チャプター3

「魔法が上手く使えるようになりたい? 別にそんなこと気にしなくたっていいのに」


 あの人はそう言ってくれた。大した力もない弱い俺を、言葉一つで肯定してくれた。


「竜くんは竜くんのままでいいんだよ。他の誰かに成り変われるわけじゃないんだしさ。それに、魔法なんてしょせんお勉強やスポーツなんかとおんなじで、できないからって生きていけないわけじゃないでしょ。だから大丈夫。きっと大丈夫」


 それほど根拠のある言説ではなかったけど、どうしてかあの人が言うと不思議な説得力があった。

 そう言っていたあの人も、俺と同じで魔法が全く使えなかった。それでも魔法に関する知識はずば抜けて長けていた。それはきっとあの人なりに努力してきた結果なんだろう。あの人もいろいろな苦労を重ねてきて今に至ったんだと思うと、あの人のことがとても誇らしく思えた。

 ありがとうございます。そう告げると、あの人は満面の笑みで「どういたしまして」と言ってくれた。



 目が覚めた。俺はソファーの上で横になっていた。ここは自宅のリビングだ。


「お兄!」


 叫ぶ声の方を見やると、めぐり蓮花かあさんがいた。二人とも目を潤ませている。


「お兄ってばまた危ない目に遭うんだから! どうしてそう毎度毎度死にかけるんだよ、バカ!」


 俺の袖を握り締める巡。それに対して「ごめん……」と一言呟くことしかできなかった。


「ここまで綾音さんが運んでくださったのよ。竜司りゅうじの目が覚めるのを待ちたいとは言ってくださってたんだけど、犯人を取っ捕まえてやるって意気込んでお帰りになったの。とても怖い顔をなさってたわ。ねぇ、竜司。一体何があったの?」


 母さんの問いに対して、一拍間を置いて答える。


「白い女が、いたんだ」

「白い女?」

「そう。見た目は人間の女性なんだけど、筋力が尋常じゃなかった。ひょっとしたら亜人かもしれない。そんな奴と出くわして、逃げようとしたんだけど捕まっちゃって。それでコテンパンにやられて今に至るってわけだよ」

「そうだったのね。とにかく、無事に目を覚ましてくれて良かった。明日は休みなんだし、ゆっくりとしましょう。もし痛みが残ってるようだったら病院に行くこと。いい?」

「分かりました……」


 お言葉に甘えて、俺はソファーで横にならせてもらうことにした。その間、母さんと巡は胃に優しい夕ご飯を作ってくれた。メニューはおかゆとリンゴ。リンゴは巡が切ったもので、ところどころ皮が残ってたりボコボコになってたりしてたけど、ありがたく食べることにした。

 そういや、なんで病気とか怪我した時に食べるご飯ってこうもあったかく感じるんだろうか。



 翌日。姐さんに会うために請負屋へ向かった。腹部の痛みは引いてなかったが、それでも姐さんと直接話がしたかった。

 しばらく歩くと、煉瓦色の壁が特徴的な平屋の事務所が見えてきた。屋根の辺りに「請負屋」と書かれた看板が掛けられている。この一帯は大通りから外れていて、ひと気が少ない。今日も相変わらず閑散としている。

 事務所のドアを開けると、カランカラン、と鈴の音が出迎える。玄関でスニーカーを脱ぎ、廊下を歩いてそのまま奥の応接間へ。

 中央にはワインレッドのソファーがテーブルを挟んで向かい合わせに二脚置かれている。その奥にある所長席で、姐さんはふんぞり返って新聞を読んでいた。


「おはようございます、姐さん」


 挨拶すると、姐さんは新聞から俺の方へ視線を移して、「おー、おはようさん」と返答する。新聞は畳んで机の上へ。


「それよか、大丈夫かお前? 酷い目に遭ったみたいだけど、一体何があったんだ」


 平坦な調子で、そう尋ねた。俺はソファーに腰掛けて、昨晩起こったことを話す。突如現れた白い女のことを。

 話し終えると、姐さんの顔は険しくなっていた。なんだかこの一室だけ空気が冷たくなったみたいに感じる。


「災難だったな……それに、守ってやれなくて悪かった」

「そんな。気にしないでくださいよ。あれは通り魔みたいなもんで、俺はこの通り生きてますし」

「気にするに決まってるだろう!」


 姐さんの怒声が響く。それに返す言葉が浮かばない。依然として空気が冷たく感じる。


「お前はウチの大事な従業員で、仲間なんだよ。そんなお前に傷つける奴が現れたとなったら、居ても立っても居られなくなっちまうさ。私は絶対に許さない。なんとしてもソイツを見つけ出して、ぶっ飛ばしてやる」


 シン、と静まり返る。そこでようやく俺は「すみません」と一言告げる。姐さんはにこやかに笑って「構わんよ」と言ってくれた。


「そういえばマリーは?」

「マリーなら調べ物があるって言って図書館へ出かけた。アイツも竜司が倒れたって聞いて相当動揺してたみたいだしな。帰ってきたら元気な顔を見せてやれ」

「分かりました」


 調べ物か。もしかして俺のために犯人を探してくれてるのかな。申し訳ないけど、それでいて嬉しい。

 「お茶もらいますね」と言って、台所へ向かう。今日は紅茶にしよう。一通り準備すると、ほのかに甘い香りが漂う。カップを持って部屋へ戻ると、姐さんは机上の新聞を再び開いていた。姐さんの分を所長席に置いて、それからソファーに座って紅茶をひと啜り。桃の甘味と茶葉の旨味が混ざり合って美味しい。


「昨日の晩、お前を家へ連れてった後でな、通り魔とかそれっぽい事件について調べてみたんだ。すると、見つかったんだ。この辺で起こった変死事件だ」


 変死事件。その言葉を聞いて、心臓を掴まれたような気がした。聞きなれない非日常的な言葉が、妙に胸をざわつかせる。


「先週と先々週で、三体の変死体が発見されたそうだ。いずれも男性で、年齢は二十代から四十代とバラバラ。ただ、共通点として身体中に歯型が付いていたという。しかも、その歯型は動物のものじゃなくて人型のそれだったそうだ」


 姐さんは新聞の記事に目を通しながら、概要を述べた。


「人型……それって人間が噛み付いたってことですか?」

「それもあるだろうが、きっとこの事件は食人鬼が関わってるものだろうな」

「しょくじんき、ですか?」

「ああ。人を食う鬼と書いて食人鬼。文字通り人間をエサにする鬼の魔族だ。奴らは基本的に人界で暮らしていないんだが、たまに群れからはぐれた鬼が魔界を超えて人界へやってくることがあるんだ。そうやって人間を喰らっていく」

「でも人界と魔界を繋ぐゲートは各界で厳重に警備してたんじゃなかったんですか? まさか人を食う鬼を簡単に通過させるとは思えませんし」

「ゲート以外にも抜け道があるんだよ。警備隊もいくつか埋めてはいるんだが、それが全部じゃないんだろうさ。それに、転移魔法を使える奴が協力すればゲートは関係なくなるだろう」


 抜け道ってそんなにいくつもあって良いのか。ひょっとしてセキュリティ面ガバガバなんじゃないのか? そう思って尋ねると、


「今は巨人族、化けモグラ、翼竜で編成した新護衛部隊を組織する計画が立てられてるんだよ。これが実現したら陸海空、と海は分からんか。ともかく、これまでよりも強固な警備が出来上がるだろうさ」


 とのことだった。ちなみにどの部族も少数で、おまけに民族意識がとても高い。そう簡単に協力してくれるものだろうか。それはそれとして。


「俺が遭遇した白い女も、食人鬼だったりするんでしょうか」

「強烈な膂力に口元の血。それに魔力供給としての接吻。これはどれも鬼人に当てはまる特徴だ。おそらくその通りだろうな。そう考えると、お前が出くわした相手はかなり厄介かもしれない」


 昨晩のことを思い出す。人の体から発せられたとは思えないほど重い蹴り。あれは確かに尋常ではなかった。一歩間違えれば死んでしまっていたかもしれない。そう思うと背筋が寒くなる。

 真っ白な体に真紅の瞳。アレは忘れたくても忘れられない姿だ。しばらく白い格好の女性(○子とかメリーさんとか)はトラウマになりそうだ。


「ひとまず食人鬼の情報については、一華いちか経由で仕入れてみるよ。それだけ目立った格好をしてるんだったら目撃情報も多いだろうし」


 一華といえば情報屋の猫神ねこがみ一華さんか。あの人なら有力な情報を知っていそうだ。


「ありがとうございます。俺の方でも情報収集してみますね」

「ああ。でも一番は体を休めることだからな。大事に至らないようにしなくちゃな」

「分かってますよ。無茶はしません」


 そう言うと、姐さんは「よろしい」とほくそ笑む。



 姐さんと別れてから、図書館へ向かうことにした。マリーに会えたらいいなぁと思っていたところ、図書館の入り口手前でちょうどマリーが出てきた。お互いに目を合わせると、


「あ……リュージ。体の方は?」


 と上目遣いに聞いてきた。おそるおそるといった様子だった。


「大丈夫だよ。こうやって歩き回れるぐらいには元気さ」

「そう、ヨカッタ……」


 マリーの口から、ホッと安堵の息が漏れ出る。


「心配かけてゴメンな。元はといえば俺が不幸だっただけなのに」

「ふ、フン。そこまで心配はしてなかったけどネ。請負屋の労働力が減ってしまうのが気がかりだっただけだシ」

「まーたこの嬢ちゃんは、変に見栄張っちゃってよぉ」


 またまたイフリート参上。マリーが従えている四大精霊のうち、イフリートだけがこうして自分の意思で姿を現わす。今ではマリーの立派なお目付け役だ。


「イフリート! だから勝手に出しゃばるなって言ってるでショ! 使い魔なんだから言うこと聞ケ!」

「やーだね。嬢ちゃんが素直になるまで、俺様は何度だってちょっかいかけるもんねー」

「この……ヒト○ゲもどきが(ボソッ)」

「おい! どさくさに紛れて伏せ字になるような単語を呟くな!」


 俺もちょいちょいやってしまうことだから、あえてノーコメントを貫く。さっきも言ってたし。

 それはともかく。このふたり(一人と一匹)のいつもの漫才が見られてホッとした。昨晩あった出来事がまるで遠い過去のように思える。

 未だにやいのやいの言い合ってるふたりにお構いなく、マリーに話をふる。


「そういや、マリー。図書館で一体何を調べてたんだ?」

「ウン? アァ、昨日リュージを襲った犯人がもしかしたら鬼人かもしれないってアヤネェが言ってたから、鬼人について調べてタ。参考になるかは分からないけど、念のために、ネ」

「そっか。ありがとう」

「ううん、別に大したことないじゃ、ないシ……」


 そう言ってマリーはそっぽを向く。その様子を見ているイフリートはニヤニヤとしている。あとで彼が締め付けの刑に処されなけりゃいいけど。

 微笑ましいなぁと思って見ていると、マリーが思いついたように鞄の中を探り出す。そこから取り出したのは数枚の紙だった。マリーはそれを俺の方へ突き出す。


「コレ……万が一鬼人に遭ってしまった時のために、鬼人の特徴を書き写しておいたカラ。良かったら読んデ……」

「ここまでしてくれんだ。本当にありがとうな」


 なんだか急にマリーの頭を撫でたくなったので実際にやってみた。対するマリーは「ドーテークサイ……」と言いつつも、俺の手を振り払おうとはしない。うちの妹にもマリーの百分の一の愛嬌があれば、もう少し優しくしてやれるんだけどなぁ。


「それじゃ、マリーの顔も見られたことだし、そろそろ家に帰るわ。ついでに請負屋まで送っていこうか?」

「ううん。別に平気だかラ」

「んだよー。せっかくなんだから付いてってもらえよー。こういう地道な行動の積み重ねが、ゆくゆくは攻略までの道すじに──」

「ウルサイ」


 光の輪による締め付け攻撃。イフリートにこうかはばつぐんだ。案の定悶え苦しんでいる。


「それじゃここでお別れだな。また今度な。道中気をつけてな」

「リュージの方こそ。気をつけてネ」


 マリーと別れて、俺は家路に着いた。家までは特に危ない目に遭うこともなく無事に帰れた。帰って早々、巡に腕をつままれたけど、それはそれ。それからは穏やかな休日を過ごした。

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