前編第一章『桜咲く季節に』

episode 1 クレア

 風が吹いた。



 まだちょっと寒さが残っているような、それでいてだいぶ暖かくなったことも感じさせてくれるような、4月の晴れあがった空。

 頬に受ける風を感じながら、私はふと過去のある場面を思い出しかけた。なぜかって、その時も記憶が確かなら、桜の花びらが舞っていたから。

「ちょっとクレア、あんた何ボーッとしてんのよ」

 思いっきり背中を叩かれて、私の「回想モード」は強制的に終了させられた。で、結局過去の思い出に浸るどこか、思い出すことすらできずに現実に引き戻されてしまった。

「ん、なになに? もしかして、好きな男子のことでも考えてたんだったりして……?」



 何でこの年頃の子たちは、寄ると触るとそういう話にすぐなるんだろう?

 私が精神年齢が高いとか、周りはガキだとかそういうことを言いたいんじゃない。でも、私はあまりその手の話で盛り上がることができない。でも一応の社交性は持ち合わせているので、そこは卒なく周囲に合わせているけど。

 特に、私や双子の妹のような、ちょっと人とは違う境遇の者にはそれが必要なんだ。純粋だけど、一方で残酷でもある子ども社会で生き抜く極意なんだよ。

 まぁ、考え事を中断されたとはいえ、私の大事な「親友」が相手だしね。ここはひとつ、気を悪くせずスルーして……っと。



「ああ、ちょっと……私が初めて日本のこの街に来た時のことを思い出したんだ。記憶が確かなら、あの時も今みたく桜並木からの花びらがさ、いっぱい風に舞ってたなぁって」

 横に並んで歩く幼馴染かつ親友の仁藤絢音にとうあやねは、まるで私が男子のことを考えてた方が面白かったと言わんばかりに、頬を膨らませて不満をにじませていた。ま、私たち二人の関係は9割が「冗談とじゃれ合い」でできているから、気にもしない。

「そっかぁ。クレアが初めてこの街に来たのが確か3歳の時で、私も同じ年でその時からの付き合いだからねぇ! もうかれこれ十数年以上もたつわけかぁ」

 絢音は、学校の体育の授業で短距離走をやる時以外は、本当にまっすぐ進まない子だ。今も、狭い歩道だからまっすぐ歩けばいいのに、くるっと回転したり私の斜め前に軽やかに跳躍したり、とにかく普通に歩かない。



 ……もう高校二年なんだから、もっと落ち着きをもちなさい!



 そう思ったが、言わなかった。実は中学時代にも言ったことがあって、そしたら「そーゆーアンタだって男子の話とかになるとまったくできないじゃない。アンタももう中学生なんだし、恋バナのひとつでもできるようになさい!」と逆襲された。

 話をすり替えられた気がしないでもなかったけど、そこは突かれると痛いところなので、もう何も言わなかった。その学習をして以来、同年代の他人を「子供っぽい」と思っても、胸にしまっておくだけにした。



「そー言えばさぁ」

 今度はスキップして私の5メートル先まで駆けた絢音がだしぬけにそう言った。

 5メートルも前だよ? で、私の方に顔も向けてないんだよ? なのになんて言ったか聞こえるって、どんだけ声のよく通る人なんよ、絢音は!

「今日、リリスは学校お休み?」

 リリスとは、私の双子の妹だ。

「うん」

「そっか、仕方ないよね……でも最近はずいぶん元気な感じだったからうれしかったんだけどな! ま、帰ったらよろしく言っといて」

 そこでちょうど、私と絢音の家の方向が分かれる十字路に着いたため、別れを告げた。バイバイ、と手を振った絢音は、機敏な身のこなしで踵を返し、つむじ風のように住宅街を駆け抜けていった。

「バレーボールじゃなく、陸上でもいけたんじゃない……?」

 彼女の後姿を見ながら、そんなことを思った。絢音は女子バレーボール部の部長である。バレーひと筋の子なんで他は考えられなかったのだろうが、陸上部が欲しがるほどの短距離走のタイムを体育の授業中に出したりするから、ビックリだ。



 ああ、このあたりで、ちゃんと私のフルネーム言っておかなきゃね。

 私の名は、クレア・アサギリ。郷に入らば郷に……で、日本にいる今は「朝霧クレア」と名乗っている。

 双子の妹は、リリス・ユウナギ。一応日本の流儀に合わせて、やはり夕凪リリスと名乗っている。

 一体なぜ、双子なのに苗字が違うのかって? 名前からすると海外から引っ越して来たのか、って? ……ちょっと待った。

 そういっぺんに質問しないでよ。順番に片付けていきましょ。多少込み入った話なんで、おいおい説明するね。



 おっと、そんなことを言っている間に、家に着いてしまった。

 私が日本でお世話になっている『田中家』だ。結構大きな家で、部屋数は4人ほどの家族二世帯が一緒に住んでも余裕なほどある。なのに、私たち姉妹が来る前は、田中さん夫婦がたった二人で、その広すぎる屋敷に住んでいたんだって。

 私はドアノブをひねり、「ただいまぁ」と玄関の奥に向かって明るい声を出した。

 もしかしたら元気に挨拶することが、私の義務であり使命であるかのように思ってるところがあるのかもしれない。



「おかえりなさい」

 玄関で出迎えてくれたのは、私の母親代わりの田中良枝さん。

 もうね、3歳の頃からのお付き合いだから、今では抵抗なく「ママ」と呼んでいる。良枝さんもそう呼ばれることに喜びを感じるみたいで、私が「ママ」と声をかけるたびに、目を細めてにっこりする。

 身寄りのない私たちを引き取ってくれただけでもありがたくて、田中さん夫婦には感謝しかない。だから、「親子ゲンカ」なるものをした覚えがない。

 でも、色んな友達の話を聞く限り、確かにケンカなんてしないほうがいいのは当然なんだけど、それでもなぜか親子ゲンカを「いいなぁ」って思ってしまう。あこがれちゃう。

 こないだそれを正直にママに言ったら、「じゃあ今度理由決めてやってみる?」なんて茶目っ気たっぷりな顔で言うから、思わず「やっぱよしとく」って断った。



 私は二階の自分の部屋へ行くために、階段を上がる。とりあえず、制服着替えなきゃね。すると私の背中に、一階からママの声が追いかけてきた。

「着替えたら、すぐ降りてきてね。今日は、珍しいお客様が来ているのよ」

 へぇ。いったい誰だろう?

 田中家のご主人の照夫さんは、お仕事が貿易関係だ。複数の大手食品会社の輸入や輸出に関わるお仕事だ、と聞いた。細かいことは、まだガキな私には説明不可。 

 良枝さんをママと呼ぶように、照夫さんのことも「パパ」と呼んでいる。二人そろってとってもいい人だ。そもそも、身寄りのない捨て子だった双子の子どもを引き取ろう、って時点で「いい人確定」なんだけども。

 そんなパパだから、仕事でもプライベートでも来客はしょっちゅうで、別に珍しいことではない。ただ、私も同席しろというケースは珍しいと言えた。私がいても邪魔じゃない来客って、一体……?

 そんな人物は、たったひとりしか考えつかない。



 体調を崩して学校を休んでいたリリスは、下に呼ばれたのかそれとも部屋で休んでいるのかが気になり、向かい側にあるリリスの部屋を覗いてみた。

 ベッドはもぬけの殻で、明かりも消えていて静まり返っていた。きっと、同じように下に呼ばれたんだろう。

 呼ばれて来客と接することができるほどなら、だいぶ良くなったんだろうと安堵した私は、スーパーマンほどではないが高速で着替えを済ませ、ドタドタと階下へ降りた。





 ~episode 2へ続く~

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