしめてこう言った。

「それでも、私はリリスのことは大好きだよ。それは変わらない」

 私には、絢音ちゃんが言った「それでも」が何を指すのか分かっていた。分かっていたが、その先を考えようとすると思考停止した。

 考え事が大好きな私が、唯一考え続けることができない厄介な問題。

 私の頭の中で姉の顔が浮かんでは消える。消そうとしても消えず、じゃあ残そうとしたらしたで消えてしまう姉の姿に、モヤモヤとした煩悶の情を持て余し続けた。 




 ~episode 5へ続く~

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